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なぜ田舎の山奥でお店を開くのか

2022年9月9日に鹿児島県の枕崎市に「山猫瓶詰研究所」をOPENさせた。
築120年の旧郵便局を買い取り、ショップ・カフェ、瓶詰製品製造、1組限定の宿にリノベーションしたお店だ。

山猫が待ち受ける瓶詰研究所

2年以上前の2020年。お酒を飲んでぼんやりと家のソファーに座っていたときに1件の「古びた郵便局が壊される、誰か何かしませんか?」という記事をみた。このレトロな郵便局が壊されるのはもったいない。

そんな思いで記事を書いた枕崎市の地域おこし協力隊だったリッカさんに連絡をし、この郵便局を見させてもらった。当初は1組限定の宿にしようと見に行ったが、思っていたよりも周りには民家があり、そして地域の住民の方と話をすると、この建物に思い入れがある方が多いというのも伝わってきた。

地域の方も入れるようなお店の方がいいなとぼんやりと思い、郵便局から魔女をイメージしたジャム工房はどうかとか考えたのだが、どうもしっくりこない。

枕崎というと「かつお節」。かつお節に魔女は合う気がしない。
そんなことを考えていると、急に宮沢賢治の「注文の多い料理店」が頭の中に浮かんできた。

枕崎のもともと、金山のエリアで遊郭があった今でもミステリアスな空気感の場所。そこに注文の多い料理店のように山猫が人を待ち受けているのは「かつお節」ともイメージが合う。
そしてその地域周辺を情報収集すると、有機栽培の農家さんや有名な日本最古のハーブ園もあった。

山猫が美味しくて健康になれるような食べ物を作り、それを食べるために人が訪れる。最終的にその人間たちを山猫は食べようとしているとは知らずに……。

有機栽培の野菜を使ったピクルスや、米粉やきび砂糖を使ったマフィン、食物繊維たっぷりのサツマイモを使ったカタラーナ(クリームブリュレの起源となった洋菓子)。その他にも山猫をモチーフにした雑貨の数々。

そんなイメージからできあがったのが「山猫瓶詰研究所」。

お店を作るということ

お店の運営については約5年前、2017年にイワシビルというお店を人口1万9千人の生まれ育った鹿児島県阿久根市でOPENさせた。

観光地でもないこの町で元生命保険会社のガッチリした3F建てビルを1Fショップ・カフェ、2F工場、3F簡易宿泊施設にリノベーション。ここでも雑貨やアパレルなど、いろんなことを試してきた。

田舎でこういった取り組みは珍しく、さまざまなメディアに掲載してもらったし、いろんな地域から面白い人たちが集まってきた。

私の会社はもともと鹿児島県の阿久根市で水産加工業を主に営んでいる会社だが、メイン工場は隣の薩摩川内市にあることから、阿久根にも拠点を作りたいというのと直接お客様に販売できる自分達の商品を販売できるお店が欲しいとイワシビルを作ったのだ。

2013年に販売開始した「旅する丸干し」という商品の影響も大きい。さまざまな賞を受賞し、多くのメディアにも取り上げていただいた。この商品が無かったらお店を作ろうという気にもならなかっただろう。

しかしなぜこんな田舎に私はお店を作るのだろうか……。

なにか会社として勝算があるというわけでも計算高いというわけでもない。それよりも人としての生き方を考えるとそのようにした方がいい気がしたからお店を構えるのだと思う。

「自分」という存在をどう解釈するのか

私は小学3年生から塾に通い、学校が終わると塾、日曜日はテストと、中学受験のために勉強をしていた。最初のころは鹿児島県のランキングにも入っていたらしい。
鹿児島の名門ラサール中学入学も夢ではない!そんな期待を周りに持たせながら、私はどんどん勉強をしなくなる。

今思うとなんてことないのだが、その当時は勉強が嫌だったのか小学生なのに髪の毛には白髪ができ、死ぬとどうなるのだろうかとぼんやりと外を眺めていたことを覚えている。

親もその様子に気づいたのか、塾には無理に行かなくてもいいよと言ってくれたのだが、私は辞めなかった。なにか苦しいというのが理由で途中で辞めるのが嫌だったのと、周りの期待を裏切ることになると思っていたのではないかと思う。

