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おそらく、これを「エモい」という。

ぼくがフリーズしてからどれくらい経過しただろう。時間の流れが異様に遅く感じる。
テーブルには、すでに3種類のプチパンがパン皿にセットされていた。

ほどなくして、ぼくのテーブルでは巨匠の方々による談笑がはじまった。
村田さんが口を開かれる。

「さっき、三國におうたら(会うと)、東京弁がうまなってたわ」

なぜか、ぼくはいいことを聞いたような気がして得した気分になった。もちろん、フリーズしたままである。

しばらくすると、村田さんが今度はこう言われた。

「これ、三國のとこのパンとちゃうな」

「ほんまですね。ええ香りしますわ」

ぼくは斜め下45度あたりを見つめたまま微動だにしなので判然としないけれど、返答されたのはおそらく佐々木さんである。

もはや透明な存在だと自分に言い聞かせるぼくは、聴覚機能だけを拡張させた。もちろんそんな特殊能力など備えてはいない。死語でいうところの「耳をダンボ」 にしたのである。

今度は、お二人がパンを召し上がりはじめられた。

「うまいな、このパン」

「ほんま、うまいですね」

「マジっすか。ぜひ、もっと言ってください」

最後のは、有頂天になりそうなぼくの心の声である。

「これ・・・このパン・・・」

中東さんの言葉でぼくは視線を上げ、居ずまいを正した。中東さんがつづけられる。

「このパン、もしかしてキミが作ったパンか」

「は、はい。そうなんです」

「ええパンや。美味しいわ」

村田さんと佐々木さんも

「うまいよ」

「うん。うまい、うまい」

巨匠の方々のあまりの反応の良さに、ぼくはかなり驚いた。平たくいうと、めっちゃ褒めていただいたのである。
「筆舌に尽くし難い」という言葉は、きっとこういった場合に使うのだろう。このときの嬉しさは、まさにそれだった。
が、喜びを表現する余裕もないぼくは、ひたすら「恐縮です。ありがとうございます」をくり返すのみだった。
とりあえず、「うまいパンを作った謎の小僧」程度には認識していただけたことで、この日はどうにか乗りきれそうだと安堵した。

披露宴がはじまり、最初に祝辞とメニュー説明のために三國さんが登壇された。
会場がどよめく。さすが「世界のミクニ」、スターシェフである。
メニュー説明の際、開口一番こう話されたことをいまでも鮮明に憶えている。

「最初に。テーブルに置かれている今日のパンは、オテル・ドゥ・ミクニのものではありません。”友人であるル・プチメックの西山さんが” 今日のために焼いてくれたパンです。(以下、パンの説明)」

今度は、ぼく独りだけが胸中どよめいた。一瞬、わが耳を疑ったけれど隣の松宮さんと目が合ったので間違いない。小躍りするほど嬉しい気持ちを堪え、ぼくはじっとしたまま心の中でスタンディングオベーションを贈った。
しかしこれは三國さんのぼくに対するお心遣いであり、スターシェフのリップサービスであり、きっとご本人はもう忘れられている。けれど、その配慮が嬉しかった。披露宴の間、「さっきの挨拶、録音しておきたかったなぁ」と何度思ったことか。
ぼくは三國さんの言葉を心の中で反芻し、照れくさくも嬉しい気持ちになった。
おそらく若い人たちが一時よく口にしていた「エモい」というのは、きっとこういうときに使うのだろう。しらんけど。

長く、とても濃い1日が終わり緊張から解き放れたぼくは、とてもいい気分で帰路についた。
後日、三國さんが特にお気に召されたのは、「パン・オ・ノワ・レザン(くるみとレーズン)」だったと伝聞で聞いた。どのパンであっても嬉しいのだけれど。

そしてこんな機会は二度とないと思っていた数年後、ぼくは三國さんともう一度ご一緒するという幸運に恵まれることになる。

つづく



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