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経営本のスゝメ 7.

経営本やビジネス書の話題になると、なぜか謎の上から目線で嘲笑するかのような人に遭遇することがある。
大抵その場合、自分には必要ないといった表情を浮かべられていて、自分のやり方に自信があるのは大いに結構なんだけれど、その表情はどこか中途半端な自信に映る。それに、こういった人はそもそもどうやって経営を学ぶのだろうと不思議に思えてならない。
まさか、生まれ持っての天才経営者なんてこともあるまい。

きっとやりたいことをやった結果そこそこうまくいってしまったために、それでイケるという気になってしまうんだろうな。
また、こういう人は往々にして自分にとって未知のことを学ぶのが面倒くせーと思っている節があり、それが本音なんだろうとも推察する。

まぁ、「経営」もずいぶんと見くびられたものだな、と思うけれど、そうであるなら早いうちに小さな失敗をたくさんしておいた方がいい。と老婆心ながら思ったりする。
その程度の先入観や小さな自尊心を抱いたところで、超えられない壁はきっと現れる。自分に見えている世界や理解できることなんてとても小さいのだから、無知の知は早く自覚するに越したことはない。

Twitter(X)の自己紹介欄に好きな言葉として、「知識は荷物になりません 貴方を守る懐刀」と書いている友人がいる。
本当に、いい言葉だなぁと思う。

前置きが長くなった。

だから「経営本のスゝメ」なんである。

仕事でも何でも、基本となる型のようなものが必ずというほどある。
それを学ばず、あてにならない自分の勘を頼りに迷走するくらいなら、どう考えても学んだ方が効率がいい。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という名言があるように、取るに足らない自尊心やプライドのために場当たり的にわかった気になったり、知ったかぶりをするくらいなら先人に学ぶ方が合理的だ。
人生は有限なんだから。

今の時代、知識を得る手段は本に限らないけれど、その信用性、正確性という意味で、今でも筆頭なのはやはり本だと思っている。
また、仮に自分が頑張って転職を繰り返すなどしたとしても現実に経験できること、知ることのできる世界などたかが知れている。つまりそれは、自分の経験したことでしか物事の判断ができないということでもある。
そんな狭い自分の世界を広げ補ってくれるのも、本だとぼくは思っている。

そして、本は著者の人生や経験、叡智の詰まった結晶であり産物である。
そう考えれば、1冊の本との出逢いで人生が変わる人がいるのも何ら不思議なことでもない。
振り返ればぼく自身、意識して本を読み始めたことが転機となったことは間違いないし、本を読んでいなかったら今とは違った人生だった気がしている。

つづく




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