季節を味わう、七十二候のしらべ。「綿柎開く(わたのはなしべひらく)」

note投稿12回目である。
投稿10回目を過ぎたあたりから、自分の語彙量の少なさ、使える言葉のバリエーションの少なさが気になりだした。

そこで語彙を増やし、また日本の文化について学ぶためにも5日に1回のペースで「七十ニ候(しちじゅうにこう)」を紹介して行こうと思う。

「七十ニ候」とはなんぞやと言うところを簡単に説明したい。
人々は昔から、太陽と月の巡りをみながら季節や月日を捉えていた。
その中でも、太陽の巡りに着目し、地球が太陽の周りを一周するまでの長さを一年とするのが太陽暦。
月の巡りに着目し、次が新月から次の新月になるまでの長さを一ヶ月とするのが太陰暦である。

季節は一年の中でも移ろいゆくので、それを四等分したのが春夏秋冬、更にそれを六等分したものが二十四節気、それを更にそれぞれ初候・次候・末候の三つに分けたものが七十ニ候である。

七十ニ候の面白いところは、「蛙」、「虹」、「桃」など季節の草花、果物、自然現象を使って季節を表しているところである。
今では馴染みのない言葉もあるが、昔の日本の季節の芽吹きを感じて、その時その時の季節を楽しめる投稿にしていきたい。

それでは今の七十ニ候を見ていく。

綿柎開く(わたのはなしべひらく)



新暦では8月23日〜27日 二十四節気「処暑」の初候

「柎」とは花の萼(がく)のことで、綿の実を包む萼が開く頃と言う意味である。
綿はアオイ科の植物で、7月~9月に黄色いやクリーム色の花を咲かせ、花が落ちると固い身をつけ、その実がはじけて白い綿が顔をのぞかせる。

なぜ綿が季節を表す言葉になったかと言うと、綿の生産ができるようになり、庶民の衣服事情が大きく好転したことと関係あるだらう。
綿の栽培はインド・ペルーでは紀元前から行われていたが、日本への普及は平安時代頃で、実際に栽培に成功したのは室町、戦国時代と言われている。

日本古来からある衣服原料としては、軽くて暖かい絹があげられるが、これはやんごとなき一部の人々のものだったので、殆どの人は麻や樹皮の服を着るしかなく、冬を乗り越えるのは相当厳しい、命懸けである。

しかし、綿栽培が始まることでどれほど多くの命が救われたことだろう。
だからこそ毎年秋にかけて綿が順調に育つことに感謝し、「柎開く」瞬間を心待ちにしていたからこそこの言葉が季節を表す言葉になったと思った。

補足事項
・季節の言葉 綿花 
・季節の果物 すだち (旬は8月~9月) 
・季節の魚介 かさご (旬は夏)
・季節の行事 茨城県伊奈の綱火、富士吉田の火祭り


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