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河川の災いから人々を護る
ヴェローナの聖ゼノ
ロミオとジュリエットの町、北イタリアのヴェローナ(Verona)はアルプス山脈に水源を有するアディジェ(Adige)川が平地に流れ出て、Uの字に大きく蛇行した川の両岸に築かれた町だ。町の歴史は古く、3000年ほど前の紀元前11世紀頃に遡るらしい。
ヴェローナにはキリスト教公認前の3世紀にすでに司教区が置かれていた。
ヴェローナでは毎年5月21日、聖ゼノ(San Zeno)の記念日に特別ミサがある。
聖ゼノは4世紀後半の司教の1人で徳が高く、質素で慎ましい生活を送り、川魚を釣って食べていたとされ、釣り人たちの守護聖人になっている。
現在の聖ゼノ大聖堂(San Zeno Maggiore)の近くには、聖ゼノの帰天後、4世紀末に墓廟が築かれていたらしい。
8世紀にカール大帝が北イタリアを支配していたランゴバルド王国(Regnum Langobardorum)を滅ぼすと、大帝は息子のピピン(Pipino d’Italia 旧名:Carlomanno)をイタリア王としてヴェローナに住まわせた。それ以来、キリスト教勢力が強くなり、大聖堂に隣接した地に要塞化した巨大な修道院が建てられ、ヴェローナは門前町になった。
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大聖堂の横に立つ城塔、聖ゼノの塔は、その名残。
その頃、聖ゼノ聖堂などを教区教会にしたために、聖ゼノの聖遺物は807年5月21日に修道院教会から移葬された。
10世紀に再度、ヴェローナは異民族に襲われ、大聖堂も破壊され、現在の大聖堂は12世紀から14世紀にかけて再建された。
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12世紀頃、聖ゼノ大聖堂正面入り口に美術史上「ロマネスク様式の傑作」といわれるブロンズの扉が造られた。
大聖堂の正面入り口は通常閉まっているが、祝日など特別な日だけ入り口として利用される。
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大聖堂の正面中央入り口の2つの扉に48枚の青銅のパネルで新約聖書、旧約聖書、洗礼者聖ヨハネ、聖ゼノの生涯などが表現されている。
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旧約聖書と聖ゼノの生涯が右扉に。
上段左からロバに乗るバラム(Balaam)、イエスの樹(L'albero di Jesse=系譜)、ソロモン王(Salomone)。
下段左から、怪物の頭をしたドア・ノッカー(picchiotto)、川で釣りをする聖ゼノ、行政官ガリエーノ(Gallieno)の娘から悪霊を追い払う聖ゼノ。
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アディジェ川の悪魔に引きずられる台車、行政官ガリエーノから王冠を授かる聖ゼノ。
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左扉の新約聖書の場面。
上段に左からイエスの鞭打ち、十字架磔刑、聖母マリアの墳墓訪問。
下段に、左からイエスの地獄訪問、玉座の栄光のキリスト、怪物の頭をしたドア・ノッカーなどを表している。
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聖ゼノ大聖堂は本来、聖ゼノ修道院付属教会だった。
現在も残る修道院の建物は、4世紀に築かれたとされる修道院の跡に、ピピンがヴェローナに権力を固めた後の9世紀初頭に築かれた。
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この修道院は、10世紀前半にはハンガリーのマジャール人の侵略で、1117年にはこの地方を襲った大地震で壊滅的な被害を受け、その後再建された。
神聖ローマ帝国の保護下にあった修道院には13世紀半ば、神聖ローマ帝国のフリードリヒ2世が自身の娘と、北イタリアの支配者エツェリーノ(Ezzelino)の結婚式のために滞在していた。
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大聖堂は、主要祭壇のある後陣が2層になっており、下階に聖人の遺体が顕示されている。
上階の祭壇には、15世紀半ばにルネサンス期の巨匠アンドレア・マンテーニャ(Andrea Mantegna)によって描かれた聖ゼノの祭壇(Pala di San Zeno)が顕示されている。
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聖ゼノの多翼式祭壇画の中央に子どもの天使たちに囲まれた聖母子、左右に聖ペテロ、聖ロレンツォなどの聖人と共に、ヴェローナ司教たちが描かれている。
祭壇画は19世紀初頭のナポレオンの北イタリア侵攻に際し、戦利品としてフランスに持ち去られた。
ナポレオン失脚後、祭壇の主要部分は返還されたが、祭壇の下部台座部分、プレデッラ(Predella)は返還されず、現在もルーヴル美術館に展示されている。
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聖ゼノの特別ミサは、北イタリアの学都らしく「ブラームスの大学祝典序曲」が演奏される中、司教団が入堂し、ジュゼッペ・ゼンティ司教の司式により10時から始まった。
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カトリックの典礼暦では、聖ゼノの記念日は帰天日である4月12日になっているが、ヴェローナでは聖人の聖遺物が移葬された5月21日に特別ミサが行われ、祝われる。
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司教団は、特別ミサの後、下階の聖人の墓廟ともなっている祭壇へ。
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音楽専門学校の助教授を務めるクリスティーナ・ザネラ(Christina Zanella)女史の指揮のもと、聖ゼノ大聖堂独自の聖ゼノ合唱隊が聖歌を歌う。
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聖ゼノ大聖堂の後方を流れるアディジェ川。
ヴェローナ市街への入り口を要塞橋スカリジェロ橋(Ponte Scaligero)が守っている。
アディジェ川は度々洪水を引き起こし、聖ゼノは洪水から市民を護ったとされ、洪水からの避難の守護聖人にもなっている。
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聖人録
ヴェローナの聖ゼノ
San Zeno di Verona
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聖ゼノは、4世紀初頭、アフリカ北部のマウレタニア(Mauretania、モーロ Mauroとも)地域で生まれたとされ、そのために聖ゼノを黒人として描いている肖像画もある。
ゼノという珍しい名前は、ギリシア神話の全能神ゼウス(ZEUS)に由来する。その人生の詳細は分かっていない。
聖人伝によれば、聖ゼノは4世紀後半のヴェローナの8代目の司教で、北アフリカの学校で修辞学を学び研鑽をつみ、教養のある博識な人物だった。
ヴェローナでは仙人のような質素な生活を送り、アディジェ川の川魚が主な食料だったと言われる。
聖ゼノには数々の奇跡譚が伝えられている。
北イタリアの支配者であった行政官の娘の悪霊を追い出した。アディジェ川が氾濫し、洪水となり教会の天井まで水が達したが、聖ゼノが増水を止め、ヴェローナ周辺の人々が救われた。
トスカーナ地方のピストイア(Pistoia)でも毎年のように洪水が発生したが、ある年、その川の流れを聖ゼノがアルノ川に流れるように誘導したと推慮し、ピストイアでは聖ゼノを大聖堂の守護聖人にしている。
聖ゼノは、北イタリアを中心に崇敬の深い聖人で、北イタリア、新大陸などの約50の町村が守護聖人にしている。
聖ゼノは、ヴェローナ市の守護聖人であると共に、河川の釣り人、川魚の漁師、洪水から避難する人たちの守護聖人でもある。
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