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どの地域の空気になりたいのか

 私はどこで死にたいだろうか、と考えることがある。家族に囲まれてとか、家で/病室でとか、そういうシチュエーションの話ではなくて、宮城とか東京とか、イギリスとかオーストラリアとか、そういった単純な地域としての場所の「どこで」だ。

 育った街である仙台で死にたい、とは思わない。むしろ、全く知らない場所で死んだとしたら、想像するだけでちょっとワクワクする。この問いの核は、どんな土地・地域の空気になりたいか、みたいな特殊な気持ちが関係しているんじゃないか、とも思うのだ。

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 故郷である宮城に帰ってくると、東京との違いに気付かされることがよくある。その中の一つに、救急車の音が違う、というものがある。音自体が違うのではなく、きっと音の響き方が違うのだ。宮城に帰ってくると、東京でよく聞いていた音とは少し違うように感じられる。東京では家と家が近かったり、道路が狭かったりして音がこもっているように聞こえるのだが、宮城では土地が広く、市街地でも開けている場所が多いため響き方が上に響く感じで、ちょっとキンキンする。

 ほかにも、空の感じも違うように思う。宮城の青空は、水色の絵の具を水で溶かしてつるっとした紙に乗せたような"ふわっとした青"だが、東京は水分の少ない青色の絵の具を画用紙に乗せたときのような、ちょっと"ザラっとした青"に感じる。これは冬の昼間限定の話になるが、太陽の光り方も、宮城はまぶしく差し込む感じで、東京は光自体がぼやけている感じだ。夕暮れ時の色合いも違うような気がするが、西日の、あの目に染みる感じは同じだと思う。

むずかしいことを言いますが本当は「青色」なんて「色」はないんですよ
自分の見えてる色があなたの「色」です
(山口つばさ・漫画『ブルーピリオド』11巻 44筆目より引用)

 きっと自分の感じた感覚は誰にも通じない。共感されたって、私はその人とは違う経験を積んできたから、本当の意味で同じ感覚とは言えない。だからこういう感覚を大事にしたいと思えるのだ。

 洗濯物を取りこみ忘れて、すっかり夜になったときにベランダに出る。シチュエーションとしては同じなのに、宮城では自然が持つ静けさが聞こえ、東京では車が通る音や誰かがヒールで歩く音が聞こえる。住んでいるところ自体が違うし、場所によってはその地域でも逆の可能性もあり得ると思うが、私にとってはそれがその地域の夜だ。誰にも譲ることのできない、夜の音がきっと誰にでもあるんだろう。

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 いろんな場所の、いろんな色を見たいし、いろんな音を聞きたい。今はそういうことが容易にできない世の中だけれど、ちょっとずつ、そういう場所の記憶みたいなものを増やしたいと思っている。ここの空気が好きだ、ここの色が好きだ、ここの音は少し苦手だ、そんな地域の好き嫌いを積み重ねていくうちに、ここでなら死んでも自分も空気に馴染めそう、みたいな気持ちが出てくるかもしれない。

 時にどうしようもなく、忙しなく動く社会や人々の流れが嫌になるけれど、私が愛しいと思える地域を、場所を、景色をつくりだしたのは紛れもなくこの流れなのだと思うと、なんだか憎めない。イヤフォンをつけて歩く道も、イヤフォンを外して歩く道も、どちらも好きです。

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