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【拝啓 私】人の期待に応えようと必死に頑張ってた時の私へ【手紙note】~超(長)大作~ 2/2通目 解決編

前回からの続き

【前回】



書いてて哀しくなってきたからそろそろ話題を戻そうかね・・・

では承認欲求を満たす為に人の為に、

頑張っちゃってる生き方から抜け出す方法を今から書きます。

私が抜け出せたのは、

あることを他者から自分でやるようにシフトチェンジしたってこと。

「自分で自分を認められるようになればいい」


これだけ。

私は生きてるだけで価値があるんだよ?

私は生まれてきただけで人から感謝されてるんだよ?

何かしてないと価値がないなんて誰か決めた?

いつからそんな発想になったの?

誰からそんな利益しか考えないような生き方しか考えを植え付けられたの?



正直承認欲求を克服することは非常に困難なことなんだ。

無意識に長年してきてしまってる言動の根源的な癖だから。



この発想が心に根付いたのは幼少期に遡る。

これは全員とは言わないがほぼ原因はここにあると言っていい。

原因の根源は、

もちろんその生き方を推奨して今迄選択し続けた私自身。

でもきっかけがある。


私達は生まれてすぐに、

生まれる前から存在していたルールの中での生き方をせざるを得なかった。

法律・家族の習慣化された当たり前・世の中の大多数がこれこそ正しいという常識。

物心付く前からこのレールの上に強制的に乗せられて生きてきた。

でもこれに人は気付かない。

気付かないほどに、

振り返って思い返して見ないほどに、

それが当たり前すぎて、

私自身が決めたわけじゃない正しさに従うしかない環境や状況下で生きるしかなかったから。

乳幼児期から今に至るまで、

様々な力によって、

自分の表現を制約されて生きるしかなかった状況が、

あまりにも多いことが原因である。


従うしかないと思ってしまったんだ。

そうしなければ怒られたり攻撃されたりするから、

自分の心身を守る為に自分より強い権力者の意図や、

常識的に守らなければいけないとされているルールの中で、

縮こまって生きるしか、

傷付かずに生きる方法を選択できないと思ってしまったから、

その癖がもう抜けなくなってしまうほど、

強烈に心に刻み込んでしまっているんだ。

強いものには従え。

長いものには巻かれろ。

強い者は勝ち、

弱い者は負ける。

勝つと嬉しい。

負けると哀しい。

得たい感情しか得ようとせず、

得たくない感情からはとことん逃げる体質になってしまった。

相対的に心地が良いと思う方へ流れやすい思考になった。


これによって、

弱者からは優越感ややってやった感、

強者からは感謝や賞賛を、

見返りとして貰うように行動するようになった。

自分が常に強者側で居なければ生きていけないという発想が、

無意識的に自らに根付かせているのは、

現在進行形で生きている今でも続いている。



だから変えることは難しい。

知って変えるにも、

自分で自覚・統制しきれない無意識にある思想だから、

余程自分の言動に注視していなければ変化を作ることは出来ない。

認識できた壁は、

越える為の対策も出来るし、

見えるからぶつかれば痛いと認識できるし交わすことも出来る。

でもハッキリ認識できない壁は、

どこにあるか解らないから越えられないし、

ぶつかっても自分で傷付いてることにすら気付かない無痛覚属性を持っている。

気が付いた時には壁が解らないままで傷や疲弊感だけを自覚する。

この傷を自覚してしまい、

無意識にどうしようもないと考えることを放棄してしまうと、

人は心を閉ざして人間との関わり合いを断つ事を考えるようになる。

そうなってからでは遅い。

心が健康な内に壁を見つけなければ、

壁を越える気力から養わなければならなくなる。

そうなればもっと大変だ。



では壁の見つけ方と超え方について書いていきます。


私が実際にやった【壁の見つけ方】は以下の通り。

①行動する前に立ち止まり、私がしようとする行動にどんな思いが込められているのか時間を取って自覚する。

②その思いが、私が本当にしたいことなのかを再度自問自答する。

③私がしたくないと思ったことはどんな利益があってもしないこと。
 (後悔が多いし、選んだ自己責任を忘れて人のせいにしやういから)

④私がしたいと思ったなら、何故したいのかを更に私自身に問う。

⑤それが損得から来るものであるのなら、どんな得があってどのような損があるのか考えてみる。

⑥どのような得があるかの答えが出たら、その得の向こうに更にどんな得と損があるのかを考える。

これによって私の選択しやすい思考の癖が解る。



【壁の越え方】は以下の通り。

⑦私自身の個性(本心)として何を選びたいのかをじっくり考え、行動するかしないかを選択する。

  考えて行動すること。

  これは動物でもしていること。

  動物以下の行動にならないようにちゃんと考えて決めるようにしよう。

⑧まずはちゃんと私が行動したことを私自身が労ってあげること。

  私が決めて私自身が行動したんだから、

  まず労ってあげるべきは私自身でしょ?

  「よく頑張った!お疲れ様でした!!」

  この言葉を真っ先に掛けてあげられるのも自分が一番早い。

  プロ野球の優勝の胴上げ級に目一杯労ってあげてね!

