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ドミニカ移住 #6 : イポドロモの人びとと接する

このnoteは、文化人類学や地域研究を学んでいた当時大学3年生(21歳)だった私が、小さいころからの夢だった海外でのフィールドワークを行うため、野球が盛んなドミニカ共和国(以下、ドミニカ)に移住した合計約10か月の記憶を綴ったものです。


人を”みる”少年たち

___________2018.5.29

 火曜日の朝はまたデイビッドたちと一緒にイポドロモに足を運ぶ。到着して約一週間が経ったが、彼らが話している言葉はいまだに半分も理解できない。しかし、心のどこかでは既に、デイビッドやウェリントンがいるこのイポドロモを自分の調査地(フィールド地)にしたいと思っていた。

 私が(トニーの付き添いなしで)一人でイポドロモへ行くようになると、少年たちの顔つきや態度がどこかそれまでとは違うような気がしてきた。私が一人で立っていると、前の日までは横眼を配るだけだった選手たちがぞろぞろと周りに集まってきた。「名前は?」「なにしにここに来たの」「今そこで何してるの」「×××」…と、初対面にもかかわらずここに書けないようなスラングまで放り込んでくる彼らに、かなり戸惑った(スペイン語の単語帳には載っていないスラング?的な言葉はこの後のドミニカ滞在中、日常的に触れていくことになるが、そのほとんどはここの野球少年たちから教えてもらったといっても過言ではない…)。最初は興味本位で近づいてきた少年たちも、何度か言葉を交わすと(日本的感覚だと)からかいの言葉をかけてくることが多かった。今思えば、言葉をまともに話せない私に原因があるのだが、当時は真剣に向き合ってもらえないことがとても悔しく、何とも言えない気持ちになった。

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みんな同じ・・・

 最も困ったのは顔と名前を覚えること。ドミニカ人に慣れていない私には、彼らの顔がみんな同じに見えてしまう。丁寧に名前を教えてくれても、群に入ってしまえばだれがだれだか全くわからなかった。調査のためには、彼ら一人一人のことを覚えてもっとそのパーソナルな部分まで知る必要がある。「まずはここからか…」無数にいる選手を見渡し、気が遠くなる思いだった。





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