ヨガ界に浸透している「他者への寛容性」のワナ
いつも私のブログをお読み頂きありがとうございます。より良いヨガ界を育むヒントとなれば幸いです。昨日の記事に書いた「他者への寛容性」についてもう少し洞察を深めたいと思います。
昔、学校で起きたことを思い出したので、以下に簡潔に記します。
或るいじめられっ子がイジメを受けていました。
しかし、そのいじめられっ子がとうとう「イジメの証拠」を掴むことに成功しました。
その証拠と共に先生にイジメを報告しました。
その後、学級会(先生・いじめっ子・いじめられっ子・同級生が参加者)が開かれ、先生がいじめっ子に「イジメはいけませんよ!」と直接注意して下さいました。
すると意外なことに、そのいじめっ子は反論する事もなく「ごめんなさい、ごめんなさい」といきなりイジメられっ子に対して謝り始めました。そして驚くべきことに、最終的には「ごめんなさい、、、こんなに謝っている私に結局は何をして欲しいの?」という論調に入ったのです。
何故か、いじめられっ子が責め立てられている状況に陥ったのです。
周りの同級生(傍観者)も「こんなに謝っているのだから、もうちょっと寛容な心をもって許せばいいのにね」といった雰囲気になっていました(注意深く見ると、そのイジメっ子に罪意識がないことは明白でしたが)。
そのいじめられっ子が求めていたものは、そのいじめっ子に「罪」の意識をもってもらい、その上で謝罪する、それだけだったと思います。
明らかに罪意識を持っていないのに謝っている素振りだけをしていたそのいじめっ子を思い出しました。
「他者への寛容性とは、結局は、頭のいい人の言い逃れの逃げ道に過ぎないのか」
と思い至ったことを思い出しました。
ところで、話はそれますが、映画「謝罪の王様」は日本の謝罪社会を皮肉っており、お勧めの映画です。特に映画の前半部分は「罪意識のない謝罪法」をギャグ交じりにしかし的確に表現しており、その点が秀逸な作品となっております。
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