⑨今回の行動が私にとってどんな結果をもたらしたかを考察する。

  しっかり労ってあげたら、

  ⑤・⑥で私自身が予想した結果とどう違うのかを考察する。

  この差を縮めていくことが、

  私自身の想像力を育て、

  次の行動に生かされていく。

  厳しい目でしっかりと考察すること。

⑩今回の行動の最中に、どんな状況や場面で何を思い・感じたのかを細かく振り返る。

  ここで再び壁の見つけ方に戻る。

  私のしやすい言動や私の思いやすい感情感覚を、

  しっかりと思い出し、覚えておくこと。

  どんな時でも自分の癖が根本的に言動や思考に表れ易い。

  その癖こそが壁であり、越えるべき自分にかけた無意識の呪い。

  自覚するチャンスだと思ってシビアに振り返ろう。

⑪人からの評価だけを望むのではなく、私自身もしっかり評価する。

  人からの評価を良し悪しと捉えるのは結局私の心。

  人からの評価に全ての自己価値の有無を委ねる必要はない。

  自己評価もきちんとするようにしよう。

  他者評価は参考材料でしかない。

  もちろん自己評価も同じだけど、

  他者評価だけで私の価値を決めるということは、

  私の人生の進むべき道を人に決めてもらっているようなものだ。

  私が私自身の評価もしっかりすること。

⑪自己・他者評価共に平等に参考とし、最後に今回行動した意味を考える。

  私は結局何の為に行動したんだろう?

  望むべき結果とはなんだったんだろうか?

  望むべき結果を得られたなら、それを得て何を感じ、何を思ったのか。

  望むべき結果とは程遠いのなら、

  それを経験して何を感じ、

  何を思ったのか。

  これは次の行動指針という壁の越え方の熟練度を磨くのと同時に、

  壁の見つけ方の役割も同時に果たす。

最後に深く掘り下げて私自身の特性と、

次に同じことがあったらどう動きたいかをシュミレーションしよう。



無意識を意識的に変えることは手間を要する。

でも無意識を知らなければいつまでも私の知らない私に人生を翻弄される。

でも逆に言えば、

無意識の私を認識し、

意識的に使えるようになれば、

人に与える印象や自分の人生を自分自身で選択できる幅が拡がり、

予測精度が格段に上がるだけじゃなく、

私以外の言動から無意識的思考も見えるようになる。

そうすればもっと人への理解が深まり、

表層的なしてほしいことから、

その奥に隠している深層の欲求をも掴み取ることもできる。

けどこれも近付くと言うだけで確認しないと解らない。

例え確認したとしても、

聞いた相手自身が自分の欲求に気付いていない場合がある。

というかほとんどの人が気付いてない。

見ようという発想すらも余裕すらも自分に作ってないから。


だからその時は一緒になって教えてあげて欲しい。

実践した無意識を見つける方法を。

もちろんここに記した方法はひとつの選択肢でしかない。

これを見た私が良いと思った自分独自の方法でもいいと思う。



「私が自信を付ける為に、

他者に評価を望むのであれば、

私の人生を、

評価を求めた人間に捧げることと同意と思え。

私の承認欲求から付く自信が他者依存とするのであれば、

私の感情思考は、

全て私以外のもの次第でコントロールできることになる。

評価とは参考材料であってそれが正当な評価とはイコールではない。

あくまで評価した人間の個性と気分によって、

その人が認識できる言動や結果のほんの一部だけ基に決められたものに過ぎない。

すべてを私以外に委ねるな。

自らが考えることを放棄するな。

面倒がるな。

それを放棄していると気付かない限り、

私のしていることは人間の生き方とは言えない。

強き者のペットのように生きるのと同義である。

そんな生き方は強者として立っていられる時にしか通用しない。

自らが弱者に転じた時、

その生き方しか知らない人間は偏った生き方をしてきたことに後悔するだろう。

弱肉強食・損得勘定での生き方は、

いつか必ず私の人生を狂わす。

願わくば、

陰陽・強弱・損得・快不快・善悪といった、

相対的な発想の片方しか取れない思考の癖を乗り越え、

その奥にある私自身の心の深層にある良心を基軸に生きていってほしい。」

これは私から私への願いです。



【心の深層にある良心】とは一体何か。

例を挙げて説明すると、

人は言い返せない正論を言うと極論で返してくる。

みんな自由に生きればいいんだって私が言うとするでしょ?

そうしたら「じゃあ人殺してもいいのか!?」と言ってくる人が大体居るのよ。

私はこう聞き返す。

「あなたは人を殺す自由が与えられたら殺すのか?」ってね。

みんな黙るよね。

どれだけ自由であっても殺す事なんて考えないよ。

これが【心の深層にある良心】。

人はどちらかの自由が与えられた時に、

必然的にしたくないことは選ばない思考になってるんだ。

生きてる限り死にたくないし、

傷付くのはするのも見るのも嫌なものだよ。


でもね、

もちろん全員がそういう人なわけじゃない。

ほんの僅かな人に人を傷付けたり殺めたりする事に喜びを感じる人は確かに居る。

でもそういう人は生まれた時からそうだったかな?

