自己紹介
性格は色んな意味で素直で人懐っこいと多くの方から言われます。実際、他に何かあるかな?と考えましたが、「コレだっ!」といったものがありません。。。
ちなみに今の私の肩書は、2021年10月~宇都宮市に拠点をおくEducarealize Group(学校法人・社会福祉法人・一般社団法人・株式会社)の職員として勤務。今はグループの経営企画室長としても活動しています。現在、4法人28事業を栃木県内で担っています。
また海外事業(ヨーロッパ・アジア)も担わさせていただいており、他にも複数の企業さまの外部パートナーとして携わっております。
座右の銘は、作家である井上ひさしの「むずかしいことをやさしく,やさしいことをふかく,ふかいことをおもしろく,おもしろいことをまじめに,まじめなことをゆかいに,ゆかいなことをいっそうゆかいに」です。
では前置きが長くなりましたが、本題へ。なるべく写真を多く使用しているつもりです。最後まで飽きずに読んでいただけましたら幸いです。
知っていますか?大学時代の学生寮”和敬塾”
大学入学前、友人と「せっかくなら食事もついてるし、大学(@渋谷の國學院大學)へ電車で一本でいけるし、一緒に寮入るか」と、軽々しく入寮を決めました。
しかし、入寮(入塾)後は「部活みたいな寮」と感じる日々が続きました。今になっては笑い話ですが、いろいろありました。例えば入塾初日から、、、
・先輩が自分の視界に入ると、その場で立ち止まり、大声で「こんにちは」
・先輩が自分の視野から離れる際、「失礼します」と、これも大声
・先輩とお昼や夜ご飯を食べる時、ルールがたくさん
まあ中々、このご時世にはふさわしくありません。時には、先輩が無茶振りで一芸をたくさん振ってきた等ありました。(一芸にはルールはありませんが)先輩に会うと「あの時は無茶苦茶だったな」と言われます(笑)。
ですが、この(理不尽の)経験があって今があります。これが私の学生生活。大学生活のスタートです。(飽きずに最後まで読んでくださいね☆)
↓↓↓↓私の同期です。メガバンやインフラ、商社、コンサル、システム、独立など各業界で活躍しています。
和敬塾を説明すると長くなりますが、わかりやすく言うとハリーポッターに出てくる魔法学校「ホグワーツ」のようなものです。5つの寮(東・西・南・北・乾)があり、それぞれの寮で共同生活を送ります。
それぞれの寮には独自の文化がありました。私が入寮した東寮は、とにかく男臭かった寮という印象です。
ちなみに寮が違うから他の寮生とは話さないのか?絡まないのか?と聞かれることもありますが、和敬塾は、当時も今も、寮の行事がとても活発です。
寮を超えても生涯付き合っていける仲間ができます。それは60年以上のという歴史があり、代々先輩方がバトンを繋いできたからです。私が学生時代の時もOBとのお付き合いは多くありました。
↑↑↑↑ 留学生との交流も盛んです。大学3年時の1年間、週一回は韓国人の彼と飲んでいたかもしれません。
彼も本当に無茶苦茶でよく飲み屋に連行されました。そんな彼とは今でも連絡を取り合いますが、韓国の誰もが知る有名企業に就職しています。
和敬塾は、留学生とも交流する機会が多く、そのおかげで韓国、中国、アルゼンチンに行き、留学生の自宅でお世話になりました。(ホテル代がうきました笑)
↑↑↑↑片道30時間以上のフライトを経験したアルゼンチン旅行
イグアスの滝は今でも鮮明に覚えています。
和敬塾は、今でもよく先輩や同期、後輩と仕事話やプライベートでも気軽に話せる、生涯付き合っていける仲間です。
私の前職はコンサル会社ということもあり、出張が毎日でした。その地方で仕事が終わると、終電近くまで、先輩・同期・後輩と飲み歩いていました。そして仲間と毎回話しの話題になるのが体育祭の騎馬戦。
本当に熱いものでした。こんな熱い経験、社会人になってもまだしてないと思っています。9月の最終日曜日、騎馬戦当日まで一年間かけて、筋トレしたり、過去のビデオを遡り、戦略を練ります。
