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編集担当Jと取材で世界各地を飛び回るSがお届けする、世界各地で息づくキリスト教カトリッ…

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編集担当Jと取材で世界各地を飛び回るSがお届けする、世界各地で息づくキリスト教カトリックのアート、伝統、風習、文化を様々な視点から紹介していきます。普通の旅行では感じることのできない、本当の伝統、文化、人々の姿に触れる旅を一緒にどうぞ!

最近の記事

河川の災いから人々を護る

ヴェローナの聖ゼノ ロミオとジュリエットの町、北イタリアのヴェローナ(Verona)はアルプス山脈に水源を有するアディジェ(Adige)川が平地に流れ出て、Uの字に大きく蛇行した川の両岸に築かれた町だ。町の歴史は古く、3000年ほど前の紀元前11世紀頃に遡るらしい。 ヴェローナにはキリスト教公認前の3世紀にすでに司教区が置かれていた。 ヴェローナでは毎年5月21日、聖ゼノ(San Zeno)の記念日に特別ミサがある。 聖ゼノは4世紀後半の司教の1人で徳が高く、質素で慎ましい

    • 聖リタ

      Rita da Cascia 不幸な境遇にいる女性たちの守護聖人、聖リタは、生前から多くの人から慕われていた。1447年に帰天すると、聖人のように崇敬されていたが、正式な列聖は1900年と帰天後の列聖に時間がかかった聖女だ。 カトリック社会では今日も人気のある聖女で、帰天したのが生まれ故郷に近いイタリアのカーシア(Cascia)であったことから「カーシアの聖リタ(Rita da Cascia)」と呼ばれる。 聖リタは1381年、イタリア中部ウンブリア地方のカーシア郊外のロ

      • 番外グルメ編「スペイン中部の名物料理子羊のロースト」

        18世紀末のフランス革命以来、ヨーロッパでは多くの修道院が廃院となった。廃院になった修道院は、刑務所や精神病院に再利用された例も少なくない。 20世紀に入ってから観光が一般化したため、廃院となっていた修道院がホテルに変わり始めた。 数は少ないもののレストランに変わったものもある。スペインの古都バリャドリド(Valladorid)を訪れた際に、修道院の一部をレストランとした「聖ロレンツォ・グリル(Pariila de San Lorenzo)」を訪れた。 バリャドリドはマドリ

        • 聖ツィタ

          Santa Zita di Lucca 王女、王妃が宮廷のパンを持ち出して貧しい人たちに施し、咎められた際にパンが薔薇に代わっていたという中世キリスト教の美談がある。 家が貧しいために12歳で奉公に出され、貧者のために主家からパンを持ち出し、叱責されるとパンが花と草に変わったという奇跡が「ルッカ(Lucca)の聖ツィタ(Santa Zita)」にも伝わっている。 聖ツィタの記念日である4月27日の前後に、ルッカで祝祭が開かれる。 ルッカは、イタリア中部の斜塔で有名なピサ(

        河川の災いから人々を護る

          日本でも人気のあの聖人が、お菓子に!?

          イタリア・ヴェネチアから西に約40キロメートルにある町パードヴァ(Padova)は、工業地域に周囲を囲まれているものの、歴史ある宗教色の強い街だ。 パドヴァーニ(padovani パードヴァの住民の事)に「聖人(イル・サント、Il Santo)と言えば?」と尋ねると、異口同音に「サンタントーニオ(Sant'Antonio=聖アントニオ)と言うだろう。パードヴァで「ドルチェ・デル・サント(Dolce del Santo=聖人のスイーツ)」とは、「聖アントニオのお菓子」のことを言

          日本でも人気のあの聖人が、お菓子に!?

          モンレアーレ大聖堂

          Duomo di Monreale  9世紀から11世紀にかけてイタリア南部のシチリア島はアラブ人に支配されていた。 12世紀末にフランス北部からノルマン人たちが南下して、島を占領してから、シチリア島の主都パレルモ(Parelmo)近郊のモンレアル(Monreale)に、アラブ文化と東方ビザンチン文化の影響を受けたアラブ・ビザンチン・ノルマン様式の大聖堂が築かれた。 着工から95年後の1267年、フランスのアンジュー家シャルル王の治政下に「降誕の聖母マリア(Natività

          モンレアーレ大聖堂

          カーニヴァル番外編「テディベアのカーニヴァル」

          Le Carnaval des Ours ベルギー中央部の工業都市シャルルロワ(Charleroi)から東へ約50キロメートルほど行ったマース川の畔にアンデンヌ(Andenne)という町がある。人口は3万人にも満たない町だが、歴史は古い。 アンデンヌでカーニヴァル後の「カレーム(Carême=断食節、または四旬節)」の第四日曜日、「レターレ(Laetare)の主日」にテディベアを市庁舎で市民にプレゼントする行事があると聞き、訪れた。 「レターレの主日(2024年は3月10

          カーニヴァル番外編「テディベアのカーニヴァル」

          聖ペトロ大聖堂(後編)

          Papale basilica maggiore di San Pietro in Vaticano 教皇領には長い歴史があるが、ヴァチカン市国の歴史は意外と新しい。教皇領は6世紀頃の教皇が自らの土地などを教会に寄進したのが始まりとされ、8世紀半ばフランク王ピピンが北イタリアを征服した後、その土地を寄進したために広大な領土となった。18世紀末、ナポレオンのイタリア侵攻により教皇領は分割、併合され、教皇もフランスに幽閑された時代があった。ナポレオン失脚後のウィーン会議で教皇領

