表紙20

【雑記】その男の名は、カリマタジュンジ。

練馬の片隅に存在する、小さなゲーム会社『イクシール』。
その小さなピラミッドの頂点に立つ男の名を狩俣と言います。

狩俣と書いて、カリマタと読みます。

私の勤める会社のボスです。

南国の楽園、沖縄出身
天使のような恵比寿顔
薄く縮れたウェービーヘア。
重厚な脂肪に包まれた屈強なボディ。
沖縄で最も硬い菓子『いちゃガリガリ』をも噛み砕く強靭な顎。

ボスの姿を一目見れば、誰もが、脳にその印象を深く刻むことになります。

趣味は、怪談話料理
『怖くない怪談会』を定期的に一人で開催しています。
参加者は他にいません。

そんなボスですが、悲しいことに誰にも名前を覚えてもらえません。見た目は分かりやすいのに、名前は分かりにくいようです。

なぜか狩俣(カリマタ)のことを、大多数の人々は、こう呼びます。

猪俣(イノマタ)と。

なぜ!?

なかなか正確に名前を覚えてもらえません。

狩俣がゲームの『スタッフクレジットに入れる名前は、いつも必ず、
じゅんじ・ダビッドソン・かりまた
なのですが、名前を覚えてもらえないコンプレックスから、このような名前をゲームを刻んでいるのかもしれません。

ご飯を食べに行こうとすると、定休日。
予約を入れてお店に行くと、予約が入っていないと言われる、そんな男です。


狩俣との出会い

初めて私が狩俣に出会ったのは、もう20年以上も前です。

当時、東京で新しく設立されたエクスレイズという小さなゲーム開発会社に、私は新メンバーとして誘われたのですが、その会社に先に所属していたプログラマーの一人が狩俣でした。

そのプログラマーの中には、後に一緒にイクシールというゲーム開発会社を一緒に作ることになる佐倉というプログラマーもいました。

初めて会った狩俣がどういう人物か全くわからなかったので、しばらく観察していたところ、その会社内での役割としては、

・昼と夜にご飯を作って、一食50円で皆に振る舞う(安くて旨い!)
・他のプログラマーやプランナーと、どうでもいい話題で熱く議論する
・PlayStation用ゲーム開発のために、ライブラリ開発を担当
・3Dやトゥーンシェーダーの研究担当(当時はかなり早い時期にトゥーンシェーダーを実現していた)
・24時間365日、恵比寿顔
・みんなの相談役(?)

…といったところでしょうか。
ゲーム開発チームを目立たないところで支えているような存在でした。縁の下の力持ち的な。

…いや、ご飯を皆に振る舞い、ニコニコと笑顔を絶やさず、ゲーム開発のメンバーを裏から支えて優しく見守る存在…、それはつまり、

『お母さん』ですね!

その会社での『お母さん』のポジションにいたのが、狩俣です。

リアルで狩俣を知っている身としては、実に気持ち悪いですね。


狩俣とのゲーム開発

プログラマーとしての狩俣は、ゲーム開発という面では、あまり前面に立つことは少なく、裏方として研究やツール開発等のサポート役を担うことが多かったように思います。

狩俣のゲームクリエイター人生の転機は2回ありました。

1回目は、ゲームデザイナーへのジョブチェンジです。

昔、池袋に新しくゲーム会社を作るという話が出た時に、企画書や仕様書を担当できる人が足りなかったので、
「あー、狩俣さんならゲームデザイナーができそう」
と、軽い気持ちからジョブチェンジを勧めてしまったのが私です。

ゲーム知識も豊富で、技術にも明るく、雑学王でもあるので、適任だなあと。

プログラマーからゲームデザイナーにジョブチェンジした狩俣と一緒に開発したゲームが、PlayStation2の、とある格闘アクションゲームでした。

私も人生初の開発ディレクターを担当することになったのですが、開発外の要因で色々と問題がたくさん発生し、狩俣と私は、地獄のような苦労を積み重ねてゲームを完成させた記憶があります。

会社に泊まり込みを続け、連日の徹夜仕事で、音声収録用の台本を手分けして作ったり、徹夜で完成させたゲームROMを持って、狩俣と始発で幕張のゲームショウ会場に持って行ったり。

無我夢中での開発でしたが、このプロジェクトで、狩俣とは戦友になったように思います。

そのプロジェクトも、何とか無事にマスターアップを迎えることができ、狩俣はゲームデザイナーとしての大役を終えたことで、沖縄へと静かに帰還していきました…。

狩俣の夢である、『沖縄のゲーム業界の発展に貢献したい』という想いを果たすために。


帰ってきた狩俣

その後、数年が経過し、佐倉というプログラマーと私とで、新しくゲーム開発会社を作ろうという話が出ます。

それが、今のイクシールという会社です。

しかし、新しくゲーム開発会社を作るとしても、佐倉も私も社長を担えるタイプではないので、代わりに社長を任せられる信用できる人物が必要です。

誰なら任せられそうかと考えた時に、候補として真っ先に名前が挙がったのが、狩俣です。(狩俣以外の候補案はゼロでしたが…)

・真面目で裏表がなく、絶対に信頼を裏切らない
・自己犠牲型で、周囲の幸せの為に身を粉にできる
・責任感が強い
・付き合いも長く、戦友である

・顔が覚えやすい

他にも色々と社長に相応しいと思える理由は有ったのですが、最後の『顔が覚えやすい』という理由が、一番比重が高かったかもしれません。

社長の顔とは、会社のシンボルなので。

イクシールというゲーム開発会社を作ろうと計画を始めた当時、狩俣は東京でのゲーム開発人生に区切りをつけ、沖縄に帰って、悠々自適の執筆活動を始めていました。

その時に書いた本が、下記の本になります。

『逆引きゲームプログラミング』 著者:万里 ゆうじ https://amzn.to/2W45i2A

そんなウチナータイムに身を置き、優雅な日々を過ごす狩俣に、突然、連絡を取り、東京に来てもらい、決起人である佐倉の二名で説得する流れになりました。

場所は深夜のファミレス。

その場には、狩俣、佐倉、私の三名のみ。

狩俣から、
「…で、どういうことなのか、ちゃんと直接話を聞かせてほしい」
と言われ、佐倉が会社設立計画の経緯を語り始めました。

「…そういうことで、社長をやらへん?」

「ゲームクリエイターとして、もう全部やりきったと言えるの?」

「一生に一度の人生やで?」

「社長を任せられるのは、お前しかおらへんねん」

というようなことを、佐倉が一生懸命熱く語っていたような気がします。
話し下手な私は、横で黙々とご飯を食べていましたが、気付いたらもう佐倉と狩俣は意気投合して熱い抱擁を交わしていました。

ご飯を食べている間に、狩俣の人生の起動を180度変えてしまったようです。

狩俣のゲームクリエイター人生の転機『1回目』が、ゲームデザイナーへのジョブチェンジでしたが、『2回目』がこのタイミングです。

運命共同体になり、一緒にゲーム開発会社としてイクシールを作り、もう14年目に突入しましたが、ゲームクリエイターとして、狩俣の『挑戦』と『ゲーム開発人生』は、まだまだ続くのです…!

今後の、じゅんじ・ダビッドソン・かりまたの活躍にご期待ください。


★イクシールのホームページ★
http://www.ixill.net/

★BOOTHのイクシール通販サイト★
https://ixill.booth.pm/

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