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東日本大震災から10年。あの日あの時あの期間私はそこにいた。

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自衛官として、戦闘機パイロット学生として宮城県松島基地で被災した時の状況を残しておくためのマガジンです。有料部分として当時彼女と続けていた「交換ノート」の内容を盛り込んで、パイロ… もっと読む
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東日本大震災から10年。あの日あの時あの期間、私はそこに自衛官としてそこにいた。①

東日本大震災から10年。あの日あの時あの期間、私はそこに自衛官としてそこにいた。①

2011年3月11日。東日本大震災が起きました。
初めに、あの大災害でお亡くなりになられた方、そしてそのご遺族の方々に哀悼の意を表します。
亡くなられた人の多くは地震ではなく津波により命を落としました。想像を超える被害が出て、現場ではこれまでみたことがないような混乱状態でした。
あれから10年が経ち、これまでに様々なエピソードがテレビや新聞、雑誌などで報じられ、多くの人がそのエピソードに居た堪れな

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東日本大震災から10年。あの日あの時あの期間、私は自衛官としてそこにいた。②

東日本大震災から10年。あの日あの時あの期間、私は自衛官としてそこにいた。②

まず初めに、10年前の災害で亡くなられた方々に対し、哀悼の意を表します。

前回の記事の続きです。まだお読みになっていない方は、まずそちらをご覧ください。

津波。それからの生活津波がきたその瞬間は、全く実感が湧きませんでした。被害の状況は目に見える範囲でしかわからず、とにかく身動きが取れなかったので、雑魚寝で一晩を明かしました。
被害状況がわからなかったので、まさか自分自身が心配される状況に置か

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東日本大震災から10年。あの日あの時あの期間、私は自衛官としてそこにいた。③

東日本大震災から10年。あの日あの時あの期間、私は自衛官としてそこにいた。③

東日本大震災から10年。当時の出来事を残しておこうと、このシリーズを書いています。

まず初めに、この災害で命を落とした方々のご冥福をお祈りいたします。

これまで本シリーズは2本のnoteを書いています。この記事を読む前に以下の記事をお読みいただけると話がわかるかと思います。

ロウソクの明かり。〜夜はこうして過ごしていました〜パイロット学生の部屋。私たちの部屋は同じフライトコースの同期6名で被

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東日本大震災から10年。あの日あの時あの期間、私は自衛官としてそこにいた。最終章

東日本大震災から10年。あの日あの時あの期間、私は自衛官としてそこにいた。最終章

あれから10年。

まずは東日本大震災で被害に遭われた方々にお見舞い申し上げるとともに、亡くなった方々に哀悼の意を表します。

このシリーズは全4回で、この記事を読む前にこれまでの記事をご覧ください。

仮設浴場開放少なからず基地の外で行われる災害派遣にも同行して記録を写真として修めたりしましたが、それでも大半は基地の中にいました。

そこでは基本的に一般の被災者(隊員以外の地域の方々)に会う機会

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