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9月1日の朝、私は逃げた。

大人になって、社会人になって間もない頃。

ある日ある時、明日が来るのが、なんだか嫌だなぁ、憂鬱だなぁとふと思った。このまま何もせず何も残さず、(死にたいとまで思わないけど)なんとなく消えてみたいなぁと思ったことが、まれに何度かあった。

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新卒で入社した会社では、総合職採用。北関東のとある支店に営業配属になった。当時その業界、その支店では女性の総合職がまだ珍しくて、毎日なんとも言えぬやりづらさを感じていた。社会人一年目、ただ素直に地道にやれば良いものを、頑固で見栄っ張りで、自立心とプライドの塊「ザ・長女」な私は、周りに上手く甘えたり頼ったりが全然出来なかった。世渡り下手くそか。

そんな時は、家族にも友人にも恋人にも表面的なことしか言えず、ブログに本音を綴っていた。その中で名前も顔も知らぬ方が一人、読者になってくれて、彼は理由あって休職中ということだった。私は普段おしゃべりなくせに、肝心なことを話そうとするとうまく言葉が出ないことがある。でも書くのならいくらでも出来た。匿名の存在に、しばらく気持ちが救われていた。

丸一年も迎えられず、年末を前に私はその会社を辞めた。もはやよく覚えていないけど、多分一週間か二週間の間に東京での家を決め、一気に荷物をまとめ、そこでの仕事と人間関係から逃げるように、一人で引っ越しをした。(あのときは火事場の馬鹿力だったと思う)

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引っ越して晴れてフリーターになってから半月程経ち、年下の従姉妹から、大学の学園祭で演劇に出るのでゼヒ見に来てほしい、と言われた。私のアパートから数駅だったし、予定も何も無かったので、見に行くねとすぐに返事をした。彼女の専攻はインドネシア語。インドネシア語劇で主役のお姫様を演じていた。

演劇鑑賞が終わり、模擬店などで賑わうキャンパス内をフラフラしてから、大学最寄りの駅に向かった。都内といえども武蔵野の郊外にあり、電車の本数も少ない、小さな駅だった。

そこで、初老の紳士に出会った。駅には私と彼と、あと数人くらいしかいなかった。突然、彼から話しかけられた。どうやら彼も語学劇を見ていて、私が斜め前の席にいたらしい。

「会場内で貴女を見かけて印象的だったので、つい話しかけてしまって」

と仰った。当時おじさまキラー(?)だった私は、一瞬ナンパか…?と思いつつ、なんだか話しやすい、親しみやすい方だなぁ…と感じ、そのまま電車でも隣に座り話し込んでしまった。元々は大手銀行員で国際業務などの担当をしており、アジアやオセアニアなど様々な国に駐在したことがあると話された。もちろんインドネシアにも。

数駅ですぐ乗り換えとなったけど、私はあと少しその方のお話を聞いてみたかった。彼もまだ話し足りなさそうにしていた。つい10分前程に出会った私達は何故か意気投合し、「話の続きはコーヒーでも飲みながら!」と電車を乗り換えずに駅構内のカフェでお茶することにした。

その時すでに銀行を定年退職されて、母校の私立大学がファイナンス関連の社会人向けスクールを開設しており、そこの事務局長を務めているのだとか。そしてちょうど、昼間に入れる事務アルバイトを探していたらしい。「貴女がもし興味があるなら」と連絡先を交換した。

私は文字通り、フラフラしていたところを見事に拾ってもらった。その数日後、履歴書を持って彼のオフィスのある日本橋までおいで、と連絡があった。私は即採用してもらえた。後から聞くと、あの他愛ないお茶の時間が、実質面接のようなものだったらしい。

父親よりも年の離れたその方は、私が東京にいる間、いつも娘のように私を可愛がってくれた。子供のいないご夫婦だった。クラシックコンサートに連れて行ってくれたり、本を買ってくださったりもした。あるとき「君は砂に水が染み込む様に、人の話を聞くね。」と褒めてくださった。実の父親とさほど仲が良くない私は、東京での親代わりのような、そんな存在が有り難かった。

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一年後、私は正社員になっていた。アルバイトをしながらの再就職活動が難航している私を見かねたその方が、ご自身が働いていた銀行のグループ会社に声をかけ紹介してくれたおかげだった。(つまりはコネ就職。嫌味を言う人もいたけど、自力でつかんだコネなので、大目に見てほしい)転職先で初任給が出た頃に、奥様にお電話をして、お二人にささやかなプレゼントを買い、お礼の手紙を書いた。

次の職場でも、悩んだ事や挫けた事は多少あったけれど。やってみたかった人事部の仕事にも就けた。今の夫とも出会って結婚に至った。妊娠・出産後に地元支店への転勤の発令があり、自分の故郷で子育てするチャンスにも恵まれた。

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最初の会社で鬱々とした日々は…例えるなら始業式が、明日からの日々が億劫になるような、8月31日の夜にどこか似ていた。

格好悪かったけれど、当時の私は、ただ自分の心が向く方に逃げた。

でも、そこで奇しくも出会った人がいて、新しく開けた世界があって、新しく与えられた仕事があった。そしてまた、人に出会った。今度はここで頑張ってみようとも思えた。

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教訓めいたことは言えないけれど、もしこれを読んでくれたあなたが、まだ学生さんなのだとしたら。理由あって9月1日の朝が来るのが、嫌で憂鬱でたまらないとしたら。

今は自分の世界も可能性も、自分自身で狭めないでほしい。時に休んで、逃げて、ぶらついて、誰かに愚痴って甘えながら、歩き疲れたらまた休んで。

若かった私は現にそんな風に生きてきたし、そんな風にしか生きられなかったけど。

振り返ると、意外と足跡がついていて、道が出来ていたりするものだから。

私にはあなたの人生を変えることは出来ないけれど、

こんな大人もいるんだって、知ってもらえればいいのかなと思う。

そして今夜、あなたの気持ちが少し軽くなれば、更にいいのになと思う。


#8月31日の夜に

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