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【連載】岩波文庫で読む 「感染症」第8回|人間は油断する生き物である 志賀直哉「流行感冒」|山本貴光

 この何年か、『文藝』(河出書房新社)という雑誌で文芸季評を担当してきた。同誌は季節に一度刊行されるので、毎回過去三カ月分の文芸各誌を読んで、これはと感じたものについて述べるという趣向である。一種の定点観測とでもいおうか。

 2018年から現在まで、およそ2550作の小説や詩に目を通した勘定である(長短に関係なく、また連載の各回も一作と数えている)。このくらいのささやかな規模でも続けて観察していると、全体としての変化も感じられてくるから面白い。その季評のある回で「小説のマスク率」などと述べてみたのも一例で、2019年末から始まった新型コロナウイルスのパンデミックが進むにつれて、現代日本文芸の世界にもその影響の広がる様子が作品を通じて見て取れたのだった。

 現代を舞台とする小説では、作中の人物もマスクを着用し、手指を消毒し、ソーシャルディスタンスを保ったり、人と会う代わりにヴィデオチャットツールのZoomでやりとりをしたりするケースも増えてきた(Zoomが圧倒的シェア)。逆に2021年の日本を舞台にしながら新型コロナウイルスや感染予防に触れられていないと(もちろんそれはそれでよいのだが)、一種のパラレルワールドを描いたファンタジーに見えてきたりもする。他方で文芸誌に掲載された作品をすべて読む立場の者としては、現実ばかりか小説のなかまでパンデミックのようで少々息苦しかったりもする。

 文芸は、社会に生じた変化や出来事を書き留め、後に伝えるメディアでもある。そのつもりで振り返ってみると、日本の文芸の歴史には時代ごとのさまざまな病について記されてきた。これについては、この一年半ほどのあいだにいくつかのアンソロジーや論集が刊行されている。例えばその一冊に、ロバート・キャンベル編著『日本古典と感染症』(角川ソフィア文庫)がある。

 同書は、日本の古典に見られる感染症について、編者による概論を筆頭に、『万葉集』から明治期までを14人の研究者たちがさまざまな点から論じたものだ。もちろんこれで日本文学の1300年ほどの歴史を網羅できるわけではないものの、通して読めばロバート・キャンベルが巻頭の文章で指摘する「日本の文学には感染症の痕跡がいたるところにあります」という次第を実感できるだろう。

 感染症は「人類の歴史の基本的なパラメーターであり、決定要因であり続けるだろう」とは、歴史学者ウィリアム・H・マクニールが『疫病と世界史』(上下巻、佐々木昭夫訳、中公文庫)で同書の締めくくりに記した言葉だった。文芸作品や古典もまた、そうした歴史の常数としての感染症を記録しているわけである。


 実際のところ、日本ではこれまでどのような感染症が記録されてきただろう。

 こんなとき頼りになるのが医学史家の富士川游(1865-1940)による『日本疾病史』(1912)だ。この本では、文字通りの博捜によって集められた資料によって、「疫病」、「痘瘡とうそう(天然痘)」、「水痘(みずぼうそう)」、「麻疹」、「風疹」、「虎列刺コレラ」、「流行性感冒(インフルエンザ)」、「ちょう窒扶斯チフス」、「赤痢」といった病について、その名称や歴史、原因や療法などが資料からの引用を交えてまとめられている。現在では平凡社の東洋文庫で読むことができる(松田道雄解説、東洋文庫133、1969)。

 とりわけ「年表」あるいは「疫史」と題された項目には、古くは『日本書紀』以降の資料に現れるそれぞれの病に関わる記述が列挙されており、日本の歴史が疫病とともにあった様子を嫌というほど実感できる。

 そんなわけなので、岩波文庫に限ってみても日本の古典や文芸にあらわれた感染症について述べようと思ったら、この連載で10回や20回は優に書けるだけの材料がある。どうすべきかおおいに迷うところだが、ここではいまから100年ほど前に書かれた二つの文章を並べてみたい。ひとつは志賀直哉の「流行感冒」である。いまひとつについては次回触れることにしよう。


