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大学スポーツと、石川祐希選手と、平凡な自分。

「4years.」 という、朝日新聞社が立ち上げた、大学スポーツにスポットを当てたウェブメディアがある。

全国には約20万人の大学生アスリートがいる、と言われているが、大学スポーツは、一部の競技を除き、あまりフォーカスされることはない。大学卒業後、プロや実業団で競技を続けられる人は、ほんの僅かしかおらず、多くの選手にとっては、大学の4年間は、スポーツで真剣勝負ができる最後の時間である。

そんな背景があり、立ち上げられたのが、冒頭の「4years.」。

競技人生を締めくくる、という意味でも、ピリオドをつけ、大学生アスリートやそのアスリート達を周りで支える人たちの物語が発信されているメディアである。


その 4years. で最近連載されていたのが、プロバレーボール選手の石川祐希さんだった。4years. に掲載されるアスリートの方々は、もちろん皆、並外れた“何か”があって、いつも心が突き動かされるのだが、今回は個人的に、特にも印象的だったので、本文を抜粋させて頂きながら、紹介しようと思う。


大学生活は「前半」と「後半」に分けられる。大学や学部によって異なるものの、一般的に前半にあたる1、2年生のときは必修授業も多く、できる限り単位を取らなければならない。部活では練習以上に、その前の準備や終わった後の片づけなど、下級生としての役割が多い。対して後半の3、4年生になれば少しずつ授業も少なくなり、教職やゼミ、卒業後の進路に直結する準備に向けた時間が増え、部活ではより練習に専念できる。

石川選手は、『準備期間』でもある1年生のときにイタリアのチームからのオファーがあり、「世界」を体感した。2年生になってからは、「日本での学生バレーボール」がどこか物足りなく映るようになった。しかし3年生になり、学生生活の後半を迎えたころ、再び転機が訪れた。イタリアの別のチームから、「プロ契約を結びたい」と打診があった。

3年生の時に、全日本インカレで3連覇を成し遂げた石川選手は、イタリアに渡るも、ケガの治療等もあり満足のいく結果を出し切れたわけではなかったようだ。それでも、翌年、すなわち、大学最終学年となったシーズンも、イタリアのチームは石川選手と契約を結んだ。そして、それと並行して、彼は日本代表の活動もしていた。大学、日本代表、イタリアと、3足の草鞋を履いての選手生活を送っていたのである。

それゆえ、石川選手は、所属する大学の練習や試合にフルコミットできてはいなかった。全ての苦楽を、チームの仲間と共にできたわけではない。

だからこそなのだろう。大学名を背負って試合に出場する時には、「自分がいなくて迷惑をかけた分、少しでも貢献したい」と、思っていたのだという。


迎えた、4連覇がかかった、全日本インカレ。

準々決勝まで順当に勝ち上がり、迎えた準決勝、対筑波大学。

最初の2セットを、石川選手擁する中央大学が先取し、誰もが中央大学の勝利を確信していた。そんな圧倒的不利な状況から、筑波大学が3セットを奪い取った。大どんでん返しで、決着がついた。

その瞬間、中央大学の4連覇は潰えた。

4年生にとって全日本インカレは学生最後の大舞台。たとえ相手が優勝候補筆頭でも、ゲームが終わる瞬間まで全力の限りを尽くす。もちろん皆、自身の有終の美を願って戦う。だがそれだけではない。上級生は「続く後輩たちのために勝ちたい」と思い、下級生は「先輩を勝って送り出したい」と思い、戦う。
中央大学に勝利した筑波大学、そしてその筑波大学を破って優勝した早稲田大学と比べたら、直前までイタリアにいた石川の全日本インカレにかける執念は劣っていたのかもしれない。だが紛れもなく言えるのは、最後の全日本インカレは「自分が勝つため」という以上に、「仲間のため」に戦った。それは石川選手の涙からも伝わった。