和敬塾内での”真の一番の寮”をかけて戦います。プライドがぶつかり、熱くなるものでした。
友人や彼女を連れてきたり、家族も来てくれましたが、皆感動して、涙流して、帰ってくれます。当時、メディアにも多く報道されました。
私はこの和敬塾で社会人の土台を作りました。和敬塾には、人が育つヒントがたくさん詰まっていると常々感じます。https://www.wakei.org/
大学時代の3つの顔
そんなこんな大学4年間、和敬塾での共同生活をしていましたが、先輩方は私に「とにかく遊ぶだけ遊べ!アクティブに行け」と言われたので、色々私なりに行動しました。
では、何をしたかといったら大きくは3つです。
①本当は、「女の子にモテたい!」と始めた人力車のアルバイト
大学入学時、大してコミュニケーション能力も高いわけではありませんでした。ですが、やはり男だし「女の子にモテたい、かっこいい男になりたい!」という想いは心の底にありました。
ただそんな単純な理由だけで4年間このアルバイトを続けてました。
数千組のお客様を乗せて、浅草の下町を駆け抜け、走り抜きました。浅草に来るお客様を満足させ、感謝され、時にはお客様から言われる言葉に助けられる自分がいました。社員さんから可愛がられ、たくさんの経験をしました。
人力車のアルバイトで
・両親、祖父母家族全員人力車に乗せる事ができ、一つの親孝行ができた
・先輩、同輩、後輩といった友人、知り合いの方に自分が少しでも頑張ってる姿を見せることができた
・人力車というモノの大切さ、扱い方を見直すことができた
・相手を喜ばせる事が自分は本当に好きなんだと再確認できた
・挨拶、礼儀、言葉遣い、コミュニケーションなど社会でやっていける能力を身につけることができた等ですかね。
他にも下町の方から僕は特に多くの愛を貰いました。おそらく介護福祉業界のコンサルタントになりたいと思ったきっかけの1つは、この人力車のアルバイトの影響でもあります。
地域やまちづくりをしたいといった大きな視点を持てたのも人力車の影響です。そして人力車のアルバイト経験は、就職活動のネタにもなり、当時売り手市場だったということもありますが、就職活動はうまくいきました。
②音楽にのめり込み始めたDJ(ディスクジョッキー)
大学1年時、寮(和敬塾)の隣の部屋に住んでいた先輩の部屋から聞こえる爆音から始まりました。
高校までは野球に没頭しており、わからないことだらけのスタートでした。その先輩から色々と音楽の種類、音のつなぎ方、DJの魅力を教わりました。
人力車のアルバイトで貯めたお金で機材やパソコンを購入、渋谷や六本木、新木場の有名なクラブでDJしながら、お酒を片手に音楽を楽しんでいました。
③将来的にも必要な教員免許取得
私の両親、家系は教育一家です。大学の授業で単位を取らなかったら、、怖いお叱りが父からありました。なので眠くても疲れても大学には行きました。
そんなこともあり、余裕をもって卒業できました。大学4年の夏は、母校へ教育実習に行きました。本当に教育実習の3週間は楽しかったです。社会科の教員免許を取得しました。
大学卒業後、なぜコンサルティング会社の門を叩いたか
就職活動を考えた大学2年時。私をコンサルティング会社に導いてくださった方がいます。上場企業のコンサル会社であり、今ではお二人とも独立されてしまいましたが、お二人がいなかったら、この業界に入ってはいないと思います。
お二人のお名前は、設楽さん、大嶽さん。
設楽さんは私のエントリーシートを添削してくれました。大嶽さんはインターン時お世話になり、お二人は私が高校を卒業する前からもう10年以上のお付き合いです。
設楽さんの会社・・・株式会社ジークリップコーポレーション
大嶽さんの会社・・・株式会社カタグルマ