 志賀直哉(1883-1971)の「流行感冒」は、1919年(大正8年)に雑誌『白樺』で発表された短篇小説だ。岩波文庫では『小僧の神様 他十篇』(緑46-2)に入っている。

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 その前に「流行感冒」あるいは「流行性感冒」という言葉について見ておこう。先に触れた富士川游の『日本疾病史』では「流行性感冒」の「名義」についてこんな説明がある。名前の由来に加えて、過去の記録に触れる手つきもお目にかけたいので引いてみる。

流行性感冒は、明治二十三年の春、我が邦にインフルエンツァの大流行ありしとき、新に用いられたる名称にして、該病の状態に基づきて名づけたるなり。この病、昔時より我が邦に存せしか否かは詳かならず。平安時代の記録に、咳逆、咳病、咳逆疫等の流行を記載せるものあり。下りて鎌倉時代及び室町時代にも、咳病の流行せることは数々挙げられたり。その咳逆又は咳病というものは、咳嗽シワブキを発するの病の義にして、「源氏物語」夕顔の巻に、『この暁よりシハブキヤミにや侍らん』といい、また「増鏡」に、『元徳元年、ことしはいかなるにかシハブキヤミはやりて人多くうせ給ふ中に、云云』というもの、すなわちこれなり。
(東洋文庫版、248ページ)

 これに続いて『医心方』(当時の医学書)、『伊呂波字類抄』、『増補下学集』、『枳園随筆』、『時習録』、『医療手引草』、『時還読我書』、『内科秘録』、『証治要訣』、『韓氏医通』、『医学源流肯綮大成』、『内科撰要』、『医療正始』、『コレラ病論』などを参照しながら関連する記述を紹介している。

 念のために言えば、富士川游がこれを書いたのは1912年のことで、いまのようにインターネットでちょっと検索という手は使えない。自分で書物を集め読み抜粋しているわけである。こういう人の書いたものを読むと、おいそれと博覧強記という言葉を人に使おうという気にはなれなかったりする。

 それはさておき、「流行性感冒」という言葉は明治23年(1890年)のインフルエンザ流行時に使われるようになったという。志賀直哉の「流行感冒」は1919年(大正8年)の小説で、こちらの流行感冒は1918年から19年にかけて世界で大流行した、いわゆる「スペイン風邪」、より正しくは「スペイン・インフルエンザ」のこと。インフルエンザはウイルス由来であり、風邪はまた別の症候群なので本来区別しなければならないのだが、しばしば混同されてもいたようだ。

 このスペイン・インフルエンザの日本における状況を徹底的に調べあげてまとめられた労作に速水融『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ――人類とウイルスの第一次世界戦争』(藤原書店、2006)がある。同書によると、このときのインフルエンザによる死亡者は「世界全体で二〇〇〇万人から四五〇〇万、日本では内地だけでも筆者の計算では五〇万人近くに達する」(同書、13ページ)という。当時の世界の人口は20億人たらずで、これを現在の人口の比率に換算すると、死亡者数は世界で6000万から1億2千万人、日本は120万人相当と見積もられている。

 目下私たちが経験している新型コロナウイルスはどうかといえば、世界での感染者数は2億3161万人超、死亡者は474万人以上という推計がある。この数字はジョンズ・ホプキンス大学がウェブで公開しているCOVID-19ダッシュボードによる(2021年9月26日22:21現在)。

COVID-19ダッシュボード

 一概に比較はできないものの、スペイン・インフルエンザの影響がいかに大きなものだったかを想像する一助になるだろう。歴史家のアルフレッド・W・クロスビーによる名著のタイトルを借りれば、『史上最悪のインフルエンザ』(西村秀一訳・解説、みすず書房)だった。


