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ええかげん論は最高だ!

他の記事でも書いている通り、私は土井善晴先生の料理論と中島岳志先生の利他の考えの組み合わせが本当に大好きです。
この2人が組み合わさることによって、より利他の考えが深まるし土井先生の料理論大好きだ〜!となります。
そして、この二人を組み合わせてくれたミシマ社には毎回本当に感謝をしています。

今回は「料理と利他」からの深化版「ええかげん論」を読みました。
下記は、料理と利他を読み土井先生と中島先生の対談を拝聴した際の記事です。

さて、本題に戻り、「料理と利他」からの深化版ということで、基本的には土井先生の料理の考え方と中島先生の利他の考えを組み合わせながら話が進んでいく構成です。また、以下の引用は全て「ええかげん論」からです。
読んでいてハッとさせられたことや、後から見返したい項目を挙げています。他にも色々書きたい項目はありましたが、そうすると書籍の全部になってしまいますのでひとまずは下記の項目です。

1.受け取っていることに気づく

土井 「器を人間化しているのか、自分の手を道具化しているのか。私たちは、どんな器も手に持って、箸で食べる。これは器と人間をつなげることですね。人
と物、人と自然をつないでいるという感じがするんですよね。」

中島 「はい。受け取っている感じ、なんですよね。それに「気づくこと」によってたぶん、「利他」という世界が、どんどん動いていく。」

他国では食器を直接持つことはみっともないこととされているけど、日本ではお茶碗を包み込むように持ち、白米やお味噌汁の温かさをまずは手のひらで感じそして食材を頂く。
私たちが日常おこなっている食事の中でも、一方的に食事を摂っているということではなく、食材から栄養を受け取るという行動をしている。それに気づけたことがとてもよかったです。

2.「お茶がある」 「お茶がない」

土井「よい盛り付けか、よい盛り付けでないが、それを「お茶があるなあ」「お茶がないなあ」という言い方をしていました。お茶があるのはオッケーやけど、お茶がなかったらあかんということです。それでぜんぶ区別してしまうんです。「お茶がない」というのは、人為的。たとえば、お豆腐を賽の目切りにきれいに切り揃えて白味噌のお汁に入れるよりも、おたまでお豆腐をくるっと掬いとって、丸いのを浮かべる。揃えるんじゃなくて、なにか自然を取り込んで、人為を殺しながら美しくするということ。それを「お茶がある」と言うんですよ。計算尽くみたいなもんはお茶がない。つまらなないこととして捉えているという感覚なんですね。」

中島「今、思い浮かんだのは、ひとつは立川談志さんの落語なんです。立川談志さんは若いとき、落語がめちゃくちゃうまいんですよ。でも年齢を重ねるごとに、わざとうまさを消していった人なんですよね。「うまいことしゃべると伝わらない」と、彼は言っています。技術を見せつけような落語をやると、全然、人に伝わらない。で、ある種の落語の技法をどんどん捨てていき、ある別の境地へ至る。うまいものを技術として出してしまうと伝わりにくくなる、というふうに彼らは考えている。そことつながっているな、なんて思いました。」

人は完全を目指そうとするもそれは良いとは限らず、ある程度自然を残した方がより良いものとなる。しかしそれは、完全を目指すための努力を否定しているわけではなく、一人前にできる状態になった上で、自然を受け入れる。土井先生の言葉をお借りするとそれが「お茶がある」に繋がるんだなと感じました。

3.死者というのは最初につながっている

土井「先生が常に「死者」とおっしゃるけども、結局、元を正せば、死者というのは最初につながっているわけですよね。」

中島「そうなんです。前著「料理と利他」でも、インドの「与格」について触れましたが、私が言葉を話すのではなくて、言葉が私にやってきてとどまっているという、その発信者は、まさに土井先生がおっしゃってくださったように、一義的には死者なんですよね。亡くなった過去の人たちから言葉がやってきて、私に宿り、そしてまた伝わっていく。じゃあその死者の先に何があるかというと、インド人は神だと思っていると思うんです。そして、ずっと受け継がれてきたひとつのバトンを渡すというのが、それぞれが生きてきたダルマ、役割であるというのが、インドの感覚だと思うんですけど、それは私自身の実感として強いですね。」

自分が大きな器という考えにつながるものだと思うんですが、自分の実力を大きく捉えるのではなくあくまでも先駆者たちの功績があっての今だし自分が今頑張ることによって後世へも繋がっていくものだと思います。
与格構文の考えとも重なりますが、自分が何かを創り上げたという意識ではなく、自分にその能力が留まっていると捉えるような謙虚さがあれば、社会も少しずつ良い方向に向かうのではないのかなと思いました。

4.人間は口だけでしゃべっているのか

土井「言葉に関していえば、人間は口だけでしゃべっているのか?ということがありますよね。とくに日本人の場合、言葉が苦手な民族やと思うんです。逆に外国の人はなんであんなに言葉が得意やねんって、思いますけどね。今思い出したんですが、ピカートの「沈黙の世界」に、「黙って!あなたの言葉が聞こえるように」とあるんです。」

中島「言葉以上に伝わることってありますよね。ぐっとうつむいている姿が何よりも雄弁であったり、そういうものがあるはずなんですけど、言わないと伝わらない、ということになっているのは・・・」

土井
「やっぱりなんか西洋的ですよね。きれいに論理的にしゃべるということは。」

中島「そうなんですよね。子どもたちも小学校で「言わないと伝わらないから、ちゃんと何が嫌なのか言いましょう」って言われたりしますよね。そりゃそうなんだけど、言えないぐらい大切なことってあると思うんです。大人も、黙っている子どもの姿を見て、言葉以上の思いをくみとろうとすべきだと思います。」

この文章はとてもハッとしました。私自身うまく会話ができていないな〜と自負しています。幼いころから「言わないと伝わらないでしょう」を言われながらも、言えるんだったら言っているよと心の中で思いながら下を俯くことをしていました。この文章を読むまで「言わないと伝わらない」が大正義だと思っていたのですが、言わなくても感じ取ることが大切だと思ったのと同時に、今そばにいてくれる友人たちは多くを語らない私でもなにか汲み取ってくれているなということを強く感じ、私も汲み取るや感じ取るということを意識的にやっていこうと思いました。

5.感想

今回もダラダラと引用を用いて感想を書いてしましましたが、本当に土井先生と中島先生の対談が心地よく、心が整っていく感じがします。
何回も思いますが、利他という考えに出会えて良かった。そして、土井先生の料理に対する姿勢を通し、また中島先生の優しい解説により利他を理解できるこの対談や書籍に感謝しています。

生きているとこれから先も謎のモヤモヤとした気持ちになるかもしれない。そういう時に利他という考えを持ち合わせることによってどこか生きやすくなる瞬間があるのではないかと強く感じました。
今日もまた良い本を読んだな。みなさん。ぜひ読んでみてください。

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