見出し画像

【創業65周年企画】会社の歴史を振り返って見えてきた、変わるもの・変わらないもの

1957年10月1日に創業し、65周年を迎えた日本ベネックス。
企業の平均寿命は23.3年と言われる中、65年もの長きにわたって成長し続けてきました。

どうしてここまで生き残れたのか?どのようにして成長してきたのか?
創業家一族である相談役と社長のお二方にお話を伺い、会社の歴史を振り返りながら、その理由を探ります。

(取材:社長室 手島、編集:環境エネルギー事業部 庄司)

相談役(右)と社長(左)は、父と子でもあります。




1.祖業・製造業のはじまり


——:
65年前、相談役のお父様が「小林工作所」として創業されました。
創業のきっかけはご存知ですか?

相談役:
詳しくは分からないけど…。
創業者である父はもともと工場で働いていて、職人としての高い技術力を持っていた。それで、1957年に自分1人で工作所を始めた。

——:
現在も続く板金加工は、創業間もない頃に始めたと聞いています。
なぜ、板金加工をはじめたのでしょうか。

相談役:
実は、板金加工をすると決めて開業したわけではないんだよね。

金属加工を始めたのは、「ゲージ」という測定器をつくる機会があったから。ゲージをつくるにあたって、鉄板を切ったり焼き入れしたりという作業が必要で、そこから板金加工に踏み込んでいった感じかな。

その頃から、私も会社を手伝うようになった。

ゲージ
機械加工において、寸法や形状の基準となる測定器。
ベネックスでは、タービンについている薄い羽根(タービンブレード)を測定するゲージなどを製作していた。

相談役:
当時の板金加工は、手先が器用であれば本格的な機械が無くても始められる事業だった。それに、戦後で世の中にモノが不足していたので、その気になれば仕事はどんどんもらえる時代だったんだよね。

創業初期、1970年の工場。


2.製造業の拡大


——:

機械がなくてもできる事業だったということですが、1970~80年代には、他社に先駆けて最先端の機械を入れていますよね。それはどうしてですか?

相談役:
小さい会社だから常に人手不足で、仕事はあるのに人が足りないという状況だったので、機械で自動化しようと。

最初は板金をのこ刃で切る機械、パチンと穴をあける機械など、小さい機械から入れていった。その中で、タレパンという新しい機械が出てきて、これはすごいなと。

タレパン
タレットパンチプレスという機械。書類に穴をあけるパンチと同じ仕組みで、板金に穴をあける。

1970年代に導入した、NCタレットパンチプレス。


相談役:

タレパンは他の工場にはまだ無かったから、導入した途端たくさんの仕事が舞い込んできた。1年もしないうちに2号機を入れたよ。

仕事が増えるのに合わせて、人も機械も増やすと、工場が手狭になる。いい場所を見つけては何度も移転しながら工場を大きくしていって、最終的に、今いる諫早の地に流れ着いた。

——:
好景気・高需要の時代だったんですね。

相談役:
板金を切ったり曲げたりするだけじゃなくて、塗装や設計にも手を広げた。いろんな人材を集めて少しずつ事業を拡大したね。

私の新しもの好きな性格もあって、なんでも他所より早く取り入れたいという気持ちが強かったんだよね。

「自社商品の開発もしたけど、事業の柱としては残らなかった…それがやり残したこと。」と語る相談役。


——:

その後、オイルショック・バブル崩壊・ リーマンショック…などを乗り越えたわけですが、どのようにして乗り越えたのでしょうか。

相談役:
明確な方針があったわけではないけど、乗り越えられたのは周りとの信頼関係が大きい。
仕事を発注してくれるお客さんとの信頼、金融機関との信頼。常に相手に対して誠心誠意向き合ってきた積み重ねがあったから、なんとか乗り切れたのかな。

リーマンショックのときは赤字にもなったし、私の経験上いちばん苦しかった。主力で扱っていた製品の売上が半分になってしまって、結局、今でも製造事業の売上はリーマンショック以前までは回復していない。
会社としていちばん苦しいときに、今の社長が入社したよね。

現在の工場の様子。


3.新規事業立ち上げの理由


——:

社長はリーマンショックの数年後、2011年に入社し、翌年には新規事業(環境エネルギー事業)を立ち上げていますね。
新事業を始めたのは、どうしてですか。

社長:
入社当時は会社として危機に瀕していて、利益がほとんどない上に借金がやたらと大きかった。そのままでは借金返済に100年かかるな、というより返済前に倒産するな…と思って、何か変えないといけない状況だった。

社長:
道は2つあって、会社を縮小して利益を出す体質にするか、新しい事業をつくってそっちでも稼げるようになるか。せっかく入社したのに、いきなり会社を小さくするのは避けたいなと思って、新規事業をつくることにした。

何の事業をするかは全く決めていなくて、これからどんな事業が伸びるかなと、分野を問わずに探した。
ドイツの展示会で、再エネ、特に太陽光や風力がすごく注目を浴びていると知って、調べてみたら日本でも今後伸びると分かったので、これはいけるぞと。
特に、太陽光は失敗したときのリスクが少なくて、成功すればかなり伸びると思ったので、太陽光事業を始めたんだよね。

当社の「屋根借り」太陽光発電所 第1号となった、ベネックス流山ソーラーポート。


——:

なるほど。
たしかに「入社してすぐに会社を縮小するのは避けたい」という思いは分かりますが、あえてその道を選ばなかった理由は他にもありますか。

社長:
面白くないから。楽しい仕事をしたい。 苦労は大きいだろうけど、その分楽しくてやりがいのあることをしたい

ベネックスは、新しいことをして失敗して学んで…ということを繰り返してきた。失敗からしか学べないから、どんどん新しいことをしてどんどん失敗すれば、組織としては必ず強くなるんだよね。

