見出し画像

自己啓発本にキレる

私は自己啓発本が大好きだ。
人の本棚をいつか見てみたいと思っている。
その人が話す内容よりも、もっと深く、普段から何を考えて生きているのかがわかるから。
私も、もし本棚を見られる機会があるのなら、どんな人間かすぐにわかってもらえる自信がある。

今まで自己啓発本はたくさん読んできた。
たくさん読んできたけれど、別に人生観が変わったことはない。何かを得たのかといえば即答はできず、ただ自分の人生に悲観的になったことぐらい。
無理やり一つ挙げるとすれば、自分のこだわりがだんだんと明確になってきたことだろうか。

私は頭が固い。柔軟な思考ができない。
どれくらい固いかというと、人と違う意見は全て否定だと捉えてしまうくらい。本を読んでいても、〈〜である。〉だったり、〈〜はいけない。〉と断定された書き方をしている本は全て途中で断念してメルカリ行きになっている。
我慢して読めば読むほど、あぁ、違う意見ね、はいはい。と流せればいいものを、なんでこんな風に言われなければいけないんだ!顔も知らないやつに!と怒りが収まらなくなってしまう。
信念がダメな方向に強いせいで、この〈自分と違う意見〉というものを受け入れることができない。

色々な本を読んでいると、明らかに気が強い人が書いたなと言うのがわかる文体が出てくる。それこそ、断定が多い人はまさにその典型。
私はこういうのにムカつくんです、とか、
いや、私は〜なんだけど。とか、
そういう言い方をする人はもれなく全員苦手だ。
自分に向けてじゃなくても、責められていると感じる。言われるだけでも心底不快なものだが、文字でもその言葉遣いをすることってあるんだな…と毎回驚かされる。
ストレートな悪口と違って、文字は永遠に残るからこそ、じわじわと傷つけられている感覚になる。敵意がある、攻撃性のある言い方しかできない人間とは仲良くなれない。
過度に陰キャ下げをしたり、日本下げをしたりする本などもまた然り。こういった本にあたってしまうと、めちゃくちゃ悔しい。

パートナーとか相方という言葉も嫌いだ。自己啓発本を読んでいると、前書きや後書きに必ずと言っていいほど登場する、夫、妻、子ども、その他諸々。
私が今頼れる人間が身近にいないせいもあるだろうが、どれだけ苦労話をされてもこの単語が出たら、「いやいやいや。そんなん言うてるけど、結局味方してくれる人おるんやん。頼ればええやん。そんな相手がおっといて何様なんその発言?」と私の中の性格悪いヤツがひょっこり顔を出す。だから、結婚している人も基本的に苦手なのである。(結婚相手をしくった場合はまた話が変わってきますが)
別に結婚することが味方を手に入れることには繋がらないし、未婚の人が味方がいないことにはならない。でも、そこまで進むことができるくらいの人と出会えたなら、それだけで私とは住む世界が違うと思うのだ。
昨日、Yahooニュースの記事でも見たけれど、私は結婚願望なんてこれっぽっちもない。子どもも要らない。この腐った遺伝子を誰かに繋げるなんて、そんな末恐ろしいことはできない。生涯、おひとりさまでいい。
でも、私を受け入れてくれる誰かは欲しい。

残念ながら、これらのこだわりは間違いなく自己成長の妨げになっているし、傍からしても迷惑極まりない考え方だろう。
でも、じゃあ一体、どうすればいいのか。

自己啓発本を読めば、解決する?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?