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#11 香川 / 讃岐うどん

描いて旅する日記、ひさびさの更新です。
この春夏はちょっとバタバタしてあっというまに秋!
年内いくつ進めるかなあ。(俺は動くよ!)

さて、ひさびさ11県目は香川!
香川は日本で一番小さい県なんですって。でも芸術祭もあるし、小豆島はじめ各島も魅力的だし、映画の舞台も多いし、うどんファンめちゃくちゃ多いし、素晴らしいブランディング。四国ってそういわれると4県ともキャラ立ってるなあ。

今回は大好きな「かまど」とどっちにしようか迷いました。ちなみに「かまど」は香川の銘菓でこちら!こういう口のキャラクターいそう。

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引用元:名物かまど

「厳選された白いんげん豆と県産卵の黄味のみをふんだんに使って炊きあげた上品な黄味餡を、風味豊かな皮で包んだ讃岐銘菓」とのことで、美味しいのですよーー。写真のノーマル味しか食べたことないけど、季節限定で春は「桜かまど」、初夏は「新茶かまど」、秋は「栗かまど」、冬は「チョコかまど」が出るのだって…!!ぜんぶ美味しそう…!!!!

昭和11年創業の和菓子店で、晴れの多い瀬戸内海で昔から盛んだった製塩に使われたかまどをイメージした和菓子。ほんとに見た目も質感もかまどっぽくてフォルムもかわいいね。

ちなみに香川の方々が「懐かしい〜〜〜!!!」となるかまどのCMがこちら。インパクトがすごい!(かわいいとトラウマの間…!)関西人にとっての「ピアノ売ってちょうだい」的な存在なのかな。

引用元:名物かまど

そんなわけで、今回は「かまど」を断念してこちらをテーマにしました!

だだん!

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#11 香川 / 讃岐うどん

ベタかなーーと思ったんですが、やっぱりそこに根付いて親しまれた「理由」がちゃんとあるはずで、そういうのとても気になるのです。昔ブラタモリでもやってて「へええええ」ってなった記憶があって、改めてちゃんと調べてみようと思って今回はこちらも大好きな讃岐うどんにしてみました。

「なぜ香川でうどんが広まった?」「あの太さと強いコシには理由がある?」「釜玉は讃岐オリジナルスタイル?」などなどビフォア疑問が絶えませんが、ざっくり調べたものを、ざっくり書いてみます。

なぜ香川でうどんが広まった?

・空海が1200年くらい前に中国からうどん製法を持ち帰った(一説)
・降雨量と川が少なく稲作に不向きでかわりに小麦作りが盛んになった
・うどんに欠かせない製塩、醤油、イリコづくりが偶然にも栄えていた

なんでも中国からだねーーーーーー!
たしかに「饂飩」って漢字で書くと中国からきた感じするな。タモリさんが「うどん発祥は九州!」と言う理由もなんだか納得。
日本には空海が持ち帰ってうどんにつながり、ヨーロッパではマルコポーロが持ち帰ってパスタにつながったとか(ただどちらも一説)。
当時は団子状のものだったらしく、今みたいな細長いかたちになったのは江戸時代ですって。意外と最近(最近の定義)。ちなみに江戸時代前は醤油が貴重なものだったから、お味噌とかで煮込まれたらしい。お味噌万能。

香川は遠浅で製塩も盛んだったって、、、まさかここで「かまど」につながるとは…!ひとり勝手に感動。

あの太さとコシには理由がある?

第二次大戦のあと数年の間にうどん店がめちゃくちゃ増えて、競争が激しくなって、茹でた後時間がたっても劣化せず、のびないようにしっかり踏み鍛えられた麺が生まれ、それが広まっていったとか。競争が個性を生むとは、考えさせられますなあ。

釜玉は讃岐オリジナルスタイル?

釜玉が生まれたのって平成入ってからなんですって!元祖的な印象でした。地元の人がそういう食べ方してて、お店の人が真似してみたら「めっちゃ美味しいやん」でメニュー化したんだって。柔軟さブラボー!

小麦粉ってなんとなーーーーーく戦後にアメリカからどん!と入ってきたイメージがあったけど、弥生時代から食用に育てられてて、大和朝廷の頃には玄米と麦が主食で、そんな古くから小麦粉とつきあいあったんだと驚き。

讃岐うどんといえば水曜どうでしょう

最後に急旋回。

讃岐うどんの第一次ブームは大阪万博らしく、そのあと瀬戸大橋や明石大橋が開通したこと、カトキチの冷凍さぬきうどんの誕生、それらが大きく影響したとのことですが、第四次?五次?ブームに「水曜どうでしょう」はあるんじゃねえかと思ってます。

讃岐うどんを食べに四国を訪れた人の5%くらいはどうでしょうきっかけじゃないかな…というくらい、四国八十八ヶ所で大泉さんが「うまい!」というシーンは食欲そそりましたね。

世の中がもうちょっと落ち着いたら、またレンタカーで四国うどん行脚したいな〜〜〜!!オールシーズン行って、季節限定かまくらをお土産に買って帰るんだい!!

ではでは、次は四国さいごの徳島。
何にしようかな〜〜〜〜〜〜たのしみ!