コンサル会社では有名な船井総合研究所のインターンを受け、「コンサルタントは経営者のパートナーだ」と有名コンサルタントが言ってたことに、ビビッと来て、コンサル会社に入ろうと決心しました。
先ほども書かさせていただきましたが、就職活動では、和敬塾と人力車の強みを活かし、こんな私でも内定を選べるくらいもらえました。
そして悩みに悩み、ヘルスケア業界では強い日本経営に入社しました。しかし、そこから苦労の始まりでした。
苦痛だった社会人一年目
中学・高校と野球に没頭し、大学ではお分かりの通り、全く勉強をしてきませんでした。そのため物事の理解することが人より遅く、本当にしんどい想いをしました。(勉強してこなかった自分が悪いと本当に痛感しました。)
当時の日本経営は、成果報酬制度があり、稼いだら稼いだ分だけ給与がもらえるという仕組みがありました。当時1年目の10月から個人予算がつきます。
さあ頑張ろうと言っても能力がない自分にお客様はいない、上司と同行させてもらうクライアント先はありましたが、
案分は微々たるもの(周りの同期からも惹かれるくらい少なかった...それだけ自分の能力がなかったということです)、周りの上司先輩からは本当に馬鹿にされ、できない呼ばわりでした。
そして赤字社員と最終的には言われ、もう本当に当時は悔しかったですね。思い返すと、人一倍悔しい想いをしてきたからこそ、今があると思いますが、当時は毎日絶対いつか見返してやろうと強い想いを持ってました。(メラメラしていましたが、今は本当に働きやすい職場になりました)
しかし、強い想いはあっても、全く成果が出ずに1年が経ってしまいました。そして社会人2年目に突入する前の3月、過去契約いただけなかった顧客リストを上司からもらいました。
私はチャンスだと思い、封筒を購入し、手書きで宛名を記入し、チラシと案内資料を作成、手書きの手紙を添えて郵送しました。
全部で70件。「そんなの作っても無駄じゃない?」と周りから色々と言われました。ですがテレアポを行い、実際訪問し、営業した結果、2件ご契約をいただくことができました。
今じゃ考えられないくらい泥臭い営業をしていましたが、そこから私は介護福祉業界に足を踏みいれました。
始めてのセミナー講師
社会人2年目の6月。実家のグループ(Educarealize Group)が日本経営の職員満足度調査で1位になりました。(今や6年連続1位です🥇)
それをきっかけに実家の取り組みを参考にセミナーをやってみようと考え、「ホンキで考えている人限定 職員満足度向上セミナー」という名で企画しました。
しかし、上司からは「人前で話すにはまだ早い!」と言われました。しかし、何度も上司に企画書を提出し、渋々了承をもらい、40分の枠をセミナーを講師として話す時間をもらいました。
今はコロナの影響もあり、いくらでもネットから情報が取れる時代ですが、5年前は足を運んで情報を取る時代。
当時私が知る限り、日本経営の単発セミナーの参加者は当時平均参加者数は10名弱でした。絶対集客も成功させるためにタイトルやリード文、キャッチコピーを練り、FAXの集客方法で25名参加してくださりました。
しかし、集客はうまく行ったものの、セミナーデビュー。失敗は許されません。当日、同期とカラオケや社員寮のリビングで夜遅くまで練習をしたりと良い思い出です。
セミナーは、無事終了。実家の取り組みをベースに話しつつ、40分話しきりました。講演する前の緊張感は今でも覚えています(汗)
その後セミナーも継続していき、そこから全国の介護福祉事業所様、医療機関様から依頼をいただき、仕事に繋がっていきました。
いま振り返ってみると、本当にお客様から学ばさせていただいたことが本当に多くありました。
お金をいただいて、学べますし、経営者の方、お客様の人生の歩みを聞くことができます。コンサルタントではの醍醐味だと思います。
本来私がやるべきことは何か・・・
「栃木県から声がかかるくらい力を付けてください」