 さて、それで志賀直哉の「流行感冒」である。語り手は子煩悩の父親で、妻と娘とともに暮らしている。最初の子供を失ったこともあり、まだ幼い娘の左枝子には過保護気味の気の配りよう。そこへ流行性の感冒が彼らの住む町にもやってくる。彼はこんなふうに考える人物だ(以下の引用では2002年に改版されたものを使う)。

私はそれをどうかして自家うちに入れないようにしたいと考えた。その前、町の医者が、近く催される小学校の運動会に左枝子を連れて来る事を妻に勧めていた。しかしその頃は感冒がはやり出していたから、私は運動会へは誰もやらぬ事にした。実際運動会で大分病人が多くなったという噂を聴 いた。私はそれでも時々東京に出た。そして可恐可恐こわごわ自動 電話をかけたりした。しかし幸いに自家の者は誰も冒されなかった。隣まで来ていて何事もなかった。女中を町へ使にやるような場合にも私たちはぐずぐず店先で話し込んだりせぬようにと喧しくいった。女中たちも衛生思想からではなしに、我々の騒ぎ方に釣り込まれて、恐ろしがっている風だった。とにかく可恐がっていてくれれば私は満足だった。
(同書、146ページ)

 これは偶然だが、私たちもこの夏、世界規模の「運動会」を行うことの是非、あるいは会場へ子供を観覧に行かせるか否かについて人それぞれ考えさせられ、選択を迫られたところだった。「私」は娘にうつらないよう細心の注意を払っている。流行感冒(インフルエンザ)の感染を恐れており、極力人との接触を避ける。ただ、実際のところどのくらい恐ろしい病として認識していのかは分からない。

 というのも、同じ流行感冒への反応として書かれた菊池寛(1888-1948)の「マスク」(1920年)に登場する語り手はさらに徹底しているからだ。彼は新聞に載る毎日の死亡者数をチェックして感染の状況を確認する。また、万が一にも罹患して死にたくないとの一心から各種の措置をとる。まず自分を含め家の者にはなるべく外出させない。朝夕、過酸化水素水(オキシドール)でうがいする。やむを得ない外出時は「ガーゼを沢山詰めた」マスクをつける。出るとき帰るときには丁寧にうがいする。ここに手洗いと消毒を加えれば、100年後とほぼ変わらない。

 この人物と比べると、「流行感冒」の「私」はそこまで深刻ではないようにも見える。「マスク」の語り手は自分の感染を恐れていたのに対して、「流行感冒」の「私」は娘の感染を心配しているという違いなのかもしれない。前回、ウォルター・リップマンの「疑似環境」という見方に触れた。同じパンデミックに際しても、どう見るか、どう感じるかは人それぞれで、それは各人の脳裡にあるこの世界の模型、疑似環境が違っているからだ、という見立てだった。スペイン・インフルエンザに関する小説にも、そうした人それぞれの反応の違いが見えるようだ。

 ところで先ほどの引用箇所から、「私」は「女中」を2人雇えるだけの経済状況であるらしいことが分かる。この小説の中心にあるのは、同家で雇っている「石」という名の女中に対して悪印象をもっている「私」の心境とその変化だった。詳しいことは作品に任せるとして、ここで必要な範囲で要約しておこう。

 ある日、石は用事で外出するが夜になっても帰ってこない。彼女は、「私」から行ってはならぬと禁じられていた芝居を見に出かけていたのだが、嘘をついてごまかす。いまなら芝居の代わりに緊急事態宣言下で行われた大規模な音楽イヴェントに出かけるといったところだろうか。それはともかく、後に嘘がバレる。けしからん、出て行けということになるが、妻のとりなしで留まることになる。そんな一悶着があった後で、「私」の心境も変わる。

三週間ほど経った。流行感冒もだいぶ下火になった。三、四百人の女工を使っている町の製糸工場では四人死んだというような噂が一段落ついた話として話されていた。私は気をゆるした。
(同書、165ページ)

