日本の神道・仏教〈2〉
③仏教と神道の融合
中国の三教が調和し折衷統一したように、仏教が日本に入ってきて、神道とも調和していったのも不思議ではありませんでした(神儒仏合一論)。
日本は、この仏教と神道をどう融合していったかというと、「本地垂迹説」で説明できます。
「仏の本地はインドで、それが伊勢に垂迹して天照大神となった」。
垂迹とは仏・菩薩(ぼさつ)が民衆を救うため、仮の姿をとって現れることです。
これで簡単に神仏は一体化してしまうし、天皇の祖先は仏ということにもなり、この考えが浸透していた証拠に「太平記」では天皇を「仏体」としています。
そのため、比叡山に日吉大社があり、奈良の興福寺に春日大社があって、両社が一体化していて不思議でないし、社僧がいることも当然となります。
④神道と道教の関係
しかし、「本地垂迹説」はそう簡単に成り立つのでしょうか?
日本独自の神道と中国の道教との関係を見てみましょう。
じつは、天皇、紫宸殿、神宮、神社といった言葉だけでなく、神道という言葉自体が道教の用語なんです。
『日本書紀』や『古事記』の記述が、中国の道教や民間思想と関係があることはすでに江戸時代には指摘されていました。
『日本書紀』の「天地創造」が紀元前二世紀の『淮南子』、紀元後三世紀の『三五暦記』などの中国の思想書や神話集をふまえて書かれている事は江戸時代中期にすでに指摘されています。
このように神道には道教用語があり、神話が関係あります。
しかし、道教の寺院は道観または楼観といったり、道教の僧侶は道士といったりしますが、これらが日本に存在していた痕跡は殆どないし、道教に関する法令が出された記録も皆無だから、神道が道教用語を拝借していても、両者は同じものではありません。
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