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高貴な心で、信条通り正しく:『自省録』

行動と思考は相反するものである。それらに真剣に向き合ったことがあるならばこの両立の難しさは身に染みていることだろう。ところがこの2つは平等ではない。その良し悪しはともかく、思考なしで行動のみという生き方もできるだろう。しかしその逆は不可能である。

これは思考を放棄する理由にはならない。もし直感と経験だけをもとに行動するなら、それはほとんど動物と同じだろう。人間は行動と思考を、理性と感性を天秤にかける。その絶え間ない試みのひとつが表現されているのが『自省録』という本である。

書いたのは「哲人皇帝」として名高いマルクス・アウレリウスである。本来はただの備忘録であり、完全に皇帝自身のためだけに書かれている。部下や後継者へ向けたものですらない。それにもかかわらず2千年近くにも渡り残ったこの本はどのようなことを伝えているのか。

この世の儚さ

『自省録』の中で何度も強調されるものとして、名声の儚さという一種のニヒリズムが挙げられる。

なんとすべてのものはすみやかに消え失せてしまうことだろう。その体自体は宇宙の中に、それに関する記憶は永遠の中に。

これはマルクスが学んだ哲学者たちの影響もあるのだろう。現代ではその思想は後期ストア派に分類されているものの、本書を読めばそれ以外の考えも柔軟に取り入れていたことがわかる。

思想はもちろんだが、このような結論に至ったのはローマ皇帝として直面した現実によるものも大きいだろう。ローマの長く強固な伝統はその原動力でもあったが、それを形作っていた人間は遥かにもろいものだった。

このような虚無感に対してマルクスが出した結論はよく見られるような絶望でも、単なる諦めでもなかった。

ここから勇気と理性を引き出すこと。それが皇帝としての偉大さを彼に与えたのである。

倫理と道徳

世の中が儚く意味のないものだとするなら自分のなすことはどう決めればよいのか。何をしても同じだというなら、大変な結論が出ることもある。ニヒリズムが引き起こした事件は枚挙にいとまがない。

渦巻に足をさらわれてしまうな。あらゆる衝動において正義の要求するところに添い、あらゆる思念において理解力を堅持せよ。

 第四巻

自ら定めた基準、それを正義や徳などと呼ぶにしろ、これに忠実であることは簡単なことではない。雰囲気や常識はこれの代わりに安心を与えるものとして存在している。

しかしいかにもっともらしく見えても、結局は納得のいかない自分と心の中で同居する事態に陥る。「自分自身と一致すること」を貫くためにも先ほどの勇気と理性が不可欠になるのである。

他者との関係

哲学者のハンナ・アレントによれば、ローマでは死とは「人々の間にいることをやめる」ことと同意義であった。もちろん皇帝といえどこの事情は同じである。『自省録』の他人に対する対応にも言及している。

笑止千万なことには、人間は自分の悪を避けない。ところがそれは可能なのだ。しかし他人の悪は避ける。ところがそれは不可能なのである。

第七巻

皇帝という権力のある立場で描かれながらも、『自省録』において他人の非を無理に責めるようなことはない。

それはその人の性分であり外部から簡単に変えられるものではない。自分にその資格や能力があるときに限り正しい道へと導くよう説かれている。マルクスはこれを行動で示したことがある。

長い戦争が敵の降伏によって終わったとき、配下の将校が叛逆を企てた。彼は軍国主義者で、叛逆の理由は平和主義であったマルクスへの反感だとされている。皇帝は死んだと言いふらし、自分を後継者に仕立てようとした。一度は支持されたが、皇帝が生きていることが知れると人々はこの将校は殺されてしまった。

帰還したマルクスはこれを聞き、話し合いによって将校に理解してもらえなかったことを悔やんだ。彼の遺族や支持者は依然として残っていたが、これらの人々にも寛大な処置をとるよう自ら取り計らった。これを示す元老院への手紙が残っている。

誤りや悪事に対して全く無縁である人間はいない。それは自分も同じである。寛大な心は深い反省を前提としていた。

現代における読み方

この『自省録』が岩波文庫として収められたのは1956年である。訳を行った精神科医で思想家の神谷美恵子も1979年に亡くなってしまったことを考えると、原書はもちろん日本語訳としてもかなりの年月を経た本である。

一方でそのことばは未だその鮮烈さを失ってはいない。生の儚さから勇気を生み出す姿勢はむしろ現代において注目すべきものかもしれない。

私たちは常に運命や必然に脅かされている。意図しない出来事が大きな影響を引き起こすことも日常茶飯事である。これは結局、どんなに技術が発展したとしても無くなることのない困難である。

そこで2つの道がある。ひとつは困難から目を背けるか、非難や批判で遠ざけることでこれから逃げ出すことである。弱いことは仕方のないことなのだから。しかし逃げた先が楽園である保証もまたないのだ。

もうひとつの生き方は、苦痛に向き合いそれでもなお自身を見失わない強さをもとめることである。

ランプの光は、それが消えるまでは輝き、その明るさを失わない。それなのに君はの内なる真理と正義と節制とは、君よりも先に消えてなくなってしまうのであろうか。

第十二巻

これは決して楽な道ではなく、おそらくマルクスにとってもそうであった。『自省録』は教訓を与える本ではなく、自らへの戒めであったことを忘れてはならない。この本が「白」というなら、その時「黒」へ流されてしまう現実があったのである。

思考と現実、この両者は紀元前から現代まで相変わらず大きな溝を作っている。その間という儚い立場でどう振る舞うべきか。

皇帝マルクス・アウレリウスは58歳でその生涯を閉じる。

ここで生きているとすれば、もうよく慣れていることだ。またよそへ行くとすば、それは君のお望み通りだ。また死ぬとすれば、君の使命を終えたわけだ。以上のほかに何ものもない。だから勇気を出せ。

第十巻

死後、彼を敬愛した人々は彼を守護神として祀った。それは一世紀もの間続き、この『自省録』も永遠の書物となるのである。


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