案の定中学受験はそこそこの学校に合格し、高校受験が無いことをいいことに、そこからまったく勉強しなくなる。机に座った記憶さえないし、宿題もやっていたのかさえ怪しい(でも先生に怒られた記憶もないから上手くやっていたのだと思う)。

中学の時に「ソフィーの世界」という本を読んだ。なぜ読んだのかも覚えていないが「哲学」というものに興味を持ちだしたのもこの本からだと思うし、小学校の頃から人は何故生まれてきたのかとか、何故宇宙は存在するのかとかはよく考えていた気がする。

自分はなぜ生まれてきたのか。

大学時代に自分は実家の下園薩男商店を継ぐのが自分の生まれてきた意味なんじゃないかと思うようになった。そしてそう覚悟を決めた。

ITバブルだった社会人時代。最初は急成長するIT企業に就職した。とてつもなく忙しかったが充実した日々だった。人手が足りなかったというのもあるが、入社1年目から数多くの大手企業の仕事をやらせてもらって、今でもあのときの経験をとても感謝している。

そこから実家の水産加工業を継ぐために築地の近くの水産会社に修行のために転職するのだが、IT企業を辞めた直後、まずはゆっくりしようと六本木近くのお寺で座禅を予約して受けに行った。

「無」というものになってみたかった。
座禅部屋には私一人で、やり方を一通り教わり、1時間くらいだったかやらせてもらった。まったく「無」というものがわからず、そして知らない人とはしゃべりたがらない性格だった私が一人でお寺に座禅を受けるということで心もいっぱいいっぱいだったのかもしれない。

終わってからお坊さんに別の部屋に通されお茶をいただいた。
「なぜ座禅をしにきたのですか?」と言われ
「無というものを経験してみたかった」と答えた。

お坊さんは「無にはなれなかったでしょう?座禅をすると(足が痛いな)とか(虫が鳴いているな)とか色んな事が頭をよぎるのです。無というものはなく、そこにいるのはあなた自身なのです」と言われたのだった。

何を言ってるのか理解もできず、わかってもいないのに「わかりました……」とそそくさと退散したのを覚えている。

しかしその後、会社の代表になり、あのお坊さんの言っていたことをなぜか思い出す。恐らくずっと忘れていたのだと思うけど、ここ数年で思い出したのだ。

今であればあのお坊さんが言っていたことがなんとなく分かる気がする。
自分という存在。座禅をしてわかるのは、そこに痛がっているという自分がそこに「いる」と再認識すること。自分という意識があり、その意識が自分の体を確認している。なにか高い所から自分というものを俯瞰して見れるようになった気がする。

今取り組むことで未来が変わる

自分という存在をどこかほかの所から見ているからか、どんな過程があろうとも最終的にどうするかということを考えている気がする。

自分というものはいつか終わる。
それは明日かもしれないし、何十年後かもしれない。

だからこそ、短期的に優雅な暮らしを目指すとかではなく、こういう人がこんなものを残したんだよと後世に伝えられる存在になりたいのかもしれない。それで人は銅像を残すのだ。

自分が詩人や芸術家、職人に憧れるのもそのためかもしれない。そういった人たちを見ると羨ましいし、自分も職人でありたい。生きている中で大切なのは「哲学」と「アート」だと思っている。どのように物事を定義し、そして誰かが何か言うのではなく、自分が良いと思う感覚を研ぎ澄ます。

だから私は今、田舎でお店を開くのだろう。
なんでこんな場所にそんなお店ができるんだと思われるようなお店。ただ単にお店をやるというだけではダメだ。お店をやることに意義を見出さなければならない。

下園薩男商店の企業理念は
今あるコトに一手間加え、それを誇り楽しみ、人生を豊かにする

この理念のもとに、その地域に一手間加える。現在は過去からの延長線上にあり、自分たちが何をするかでその未来へつながる。

私に共感して入ってくれている人たちもいる。もっと稼げる会社もあるだろうに、それだけではないと思ってくれている。そんな子たちに生きている中での考え方というのを少しでも伝えられたらなと思う。

しかし、経済規模を大きくしないと社会に対してインパクトは与えられないのも事実。そういった考えの中の矛盾と対話することで次の道も見えてくるだろう。

知っていないと絶対に来ないような場所にある「山猫瓶詰研究所」。
偶然通りかかったというお客様は皆無だろう。
こんな場所でお店が成り立てば、どんな場所でもできるはず。

著:下園薩男商店 薩男三代目

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