入社3年目、Educarealize Groupに平井社長(日本経営の社長)が来てくれました。(もはや家庭訪問でしたけどね。。。)
平井社長は、各施設を見学し、ご利用者様、子どもたち(幼稚園保育園に在籍しているこどもたち)、職員一人ひとりへ丁寧に声をかけてくれました。
そして夜は懇親会が行われ、平井社長、理事長である父、職員10人、私で楽しいひと時を過ごしました。そして最後、懇親会の最後に社長から言われた言葉がこの言葉でした。
「樹さん、栃木県から声がかかるくらい力を付けてください」
そこから私はどうやったら認めてもらえるのか、声がかかるのかを考えました。土日関係なくたくさんの経営者にお会いし、現場に多く足を運び、経営屋の声を沢山聞きしました。
そして社会人4年目になる春の終わりのころ、地元から講演依頼の電話。
それは栃木県社会福祉協議会からでした。その時の日本経営に入社して1番やりたかった仕事だったので、嬉しくて飛び上がりました。
早速社長に報告したら『地元の講演は難しい、地域の方々へ感謝をお伝えすることが重要です』と。言われた時、何を言っているかわかりませんでした。
それから2ヶ月間、鏡に向かいながら、声に出して講演の練習をしました。同期を連れ、徹夜でまたカラオケ店で講演の練習。毎度ですが良い思い出です。
そこで練習するたびに想いが混み上がり、自分の感情がどんどん乗ってくる自分もいました。社長が伝えたかったことがなんとなくわかった気がしました。
そして当日は、200人の前で介護福祉経営について講演をさせていただきました。無事に講演が修了。(理事長である私の父、職員も見に来てくれました。お客様もお越しいただき、写真も撮ってくれました。)
講演終了後たくさんの拍手を受けたあの拍手の光景は、今でも鮮明に覚えています。
入社からずっと悔しい想いをしてきたけど、何時あっても周りにはたくさん応援してくれる人がいました。後日、同業界の経営者から幾つかメールもいただきました。
・貴重な時間をありがとうございました。
・事例がたくさんあり参考になりました。
・他の職員に早速伝えましたよ。
・早速やってみますね。
一言だけでも自分にとっては、とても嬉しかったです。地元から少しは認められたのか。
講演後は、そう思えて、ホッとした瞬間でした。その後たくさんの他県の社会福祉協議会様、企業様への講演機会をいただきました。
セミナーを終え、ふと思ったこと。私がしたいことは、地域づくり、地域へのお役立ち、そして将来世代を担う次世代経営者への貢献、そんなことを思いました。
今私が実現したい③つのこと
今まで5年半、日本経営のコンサルタントとして、多くの経営者と経営のこと、業界のこと、未来のことを語り合っていたこともあり、色んな想いが生まれました。そして日本経営を卒業した今、私がやりたいことは大きく3つあります。
①地方都市の本来あるべき”地域包括”のモデル開発
実は私の祖母(学校法人の創業者)は、私が社会人になり、入社直後に亡くなりました。入社式前、実家にいた祖母はご飯も食べ、抵抗なく会話もできてました。
安心して私は大阪へ向かいました。しかし、入社式の翌日の研修中「すぐ栃木に帰りなさい」と人事部から言われ、大阪から新幹線で宇都宮に向かいました。幼稚園の先生が迎えに来てくれ、車で病院に向かいました。
病室に入った時、祖母は延命治療を受けていました。「あんなに元気だったのに何で…」と何もできない自分の無力さを感じました。そして祖母が亡くなり、早6年。
今一緒に働いている職員の家族にそんな経験をさせたくない。
その想いは何一つ変わりません。着々と構想を練っています。私はまだまだ未熟ですので、理事長である父と相談しながら進めています。これを実現するためにまずGroup内に自立支援の施設を作らないといけないと考えております。地域に新しい価値をさらに作り出します。
