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フィルムカメラをはじめた

 17時を回る秋葉原は、金曜夜ということもあり人が多かった。大勢のうちの一人として、横断歩道を渡る。

 どうしてそんな秋葉原に来たかというと、現像した写真を取りに来たからだ。初めてのフィルム現像。どんな写真ができているか、ワクワクしながら店に向かった。

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 きっかけは、夏の帰省。少し様子が変わった家の中、私の部屋は荒らす人がおらずきちんと片付いていた。本棚の上に、ちょこんと置かれた黒いものがある。気になって手に取ると、それはカメラだった。

 こんなカメラあったっけ、と母に尋ねると、どうやら私が幼い頃に、親が使っていたフィルムカメラのようだった。家族の写真を撮るために買ったのか、誰かから貰ったのかまでは聞いていない。家にある家族写真は、コンパクトデジタルカメラが家に来るまで(おそらく私が小学校に上がる前辺りだろう)、そのフィルムカメラで撮られていたようだ。

 カメラは前の記事にも書いたように好きで、フィルムにも興味があったので、使えるかどうかわからないがとりあえず持ってきた。最初取り付けたとき、よくわからず巻取りのボタンを押してしまった。カメラ屋さんで抜き出してもらい、ついでにセットの仕方を教えてもらった。

 友だちと遊びに行ったときにスマホとは別にそのカメラで写真を撮る。なんだか武器が増えたようだった。


 写真を受け取り、スマホで確認するときちんと撮れていた。やっぱり、デジタルとも、スマホとも違うものだと思う。それは画質的な問題だけでなく、かかる時間や労力が含まれているのだろう。

 スマホでパシャリと撮ったとき、すぐにその画像を確認できる。ぼやけていたらまたすぐに撮り直せる。デジタルも同じで、画質が良く、何百枚と撮れるところから、どこか映画を見ているような気分になる。一枚一枚の重みよりは、その時間の経過がデジタルでの楽しみ方の一つのように感じる。

 でもフィルムは、30枚と限られた中で、どの瞬間を写すか、少し手が止まる。そしてここを撮りたいと思ったとき、私は一瞬カメラの世界に入らなきゃいけない。その画面を見るにはファインダーをのぞき込まないといけないからだ。デジタルやスマホは写真になる画面を少し遠くから見てもいい。フィルムでは、撮るときだけは現実の世界から目を離し、カメラ越しに相手を見るのだ。

 その無防備さが、たまらなく愛しい。あの中に写る画面が、スマホやデジタルでピントを合わせるのとはまた違った美しさがある。

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 最近は、なんか世の中ってつらいこと、苦しいことばっかだな、やってけないな、と思うことが多くなった。世界はキラキラしたものだと思っていたけれど、実際は私がポジティブだった、もしくは社会のあり方に囚われていただけで、本当はもっとこの世界って大変なのかも、と。

 でも、フィルムでシャッターを切ることができる世界は、まだ素敵なんだと思う。どうしようもないことだってたくさんあるけど、自分が残したいと思える景色が、あっいいなって思った何かがあるなら、きっとまだ捨てたもんじゃない。

 夜や夕方、室内など、いろんなところで試しに撮っていたものを見て、次はどんなフィルムにしようか、どんな撮り方をしたらうまく撮れるのだろうかと今悩んでいる。いろいろつらくたって、こうして何かを写したいと思えるなら、きっと私はまだ闘える。


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