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【歴史シリーズ】楠木正成に思ふこと【其の三】

「終戦の日」を迎えるにあたって


本日、79回目の「終戦記念日」を迎えました。

(その呼び名に対する議論は一旦は置いておきます)


そんな折、

昨日のことですが、驚くべきニュースが飛び込んできました!

皆さんも既にご覧になったのではないでしょうか?


残念ながらオリンピックには興味がなく、

殆ど一切観ていないに等しいのですが、^^;


日の丸を背負って戦った選手の中に、

このようなメッセージを発せられる御方がいたとは!!

(しかもとてもお若いのに。。。)


同じような驚きを持って見られた方も多かったのではないでしょうか?


知覧特攻平和会館の思ひ出


以前、というか最初のブログにて、

特攻平和会館初代館長板津忠正さんとの思ひ出について纏めました。


このような次第で、

知覧特攻平和会館には3度も足を運ばせていただき、

四千点もあると言う遺書にも殆ど全てに目を通させていただき、

関連する書物やジャーナリストの方からも直接お話しを聞く中で、

のっぴきならない強烈な思い入れがずっと心に刻まれている次第です。


特攻隊の遺書の中の多くに書かれている四文字熟語こそ、

「七生報国」(しちしょうほうこく)

というものですが、

この言葉こそは本シリーズのテーマである

楠木正成公(大楠公)の精神(=楠公精神)

を現す言葉であり、

『太平記』の中にある「七生滅賊」(「七度生まれ変わり朝敵を滅ぼさん」)

という言葉を典拠にしております。m(_ _)m


前回のシリーズでは、

吉田松陰先生の「七生説」を引用しつつ詳しく取り上げました。


「アンパンマンミュージアム」に纏わる都市伝説?


冒頭の早田ひな選手ですが、

知覧特攻平和会館と並んで行きたいところとして

「アンパンマンミュージアム」

を挙げられていました。


「特攻隊」と「アンパンマン」?


一見関係がないように思えますが、

実はこの二つに関して実に興味深いお話がございます。

ちょうど、今朝のラジオでもそれが話題になっておりました。m(_ _)m


「『アンパンマン』と特攻の歴史」

という副題が付けられていますが、


なんとアンパンマンの作者であるやなせたかし先生の弟さんは、

「人間魚雷回天」の搭乗員であり、戦死されていたとのこと。


そう思って改めて、

やなせたかし先生が作詞された『アンパンマンのマーチ』の歌詞を覗くと、

「裏の意味」として違った聴こえ方として訴えてくるものがありませんか?

(これが全日本人の記憶の奥深くにいつもあることはとても大切なこと)


このラジオで話されている通り、

やなせ先生ご自身は「直接の意図はなかった」と明確に否定されています。

のちにぼくは、弟に捧げる「おとうとものがたり」という詩を書きました。これは詩人の谷川俊太郎からも褒められたんです。
ぼくはそんなつもりはなかったのですが、「アンパンマンのマーチ」が弟に捧げられたものだと指摘する人もいます。それだけ、弟と最後の言葉を交わした記憶が深く残っていたのでしょう。

やなせたかし『弟が面会にやってきた』より


僕は学生時代に聞いたこの「説」を真に受けては、

「これは特攻隊の歌なんだ!」

と確定的に言いふらしていたこともあったと思います。


つい先日、「出典」について自説を述べたところですし、

ここはお詫びして訂正をしなければなりません。m(_ _)m


ですが個人的な思いとして、また周辺の情報から考察するに、

「無意識下では弟さんに対する強い思いがあって書かせたのだろう」

という、確信に近いものがございます。m(_ _)m


先ほどの引用の中にもはっきりと

弟と最後の言葉を交わした記憶が深く残っていた

とありましたし、

別の一節にも弟さんへの強い想いが綴られています。m(_ _)m

中学生になってからは顎が伸びてきて、長い顔になりましたが、幼年時代はコンパスで描いたような丸顔でした。アンパンマンを描くとき、どこか弟に似ているところがあって、胸がキュンと切なくなります

やなせたかし『千尋』より


ここで話は変わりますが、

「都市伝説」はここでは終わりません!!(^ ^)


楠木正成公をお祀りする湊川神社は、

JR神戸駅から北(山側)に出てすぐのところにある

(私のかつての職場もこの程近くにございました)


そして、なんと駅から見て反対側に当たる海側には、

関西で唯一の「アンパンマンミュージアム」があるのです!!!


ということで勝手な自説に過ぎませんが、

恐らく誰も言っていないであろう都市伝説のお話でした。。(^◇^;)


「特攻精神」とは「楠公精神」のことである


これも自説とも言えるのですが、先ほど申し上げた通り、


「七生報国」という言葉が多くの遺書の中に書かれていることからも、


また幕末維新の志士たちが崇敬した大楠公の精神が、

特攻兵にも受け継がれたことが容易に想像できることからも、


確信に近いものとしてお伝えしたいところではあります。


無論、特攻隊や大楠公の命運は悲劇そのものであり、

決して美化してはならないものです。


さらに言えば、

「非戦平和」やなせたかし先生が主張されたことでもあります。

戦争というのはいつも、いろいろな理屈をつけるわけです。向こうが非常に悪いから、正義のためにやるんだって言うけれど、正義の戦争なんてものはない。間違いなんです。実態はとにかく計画的殺人で、これはやっちゃいけない。現在でも、それは強く思っています。

やなせたかし『戦争の体験』より


「平和」を考えるに当たって何度も強調したいのは、

ただ「反戦」を唱えるだけでは「平和」は得られないということです。


なぜ戦わなければならなかったのか?

なぜ戦いを避けることができなかったのか?


といった原因や理由を問う姿勢が欠かせないと考えます。


今年の天皇陛下のお言葉の中にも

過去を顧み深い反省の上に立って

という一節がございました。m(_ _)m


世界の平和と我が国の一層の発展」に向けて、

私の出来ることとして国語や歴史の観点から

より一層の研究や考察に精一杯務めて参ります。m(_ _)m


今回もお読みいただき誠にありがとうございます!(^O^)

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