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弱さの中の強さ

わたしは意を決して店に入った。関西から越してきて新生活3日目から気になっていたお店である。その店は役所の裏通りにある古本屋。古本屋に入るのに意を決する必要があるのには訳がある。

明らかに癖が強いのである。

外の看板には、「団体 ひやかし 未成年 来店お断り」そしてその横に手書きで「本に用のある人はインターホンを押してください」とメモが貼ってある。店主が、人嫌いであまり本を売る気がないことが容易に想像できてしまう。まだ良く知らない町で入るにはハードルが高い。

それでも、どうしても入ってみたかった。カーテン越しに見える店内の様子があまりに魅惑的すぎる。その店内がこれである。

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床から天井まで伸びる本棚。それにおさまらず床から積み上げられる本。激狭な通路。分類を諦めた混沌。この中から好きな本を選んで連れて帰ってよいのである。え。ワクワクする。本好きにはたまらない。

rに押し付けられたwith listに「古本屋を見つけて入る」があったことも背中を押して入店。黒縁メガネの奥からじっとあたしを見つめる店主の、異様に強い視線が気になったのも最初だけ。古本屋で大事なのは出会いと直感だ。内なる第六感を解放して選んだ、中原中也の詩集を連れ帰った。

中也の詩は93%暗い。彼の人生は多難で、弟を亡くし、早くに故郷を離れ、恋人が友人に奪われたりしたりする。いつも孤独で、寂しくて、喪失感に苛まれている。芸術家肌で、友人に依存しては離れられ、生前はほとんど評価されなかった。ありあまるゴッホ感。かつての恋人への未練を抱えたまま、お見合い結婚し、束の間の平穏が訪れたかと思えば、溺愛していた息子が2歳で病死すると精神を病み、30歳で病死してしまう。

事あるごとに寂しいと訴え、恋人が帰ってこないかなと嘆き、悲しくて仕方ないと書く。不器用なくらい精いっぱいだ。だからなのか、その詩は悲しいんだけど、なんだかとても純粋で、正直で、可愛くて、そしてとても生きている感じがする。

気に入った詩に付箋をいっぱい貼ったあと、ふと考えた。

未婚で彼氏のいない時期が長いと「どういう人がタイプなの?」とか「前の彼氏はどんな人?」という質問を受けることがしばしばある。あたしはその度に困っていた。かつての恋人を順番に思い出し、どういうところが好きだったかを突き止めようとしたり、彼らの共通点を見つけようとするのだが、いつもこれという答えが出ない。

好きなところもたくさんあるし、社会的に高ポイントだと思われる部分もある。とても大切にしてくれた。でも、誰かより秀でた部分が好きだったわけでも、大事にしてくれたから好きだったわけでもない。その人がその人だったから好きだった。散々困った挙げ句、結局「なんか、ネコみたいな人で…」とかよく分からないことを言ってしまう。

どうしてあんなにも、愛した人の好きな部分を人に説明できないのか。中也に恋してやっと分かった。

人がどうしようもなく誰かに惹かれてしまうときというのは、自信に満ちて輝いている部分じゃなくて…

一対一の関係になった時に問題にはるのはむしろ、その人が「自分を弱さをどう受けとめ、引き受けているか」という部分なのじゃないだろうか。

中也は寂しがり屋で、捨てられた恋人に未練タラタラで、悲しみからいつまで経っても立ち直れない感受性のまま、そのままを綴って生きた。

そんな中也の 弱さの中の強さ で産み出された詩は、あの3.11の時、傷付いた人々に繰り返し読まれたと知り、とても納得している。


そして思う。
あたしもあなたも 弱いまま生きよう。
それがいつか そっくりそのまま本物の強さになるから。

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