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The Long Goodbye

レイモンド・チャンドラー氏の『長い別れ』を読みました。原著の刊行は1953年、原題は『The Long Goodbye』。訳は田口俊樹さん。

疲労困憊の我が身に、思わせぶりなアルコールをこんこんと染み入れさせたい。そんな時に脳裏に浮かぶ1冊があるとお洒落じゃないかと思い、手に取ったのが最初。

著者が偉大な大作家であるとか、後世に残る名言を多く残した作品であるとかは読み始めて知りました。

ハードボイルド小説の代表作と謳われる本書ですが、その分類に関しては諸説あるそう。何はともあれ強くて寂しい酒がより旨くなればいい。それで十分だろ!


本書1冊で内容は完結しているものの、実際のところは長編シリーズの第6作目。主人公のフィリップ・マーロウが探偵としてヤバい依頼をこなしつつ、貧乏飯を喰らい、酒・珈琲・煙草を嗜む日々を描く。私立の探偵は周囲からあまりよく思われておらず、本人の性格や口の悪さも災いして、警官や街のゴロツキ共としょっちゅう衝突します。

描かれる時代、都市、人間模様は総じてカネ(Money)という暴力的な価値観が投影されており、マーロウ自身も報酬で仕事を選んでいるものの、主義主張やスタイル、生き様がそれらと真正面からぶつかっている。同じカネに突き動かされながら、根底にあるものの違いが見事に表現されておりました。

テリー・レノックスとの出会いから始まる本作。金はやはり大事で、女はどこまでも素晴らしく、名声や権力は強大。夜の都市はいつも血生臭い。そうして物語のクライマックス、伝説となった「ギムレットには早すぎる」の一言に象徴される友情の行く末が美しい、圧倒的な読書体験がありました。文庫本で600頁近くあり、かつ朝昼に読むのが勿体無いような世界観なので、夜な夜な読み進めてかなり時間はかかりましたが。面白かった〜。

読み終えたその日にバーへ。ギムレットってこんな味か…。

物語自体もかなり面白いのですが、やはり印象に残るのは各シーンでの描写やセリフの表現。自分が日常で使ったらその場を寒波が襲うものもあるけれど、それでも一度は使ってみたいものばかり。個人的ベストは腹を壊す山羊のくだり。これは作中で言うようなコマーシャルに限った話ではない。いくつか引用させていただきます。

「そろそろ行くよ、マーロウ。ぼくはきみを退屈させてしまっている。自分自身を退屈させているのは言うまでもなく」

37頁

「あんたとしても時々は彼女を見なくちゃ。あんな夢のような女性が同じ部屋にいるのに二十分も気づかないなどありえない」

148頁

さらにコマーシャルはと言うと、鉄条網とビール瓶のかけらを餌にして育てられた山羊すら腹を壊しそうな代物だった。

154頁

私はキッチンに行ってコーヒーをいれた — 大量のコーヒーを。深くて強くて苦くて火傷するほど熱くて容赦がなくて堕落したコーヒーを。

487頁

別れを告げるということは、ほんの少し死ぬことだ。

556頁

本書が書かれた1950年代は大戦を経て経済が急激に活発化し、飛躍的に人口が増加したタイミングです。そして主人公であるマーロウがカネや報酬の話をすればするほど、背景にあるより根源的なものの存在が浮かび上がってくる逆説。極めて現代的な問いを投げかけた作品であるように感じました。

ちなみに村上春樹さん訳で『フィリップ・マーロウの教える生き方』という本が出てました。名言集。購入。村上さんもThe Long Goodbyeを翻訳しています。

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以下、日記。

2月頭にITパスポート試験を受けることにした。1月にはFP2級も控える。資格試験の予定を入れ、束の間それに集中することで、より重要な人生の課題から逃げ続けている実感がある。

ボーナスが入ったので、ギターの教室に通うか悩んでいる。才能の塊たちを見ていると相対的に全てが虚しく思えてくるので、趣味にもあまり深入りし過ぎない方が良いなとも思いつつ。

楽しい嬉しいだけで何かを続ける上で、お利口な理性は邪魔でしかない。

SNSは人生という競技に、第一線の強者たちと同じルールで戦うよう強いられるようないやらしさがある。

友人と久しぶりに京都へ行った。深夜3時に下宿を抜け出して鴨川で一人酒を飲み、あてもなくふらついた大学時代を思い出す。社会人になってそろそろ2年。「味付け、どうしようか」などと頭を悩ませたとしても、中身が中身なら山羊はお構いなく腹を壊す。リミット1年、区切りをつけて失った平日を迎えにいきたい。あては無くとも。

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