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息子のことで悩んでるのに、息子の真似をすると”クヨクヨ悩むループ”から抜けだせる。

私は息子のカンシャクで悩んでいる。
わりとクヨクヨ悩んでいる。

療育の先生にそうだんしたり、
本を読んだり、
主治医の先生にも相談したりして。

「そうだ、今度新しくできた療育施設の人に聞いてみようかな」
「さっき、息子がカンシャクを起こした時の私の対応はあれでよかったのかなー。」
カンシャクの矛先はいつも私だ、
「カンシャクを起せる対象人物がいるということは心を許せる場所があるということだよね、それっていいことではないか。そうだ、いいことだ。。。」

こんな具合にズルズルと、クヨクヨクヨクヨ考えて悩んでいる。

そして、悩みながら家に帰る。

朝、保育園でカンシャクを起こして、
そのままカンシャク別れした母子の対面。

先におばあちゃんの家に帰ってきていた息子が
『ママ―、おかえりー。』と普通の顔で迎えてくれる。

そして普通の顔で私に抱きついてくる。

朝、カンシャク別れしたことなんかスッカリ忘れている様子。
ホントに忘れてるのかな?
それともそんな過去のことはどうでもよくなっちゃったのかな?
それか、イヤなことはもう思い出すのが嫌なのか?

いずれにしても、
今、この時点では私と息子の関係は良好だ。
朝のことをわざわざ蒸し返すのもちゃうな。

そんな息子を見ていると、
クヨクヨ悩むことって意味ないな、と思ってしまう。

息子はADHDという特性上
保育園でつらい思いをすることがある。
私が保育園に迎えに行くと息子のお友達が、密告してくれるのだ。

「今日ね、せいちゃんが大きな声で怒鳴ってたよ。」
「今日ね、せいちゃんが、お砂場でないてたよ。」
「今日ね、・・・・・」

そうか、私が知らないところで息子にも色々あるんだ。

でも、
家ではそういう話は一切しない。

過去のことを思い出してお話しすることが少ない。

家ではレゴ戦いごっごかくれんぼゲームYouTubeで忙しいのだ。
楽しくないことを思い出してくよくよしている暇など息子にはないのだ。
そんなことをしていては楽しいことができない。

そして、
眠りに落ちる直前の息子の顔をみてびっくりしたことがある。
にっこり笑っているのだ。

この子はきっと保育園でもいろいろあったに違いない。
楽しいことも面白いこともつらいことも悲しいこともあった。

そのうえで、にっこり笑って眠りにつこうとしている。
眠りに落ちる直前、ほとんど意識がない状態の息子が
にっこり笑いながら眠りに落ちる。
なんてすごいんだろう。
マジ、神だわ。

悩むことは意味ないし百害あって一利なしだってことはわかるが
大人になると悩んでしまう。
悩んでしまうものは仕方がない。
私はこれからもくよくよ悩むと思う。

でも、
くよくよ悩まないでも生きている人がいて、
そのひとはとても幸せそうだ。
ちょうどそういう人が目の前にいる。
すると、「真似してみようかな」と思える。
そして、くよくよ悩むループから外れることができる。

うまいことできてるな、世の中は。

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