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胡桃の殻を割っていたら1時間半も経っていた

娘が最近、農家からヘーゼルナッツを買って帰ってきた。ビニール袋に入って、5ドル。かなり安い。が、娘は面倒くさがりなので、そのまま放置。

見かねた夫が「ナッツ入れの木のボウルには、古いナッツが入ったままだ。全部捨ててヘーゼルナッツを入れよう」と言った。

私は「え、でもまだ食べられるのがあるかも?」と思い、夫が捨てる前にと急いでチェックをした。ひとつ胡桃を開けたら、まだ食べられた。

これ、どこで買ったんだっけ。いや、拾ったような気がする。友達を訪ねてワナカに行った時に、公園で拾ったんだった・・・んじゃないかな?

何にしても、数年経っているはずなのに食べられるのは偉い! さすがオイルがたくさん入ってる! しかも酸化してない! 胡桃は偉い。

そんなことを考えながら、1つずつ割りはじめる。ぐちゃっと割るんじゃなくて、綺麗に半分に割る。それは、胡桃の殻のボートを作りたいからだ。

胡桃の殻は、厚いものもあれば、薄いものもあった。中の仕切りになっている部分も、しっかりしているものと薄っぺらいものがあった。薄いからと言って、量が少ないとか、そういうことはなかった。

違う木の胡桃だったんだろうな。拾った時には気づかなかった。

けっこう手間も時間もかかることが分かり、これだったらYouTubeかなんか見ながらやろうかな、と思ったのだけど、我慢した。

それは、最近、アフリカペンキ画家のSHOGENさんが、確か3歳の子に「SHOGENは一緒にいてもここにいないから、つまらない」と言われた、という話をしていたのを聞いたからだ。

そうなのよ。私もとにかく時間を節約しようとして、マルチタスクするのが習慣になってるんだけど、これを見直そうと思っているんですよ。その時に、その時のことをする。しっかり胡桃に向き合おうと。

そこで、慎重に、慎重に割ってるうちに、1時間半も経っていた。ああ・・・他にやることが色々あるのに・・・と思ってしまう。

売っている剥き胡桃は、一体どのように剥かれているのだろう。どこかの国のお婆さんが、ひとつひとつ時間をかけて剥いて、わずかな収入を得ているんだろうか。それとも、賢い機械があって、上手に割りながら中身を取り出しているのだろうか。

こんなことを思い巡らせることができるのは、やっぱり頭がゆっくりになって、考えが湧くからだろうなあ。YouTubeを見てたら、手は動いていても、頭は完全にそっちに行ってしまって、胡桃から考えられることも考えなかったかもしれないものなあ。

大体、私は一体いつから、こんなにいつも忙しくなってしまったのだろう。もういい大人なんだから、ゆとりっていうものがあってもいいんじゃないか、と思うのに、追い立てられるように次々に新しい「やるべきこと」を生活の中に押し入れてしまう。

望んでいた生活って、こんなものなんだろうか? いや、望んでいた生活なんていうものがあるんだろうか? 

なんか、目の前のことばかりを考えて、全体像が見えていなかったように思える。

今年、私は還暦を迎える。人生一回りだ。これからの人生を納得いく形で過ごすために、時間の使い方を考え直したいと思う。

時間がもったいないような気がするけど、24時間をしっかり、その時その時で生きる。ひとつのことにマインドフルに生きる。それをこれからの創造的な生き方の基本にできるだろうか、私のような情報ジャンキー/マルチタスク人間が!? 

今年は、心がけます。心して、スローダウンしていきます。それで見えてくるものがあるように思えます。




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