記事には、このように、記されていた。


そして、石川選手は、こんなコメントをしていた。

「大学の4年間は常に“チーム”を意識する時間でした。プロとなったいまは『自分をどうアピールするか』『そのためにどう結果を出すか』が一番ですけど、大学はそうじゃない。悩んだり迷ったりしたこともあったけど、チームのために考えて全うできた。それは間違いなく、大学にいったからこそ成長できた部分だったと思います。

大学時代は高校生までと違って授業も自分で選べるし、生活をコントロールしやすいと思うので、その時間をうまく使っていろんな挑戦をしてほしい。僕がそうだったように、大学時代は無我夢中でチャレンジできる最後の期間。それが自分の将来に大きな意味や価値をもたらす経験になると思うので、『やりたい』と思ったことはなんでも、そのチャンスを逃さずに挑戦してほしいです。」と。


最後、4回に渡った連載の記事は、こう締めくくられていた。

誰も歩いていない、まっさらな道を切り拓く。石川祐希が歩む「世界」はこれからもきっと、広がり続ける。大学時代に踏み出したあの一歩から、すべては始まっている。


読み終えた私は、何かをやり残した後悔とかがあるわけではないけれど、『大学っていいなー。学生スポーツっていいなー。』と、心の底から、改めて、思った。

特にも、石川選手の「大学4年間は常に“チーム”を意識する時間でした」という言葉に共感した。打ち込む競技や、その競技レベルに違いはあれど、おそらく、大学の部活でスポーツをやる、というのは、そういうことなのだろう。中学や高校の時には感じることができない“何か”が、大学にはある。

それは、自由による楽しさ かもしれないし、自由による苦しさかもしれないし、はたまた、全く別のことかもしれない。


石川選手の苦悩から、“チーム”について、私が感じたことがある。それは、

『自分はいらないんじゃないか』と思うことより、『ここにいたい』と思うことの方が、大変なことなのかもしれない

ということ。 そして、

どこかで、自分の行動が『誰かや何かのために』切り替わる瞬間が訪れる

ということ。


これが、“学生スポーツ”の期間を、現役の選手としては既に終えている私が考える、“何か”の正体の一部でもある。


人は、時にして、自分の居場所や存在理由みたいなものを求める事がある。もちろん私も、例外ではない。

でもたぶん、そんなものは、どこにあるわけでもない。それでも、必要とされていたいというのが、ごく自然な私達の願望なのだろう。

だからこそ、その存在意味や価値というのは、自分で自由に見い出していいものなんじゃないかなと、私は思う。その自分が見い出したモノが、何かをする使命感となるかもしれないし、誰かへの優しさに変わるかもしれない。


チームって、複雑だ…。と、いつも思う。人が複数いて、ちゃんと力を合わせるって、結構難しい。

でも、チームワークが“ハマる”瞬間っていうのがあって、それは、いつも自分の想像をグーーッと遥かに超える、面白さと気持ち良さがあって、そして、何回経験しても、いつも新鮮に思えるのが不思議だと、私は感じる。

『チームワークって、精神的なモノでしょ?』と考える方も、いるかもしれない。

でも例えば、試合での失点や、あるいは勝負に敗れた時、「誰かのせいだ!アイツのせいだ!」って簡単に言えないのは、どこかでその“繋がり”を感じているからかもしれない。


記事に取り上げられている石川選手は、プロのバレーボーラー。

『スゴイ人』である。

私は別に、プロのスポーツ選手でもなければ、こういう特集を組まれるような『スゴイ』ものは、特にない。


でもたぶん、それが、何かを諦める理由や言い訳にはならない。“平凡な自分”が踏み出した一歩で、拓ける道が、きっとある。

いつの時でも、目の前の出来事に対処し、備えて準備をする。そんな“淡々力”を大切にできるようでありたい。


『消費している時間』と『生産している時間』。

今の自分は、どちらを選択しているのか。そして、それが今、相応しいのか。

こんな自問自答を繰り返しながら、『平凡でスゴイ人』に、少しずつ近づいていければいいなと思う。



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