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メモ習慣が快適な睡眠の邪魔をするのだ | Jul.4

夜中に目が覚めて、枕元のノートを開く。
眠る寸前に思いついたことを書き留める。

浮かんだアイデアをすべてすくい取ろうと始めた、あっちこっちにノートを置いておく作戦だが、枕元にノートを置くのが正解なのかどうか、怪しくなってきた。

ベッドサイドの灯りを消し、目を閉じた途端に、頭の中に散らばっていたアイデアの破片が一気に集合し始める。
それまではただの点でしかなかったものが勝手にまとまりだし、思いもしなかった姿で浮かび上がるのだ。
一度消した灯りを再び点け、およそ判読不能な文字で一気にメモを書く。
書き終えて、「さあこれで眠れる」と灯りを消すと、途端にまた。
これじゃ深く眠れるはずもない。

アイデアが決まって浮かぶ場所がある。
トイレやお風呂に入っているとき、散歩の途中など、アイデアと近いと言われている場所があるが、誰にも言わないだけで、密かに隠し持っているその人ならではの秘密基地みたいな場所もあるんじゃなかろうか。
たとえば行きつけのカフェの決まったテーブルの決まった座席とか、たまに通ると、必ず何かを思いつく散歩道とか。

以前、目線の伸びる距離と、想像の奥行きには相関関係があると書いたことがあるが、アイデアが湧いてくる場所と、漠然とした取り止めもないアイデアの破片が塊になっていくこととでは、違うような気がしてきた。
傾向とか、どういうところが適しているかなど、細かいことはまったくわからないのだが、なんとなくそう感じる。

ベッドに横になった途端に浮かんでくるのは破片の方だ。
破片だけでは何にもならないのだけれど、何かしら引っかかるものがあって、やけに惹きつけられる。
忘れてしまうには惜しいようにも思えて、ノートに書き留める。
これが繰り返し何度も続くと、眠りを妨げられているようで、一人で勝手に苛立ちはじめる。

「明日、起きた時に忘れてたら、しょせんその程度のものだったんだろうよ」と開き直れれば良いのだがその場では「こりゃ面白いことを思いついた」と感心するのだから、見逃すことなど到底できない。
片付け下手の貧乏性全開だ。これを悪循環と言わずしてなんと言おう。

このところ意図的にまとめて読んでいた「作家の書く小説ハウツー」でも、メモを取る習慣の重要性に触れたものが多かった。
どれだけ想像で膨らます力があっても、膨らませる元がなければ膨らみようがない。確かにおっしゃる通り。
作家である人たち自身がそう言っているのだから、アイデアの在庫がない状態はきっと想像以上に深刻なんだろう。

小説の数だけ存在する作家たちは、皆同じように寝入りばなにイライラしながらでもメモを取ってきたのだろうか。
中には思いつきと瞬発力だけ小説を書き上げてしまう人もいるんだろうが、多分それは恐ろしく少数派。
やはり作家の多くは普段からメモを取り、アイデアの保管箱にしまってあるはずだ。
そう思えば、僕だけがイライラもせず、必要な時に必要な分だけ自由自在にアイデアを出せるはずもない。
「千と千尋の神隠し」のカオナシみたいにアイデアを出せたら大変に便利だろうが、そうして出てきたものは、やはりなんの価値もない土くれでしかないんだろう。

メモの習慣が、物書きには欠かすことのできない努力なのだと思えば、ベッドの灯りを繰り返し点けることも苦にはならない。
やって当たり前のことを努力と思わないのは、競技選手の特性なのかもしれないが。

それにしても買ったばかりのノートが、あっという間に埋まるのはどうしたものか。
これならコピー用紙にパンチで穴を開けて、綴り紐で束にしておくだけでも良いんじゃないかと思い始めている。
実際にそうしてみたら、きっと書かなくなるんだろう。
行動ってそういうものだ。

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メモを取る作戦のことはこちらを


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