          聖ペトロ大聖堂(後編)

          イヴレーアのオレンジの戦い

          La battaglia delle arance 北イタリアの主要都市、自動車メーカー「フィアット(Fiat)」の街として知られるトリノから、北に50キロメートルの地にイヴレーア(Ivrea)という町がある。アルプス山麓の町で、人口約2万人の地方都市だ。20世紀初頭にタイプライター・メーカー「オリベッティ(Olivetti)」の工場が置かれ、町は「オリベッティの町」として繁栄したが、PCの普及、精密機械産業の衰退と共に町は元気をなくしていった。 そのイヴレーアが一年で一番

          イヴレーアのオレンジの戦い

          聖ペトロ大聖堂(前編)

          Papale basilica maggiore di San Pietro in Vaticano ローマに来ると、必ずと言ってよいほど訪れるのがヴァチカンの「聖ペトロ大聖堂」だ。ヴァチカン市国はもとより、イタリア国内にある教皇庁直接管轄の教会や遺跡、祭事の撮影許可を取得するための申請をする教皇庁の広報部は、聖ペトロ大聖堂前のコンチリアツィオーネ通り(Via della Conciliazione=”和解”通り)にある。許可が下りた後、感謝の祈りを大聖堂で捧げる。ヴァチカ

          聖ペトロ大聖堂(前編)

          "無原罪の聖母"が生んだグラナダのケーキ

          旅先で珍しいスイーツを探すのも私の旅の楽しみの一つ。それも聖人の名前が付いたスイーツならば嬉しさも倍増だ。スペイン南部のグラナダ(Granada)を訪れた折に、福者・教皇ピオ九世(Beatus PP Pius IX)に由来するケーキ(Pasteleria)、「ピオノンノ(Pionono)」を見つけた。 スペイン南東部に1238年から1492年までイスラム教徒の王朝が支配するグラナダ王国(Reino nazarí de Granada 正式にはグラナダのナスル王国)があった。

          "無原罪の聖母"が生んだグラナダのケーキ

          ラテラノの聖ヨハネ大聖堂

          La Basilica di San Giovanni in Laterano, la Cattedrale di Roma Papale arcibasilica maggiore cattedrale arcipretale del Santissimo Salvatore e dei Santi Giovanni Battista ed Evangelista in Laterano ヴァチカンの四大バジリカの一つ、「ラテラノの聖ヨハネ大聖堂(Basilica di

          ラテラノの聖ヨハネ大聖堂

          聖ルシア(ルチア)

          Santa Lucia ヨーロッパ、アルプス以北の国々は12月に入ると光が急に乏しくなる。11月末に待降節が始まるとドイツ、フランスの各都市でクリスマス・マーケットが立ち、辛うじて明るさを取り戻すかのようだ。12月中旬、その闇の中から光が現れるように「聖ルシア祭」が開催される。「聖ルシア」と書くと何か違和感があるが、イタリア民謡のあの「サンタ・ルチア(Santa Lucia)」のことだ。 聖ルチアは、南イタリアのシチリア島のシラクーサの聖女で、イタリアでは「シラクーサのルチ

          聖ルシア(ルチア)

          無原罪の聖マリア

          L'Immacolata Concezione 「無原罪の聖マリア」の教義はすでに中世10世紀頃から民衆に信仰されていたが、1854年に教皇ピオ9世により宣言され、カトリック教会の公式な教義となった。 無原罪の聖マリアとは、「聖母マリアも母聖アンナに無原罪で宿り、原罪から守られた」という教義である。12月8日の「無原罪の聖マリアの祝日」には、ローマのスペイン広場で早朝からさまざなセレモニーが行われる。 「スペイン広場(Piazza di Spagna)」の外れ、スペイン大

          無原罪の聖マリア

          レシピは門外不出のナンシー銘菓

          フランス東部の主要都市のひとつ「ナンシー(Nancy)」は、19世紀末のアール・ヌーボー様式のガラス工芸の町として知られる。 ナンシーは、ロレーヌ地方の主都で、ルイ15世の義父ポーランド王スタニスラスの宮廷都市としても知られる。宮廷都市となればスイーツのメッカ。17世紀に修道女が作ったナンシーのマカロンもあれば、スタニスラス王の宮廷が発祥とされる焼き菓子マドレーヌもある。 さらに「サンテーヴル(Saint Epvre)」というお菓子があると聞き、ナンシーを訪れた。 ナンシー

          レシピは門外不出のナンシー銘菓

          美味しい焼き菓子はあの「マリア」から

          ほんのりした香りとしっとりした食感で知られるフランスの焼き菓子「マドレーヌ(Madelaine)」は、「マグダラのマリア」のフランス語名「Marie Madeleine」に由来する。 焼き菓子マドレーヌは18世紀半ば、フランス東部ロレーヌ地方で誕生した。 17世紀初頭、ロレーヌ地方は神聖ローマ帝国の領土であったが、同帝国のマリア・テレジアがロレーヌのフランツ王子と婚約した際、フランスのルイ15世は岳父のポーランド王スタニスラフにロレーヌ地方を割譲することを条件に、マリア・テ

          美味しい焼き菓子はあの「マリア」から