赤ちゃんの頃からそんな発想を持っているものだろうか?

私は思う。

そういう人は、

どこかでそうしなければならない程に追い詰められた経験があるんじゃないかなって。

自分が死ぬか相手を殺めるかしか選択肢を用意できない程に悩んで苦しんで、

誰にもその苦しみを受け入れてもらえず、

気付いてももらえず、

それを打ち明ける勇気も無くしてしまう程悩み、

最後に取るべき手段として、

自分が消えるか相手を消すしか考えられないくらい追い詰められたんだと思う。

そして相手を消す選択をした人間は、

自分に人を支配できる力があると過信し、

同じ方法で自分の望む状況にしていくだろう。

他の選択肢を選ぶ事は考えもしない。

最強の力を得たが如く繰り返しその力を振るうだろう。

これはどんな人にでも言えることだ。

ゲームで強い武器を手に入れた時、

どれだけの威力なのか試したくなる。

それは決まって強者だけでなく弱者に向けても刃を向ける。

凶行に及ぶ人が特別じゃない。

みんなその気質は誰しも持っている。

愛する人が殺されたら、

誰だって殺意を抱くだろう。

自分の置かれた立場によって感情は変化し、

普通では思い付かない発想だってしてしまう。


でもそういった時に、

誰かその苦しさに気付いてあげられたら、

その悩みを受け止めてあげられる人が居たら、

辛さを共有してくれる人が居たなら、

そして凶行に及んでしまいそうな心の弱い人が、

自分の苦悩を打ち明けられると思える程の勇気が持てたら、

そんな選択肢を選んだだろうか?



人は誰しも強くない。

弱さから逃げようと考えてしまうのが生き物の本能。

強者や自分の弱さから逃げ続けたら最後は崖だ。

崖っぷちで選ぶ選択肢は、

自分の弱さに負けて自殺するか、

相手を殺めてさらに逃げるかしか思い浮かばないはずだ。

なぜ追い詰められるほどになる前に、

逃げる以外の方法を選べなかったんだろう。

誰だって人を傷付けたいわけじゃない。

自分や自分以外を自ら好きで傷付ける人が本当に居ると思っている人が居るのなら、

その人自身の心がちょっと歪んでんじゃない?って思う。

誰しも罪の強弱はあれど、

自分や自分以外を知らずに傷付けてしまっていることなんてある。

それを殺してないからいいじゃん?って言い訳する?

しないよね。


認識するまではもちろん解らないだろうけど、

いくら不可抗力でそうしてしまったとしても、

相手が不快を感じたならごめんって少しは思うよね。

だってしょうがないじゃん!!って思うこともあるだろうけどさ。

それで押し切って終わろうとする人は自分しか見えてない視野の狭い人さ。

それが良い悪いじゃない。

それに気付く事は自分ひとりで自覚することはそれほど難しいことだから。

それはもうこれを読んでる私には解るよね。


だからそういう人に出会ったら教えてあげて。

その人の視野から見た世界感に付け加えて、

私から見た世界観を。

しょうがないと見る見方もあるけど、

そうじゃない見方もできないかな?ってさ。

否定ではなく、

違った見方をプレゼントしてあげて欲しい。

【心の深層にある良心】がきっとその人にもある。

自分を見失ってしまっている人に思い出させてあげてね。



ひとつだけ付け加えると、

無意識を意識化して壁を越えるというのは、

今の私を捨てると同意ではないということ。

柔軟性を持つという意味ね。

何度も書いたけど人は言動や思考に癖があって、

パターン化したものを繰り返しやすい。

言い換えれば、

最適かも解らないひとつしかない選択肢からひとつを選んでるという状態。

無意識を意識化して壁を越えると、

視野が広がって広く見渡せるようになることで、

選択肢の自由度が増える。

結果的にどういうことになるかというと、

今まで選択していたパターンさえも選択肢のひとつとなって、

より最適に近いものが選べるようになるってことさ。

だから今迄の私を捨てることにはならないよ。

ちゃんと残ってるから安心してね。




本当にこれだけの長い手紙に付き合ってくれて有難うございました。

私が普段から思っていたことの大半を書く事ができました。

長い時間かけて読んでくれた私と違う人生を生きてる私、

そしてこれから読んでくれるかもしれない私と違う価値観で生きてる私に、

心から言いたい。



最後まで読んでくれて・・・

お疲れになったでしょう!

ゆっくり休んでね!!

と。



頑張れ私!

過去の私がかけてしまった無意識の呪いを解いて、

自分らしさを自覚して使いこなせる私になって、

今よりもさらに自分の人生を自分らしく楽しく生きれることを願っています!!



これを読んだ私の心が、

少しでも自由と自分らしさを大切にして生きられますように。



                         敬具


過去の手紙noteはここに溜めて置いてます。


追伸

そうそう、

これを読んでる私やその知人友人に

「前にもっと短くて似たようなこと書いてたじゃん!」って気付いた人居る?

もし居たらこれ読むと参考になると思うから載せておくね。

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