 家に作業に来た植木屋からうつって、「私」も流行感冒にかかってしまう。40度近い熱で寝込む。皮肉なことに一家のなかで誰よりも警戒していたはずの「私」が病を招き入れた格好である。

 もとはといえば「私」が女中の観劇を禁じたのも感染予防のためだった。これは結果論だが、流行が「下火になった」という油断があった。無理もない。大きくうねる波のように感染者数、あるいは重症者や死者数が増減し、目下は第5波を数え、遠からず第6波も来ると予想される現在、まったく他人事とは思えない出来事だ。彼に同情するわけではないけれど、これほど過敏になっている人でさえ、四六時中警戒しつづけるのは難しいということだろう。さまざまな制度や対策にしても、人間とはそういうものだという前提で設計・運営しないと絵に描いた餅になる。まことに人間は油断する生き物であるからだ。

 それからどうなったか。「私」の心配も虚しくインフルエンザは、やがて妻に伝染する。きみというもう1人の女中に伝染する(彼女は重症化する)。東京から呼び寄せた看護婦に伝染する。とうとう娘にも伝染する。結局、以前罹患済みのもう一人の看護婦と石はかからずに済んだ。石はこの間、普段以上に働いて家のきりもりをする。それを見た「私」は、それまで石に対して持っていた悪い感情を改める。というのはなんだか現金なようだが、そんなものかもしれない。

 岩波文庫の作家本人の「あとがき」によれば、「流行感冒」は「事実をありのままに書いた」(207ページ)のだという。

 これから100年後の人びとが、2020年代はじめの小説を見たらどう感じるだろう。「なんだか20世紀はじめころから変わってないな」と思うのか、「私たちも同じようなものだね」と思うのか、はたまた別の感想を抱くだろうか。いずれにしても、日々の泡のように現れては流れ去ってゆくニュースやSNSへの投稿とは別に、小説のようにある分量のことばでなければ綴れないような状況を書き残すことで、未来の人びとに手がかりが残せるわけである。

*本編で触れた以外に、次の本を参考にした。
内海孝『感染症の近代史』(日本史リブレット96、山川出版社、2016)
磯田道史『感染症の日本史』(文春新書1279、文藝春秋、2020)
 どちらも主に江戸期以降の日本における感染症を通覧する本で、このテーマについて見通しを得るうえで有益。

石井正己『感染症文学論序説――文豪たちはいかに書いたか』(河出書房新社、2021)
 明治から昭和中頃までの日本の文芸作品に描かれた各種感染症を論じた本。コレラ、結核、疱瘡、ペスト、赤痢、スペイン風邪(スペイン・インフルエンザ)などが登場する。本書を読むと、「歴史の基本的パラメーター」である感染症が、文芸の歴史においても常数 であることが分かる。

『文豪たちのスペイン風邪』(紅野謙介、金貴粉解説、紙礫14、皓星社、2021)
 およそ100年前に大流行した「スペイン風邪(スペイン・インフルエンザ)」について書かれた文芸作品を集めて編んだアンソロジー。ここで触れた志賀直哉「流行感冒」や菊池寛「マスク」も入っている。
山本貴光(やまもと・たかみつ)
文筆家・ゲーム作家。
コーエーでのゲーム開発を経て、文筆・翻訳、専門学校・大学での教育に携わる。立命館大学大学院講師を経て、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。
著書に『記憶のデザイン』(筑摩書房)、『マルジナリアでつかまえて』『投壜通信』(本の雑誌社)、『世界が変わるプログラム入門』(ちくまプリマー新書)、『文学問題(F+f)+』(幻戯書房)、『「百学連環」を読む』(三省堂)ほか。共著に『人文的、あまりに人文的』(吉川浩満と共著、本の雑誌社)、『その悩み、エピクテトスなら、こう言うね。』(吉川との共著、筑摩書房)、『高校生のためのゲームで考える人工知能』(三宅陽一郎との共著、ちくまプリマー新書)、『脳がわかれば心がわかるか』(吉川との共著、太田出版)ほか。
twitter @yakumoizuru


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