また私たち Educarealize Groupは、学校法人、社会福祉法人、そしてシンクタンク系の一般社団法人を運営しておりますが、ここに新たなサービスを開設予定です。
そして高齢者の健康状況を把握できる仕組みを作ったり、教育と福祉、介護、そしてデータ等を全て融合させ、本来あるべき地域包括ができる場を作ります。
まだまだ発展途上ですが、必ず実現させ、栃木県をもっと良くしていこうと考えております。この気持ちは今もこれからも変わらないでしょう。
②教育保育、介護福祉業界で働いている人の給与を上げること
2020年2月ごろ、新型コロナウイルス感染症の流行により、毎日ニュースは「コロナ、コロナ」。
しかしニュースで取らあげられるのは、医療崩壊、施設内感染等です。当時、最初の緊急事態宣言の期間、私は宇都宮の実家の各事業所で2か月仕事をしていました。
介護福祉施設、教育・保育の施設に関してのニュースはクラスター(集団感染)が起こった時くらいしか報道されていませんでした。本当に悲しかったですね。
慰労金の支給は医療介護業界で教育業界には何もない。職員の頑張りを身近で見れて、医療ばかりフォーカスされるのに何か疑問を持っていました。
医療や介護福祉施設で働いている従業員に対しては慰労金の支給があったのに幼稚園や保育園の職員は支給対象ではない。疑問に思いました。
そんなコロナの感染は、身体だけ襲うだけでなく、職員の精神状態をも揺さぶります。メンタルもくるでしょう。
外出自粛が強く求められる中でも介護福祉施設、教育機関も感染予防を徹底した上で事業継続することが今も求められています。
その意味で、この仕事は社会に必要とされ、貢献している誇り高き仕事であると確信してます。
特にこの幼児保育は未来を創る大切な職業であり、介護福祉は今の高齢化問題などを支えている、もっとフォーカスをしてほしいと強い想いをずっと持っています。
そんな現場で働いている職員の処遇をどう上げることができるのか、色々考えました。でも制度はそんな簡単には変わりません。
考えついているのは今の仕事の延長線上で何かを加え、何かを掛け算することではないかと思いました。皆さんの経験を活かそうとたどり着いたのです。
現在開発中ですが、近日リリースしたらまたお伝えできればと思いますが、近いうちに実現させます。
③地域で一番の介護福祉事業所を作ること
昨年からグループの1つのシンクタンク系の会社で「21世紀型マネジメント研究会」を立ち上げました。
それぞれの地域で必要とされたい、高みを目指したいと思っている志の高い介護福祉経営者が集まる会です。
私は、この研究会を父から引継ぎ、入会された事業所様と切磋琢磨し、地域一番事業所を作り上げ、研究会の皆さんと数年後出版する予定です。
是非介護福祉事業に関わっている方、お待ちしております。お問い合わせもお待ちしております。この想いに共感してくださる方は、是非こちらの会で一緒に高め合いましょう。
21世紀型マネジメント研究会
最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。引き続き、エデュケアの山村をよろしくお願いいたします ^^
▲講演・執筆等のお問い合わせ先
アドレス:itsuki.y@future-grip.com
山村 樹(やまむら いつき)
日系コンサル企業にて180件以上の介護福祉施設に対して経営支援業務等に従事💻講演も多数📣🏠
🍊Educarealize Group 経営企画室長 ☞ 4法人28事業を栃木県にて運営
・Future Grip代表
・小濱介護経営事務所CCチーフコンサルタント
・C-MAS介護事業経営研究会 スペシャリスト
・C-SR医療介護経営研究会 スペシャリスト
・全国介護事業者連盟 栃木県支部事務局長
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