それに長年の積み重ねによって、金融機関や自治体、取引先からの信頼もあるから、新しいことをできる土壌があると思った。


4.社是からパーパスへ、受け継がれる思い


——:
入社直後から新しい取り組みを推進し、直近では「誠意・熱意・創意」という社是を、「いい仕事を、しつづける。」というパーパスに変えました。そのきっかけは何ですか。

昨年9月まで掲げられていた、社是と企業理念。
昨年10月に発表された、新しいパーパス。

社長:
前の社是は、1990年くらいにできたはず。今でも通用する内容なんだけど、時代背景もあり言葉が固い分、社員に浸透しているかというと微妙だった。
せっかくいいことが書かれているのにもったいないと思って、実は入社して1年ぐらい経った頃から、いつかはつくり直そうと考えていた。

一方で、私1人で決めた言葉を押し付けても全く浸透しないよね。だから社是を新しくすることへの理解がある人が5人集まったら、みんなでつくり直そうと思っていた。

一昨年くらいに、社員のほうから社是のつくり直しを提案してくれたタイミングがあって、機が熟したなと思って取り掛かった。
ベネックスが培ってきたものを分かりやすく言語化したいという思いで、やっと「いい仕事を、しつづける」というパーパスができた。

塗装(左)・溶接(右)の様子。コツコツと、「いい仕事」をしています。

——:
パーパスには会社の大切にしてきた価値観を反映していると思いますが、具体的に言うと、その価値観とはどういったものですか。

社長:
「いい仕事を、しつづける。」ことは、「コツコツやる」ということでもあるんだよね。

ものづくりの世界では、コツコツと製品をつくって納品して…ということを繰り返さないといけないから、ベネックスはそういった姿勢や精神を培ってきた。

太陽光事業は一気に儲けて一気に撤退する人も多い中、うちは真面目にコツコツ、1つずつ壁を乗り越えながら続けてきた。
何年も地道にノウハウを積み上げると、それがいつの間にか他社には真似できないものになっていて、今ようやく圧倒的な競争力を持つようになった。

製造業と太陽光事業って全く違うものに見えるけど、「コツコツやる」という根本的な精神は本当に一緒だと思う。
今後さらに新しい事業を始めるとしても、ベネックスとしてはその精神を忘れちゃいけない、忘れないでほしい、という思いがある。

パーパスと同時に策定された「ベネックス・ベーシック」。会社が大切にする価値観を明文化しました。


——:

「コツコツやる」という小林工作所時代から続く姿勢や価値観は、相談役から見ても新しいパーパスに反映されていると感じますか。

相談役:
そうだね。「誠意・熱意・創意」という昔の社是から表現は変わったけど、本質は同じ。
それに、新しいパーパスをつくるにあたって、「世のため人のためになる会社でありたい」という願いを崩さなかったのもすごく良いと思う。


5.生き残る会社であるためには


——:
65年もの間、日本ベネックスが生き残ってこられたのは、なぜだと思いますか。

社長:
諦めなかったからかな。
失敗しても、そのあとちゃんと最善を尽くせていたと思う。失敗をきちんと認めて、傷口が広がって取り返しがつかなくなる前に軌道修正できたから、ここまで続いているのかも。

潰れた企業は、1つの判断ミスを引きずって、そのまま引き返せないとこまで行っちゃうっていうケースが多い。「あ、しまった」と思ったときに修正できるかは重要なんじゃないかな。

相談役:
時代は変化するから、1つのことに固執し続けるのは難しい。変化するたびに対応しないと、会社は続かないんだよね。

だから、社員には「天は自ら助くる者を助く」と伝えたい。どんな変化が起きたとしても、自分のできる努力を惜しまずにやってほしい、そういう会社になってほしい。

社長:
今は昔に比べて、動き続けていないと生き残れない時代になったと思う。だからベネックスは、失敗を恐れずに動き続けて、臨機応変に軌道修正をし続ける

——:
動き続ける中で、ベネックスとして目指す姿をどのように考えていますか。

社長:
どんな状況であっても、その環境に合わせて生きていくだけのたくましさを持った組織にしたい。明確な数字目標は特にないけど、30年後も50年後も、ベネックスから常に新しい価値を生み出し続けられる、そういう組織であり続けたいね。


おわりに


板金を切る・曲げることから始まり、製造業として拡大しながら、全く異なる環境エネルギー事業を立ち上げて…という、仕事内容の変化。
「誠意・熱意・創意」という社是から「いい仕事を、しつづける。」というパーパスへの、表現の変化。
その他さまざまな変化の中でも、「常に新しいことに挑戦しながら、目の前のことにコツコツと誠実に向き合う」という姿勢は変わりませんでした。

時代が変わっても生き残れるのは、柔軟で強い=しなやかな組織だと思います。
日本ベネックスは、創業当時より変わらない姿勢を持ち続けたからこそ、しなやかな組織となれたのではないでしょうか。
今後も、変わらない姿勢を大事にしながらも変わることを恐れずに、会社として成長し続けます。


〈関連記事はこちらから↓〉


日本ベネックス について
コーポレートサイト:https://www.japan-benex.co.jp/
Twitter:https://twitter.com/JapanBenex
Instagram:https://www.instagram.com/japan_benex/
Facebook:https://www.facebook.com/JapanBenex

ぜひフォローをよろしくお願いします!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?