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読書記録2022 『猫を棄てる』 村上春樹、他、作家が父を語った作品3冊

樹 恒近

 このところ諸々調子が上がらず、本は資料読みみたいな読み方しかできなくなっていた。
 床から伸びた「積ん読」本の塔を整理していたら、買ったまま読むのを忘れていた村上春樹の『猫を棄てる』が出てきたので、「この程度の厚みならば……」と本を開いてみた。一気読みだった。
 本作は小説ではなかったけれど、「小説読めない期」に入っている今には具合の良い自分語りだった。

 息子が父を語るというのは独特のものがあると、世にある数多くの息子の一人として思う。
 どう言えば心の内に残るものに近くなるのか、言いようが果てし無く難しいのだけれど、息子が母について語っても、娘が父について語っても、もちろん娘が母について語っても、どれも息子が父を語るものと同じにはならないだろうという確信はある。
 僕個人の話に矮小化すれば、母については幾分の感謝と諦観、それに母を通して自分を嘲笑するような、自分の愚かさ加減への苦笑いしか出てこないような感覚だが、亡父については愛憎半ばするというか、同じ根っ子から尊敬と賞賛と感謝と嫌悪が同じ分量だけ —— しかも混じった状態で出てくるようなところがある。それは生前も他界した後もそれほど変わらない。
 同族嫌悪でもなく、エディプスコンプレックスでもなく、理解も想像も概ねできるが、心のどこかで拒否し続けるような、完全に認めつつも完全には納得しないというか、一言で言えば「ややこしい関係」であることが多いのではないか。

 村上春樹の本作を読んで、作家が父を語った作品を思い出し、沢木耕太郎の『無名』と、星新一の『明治・父・アメリカ』と『人民は弱し、官吏は強し』を立て続けに読んだ。
 星新一さんのお父さんである星一さん(ややこしい名前だ)は、明治の初めの生まれで、のちに津田梅子の妹と婚約したり、後藤新平から金を借りたり、伊藤博文の秘書兼通訳をしたり、野口英世の帰国の金を出したり、忙しく賑やかな人であったようだ。
 創設した製薬会社の敷地はえらく広かったらしい。今もある星薬科大学はもちろん敷地の跡地だし、星製薬の経営が傾き、分社化した一部が今も五反田にあるTOCなんだそうだ。
 あまりに今の住まいから近くてびっくりするが、明治初期の混乱の中ではいまでは考えられないような愉快なことも、同じぐらい不愉快なことも起きたということなのだろう。
 いまでも星新一がいちばん書きたかったのは父親についてだったのだろうと思っている。1001編のショートショートよりも、父親について書きたかったとしても、その気持ちはよく理解できる。

 沢木耕太郎の『無名』は病床に就いた父親が他界するまでのことを書いた、いわば「セルフ・ルポルタージュ」のようなものだ。
 星新一が持ち前のユーモア感覚を発揮して父親のことを書いたのに比べると、沢木耕太郎は客観的に物事を図ろうとしている感じがする。
 自分の肉親が亡くなるということを客観視するなど到底できることではない。冷静にノンフィクションを紡ごうと努める部分の合間合間に、我が事としての顔が出てきてしまうところに、父親と息子の関係の深さが見えた気がした。それもこれも自分もまた父を送った一人の息子という経験があるからなのかもしれない。

 3人の作家がそれぞれの父親を語る際、普段に増して客観的であろうと努めている —— 父親から自分を切り離して書こうと努めていることからも、息子が父親を他者に語る際の心の複雑さが現れてしまうのだろう。
 そしてその気持ちは読者の側も感覚的に理解するし、さらに「わかるけど、無理しなくてもいいんじゃないかな」と考えもするように思う。
 読者が共感するのではなく、同じ場所に立って、それぞれが違うところ —— 自分の父親を見ている感覚、個別だけれど共通するという矛盾にすら見える感覚のはずだ。

 村上春樹は分析的、沢木耕太郎は努めて冷静であろうとする分だけ叙情的だと感じたが、星新一は3人の中ではいちばん他者であることに成功している。
 それはもしかしたら父の死後、事業を引き継ぎ、結果として会社を存続させられなかった経験によって、父と息子の間に踏み越えられない線引きがされてしまったなんてことがあるのかもしれない。そこには感謝やら謝罪やら、いろんなものがまぜこぜになっているはずだ。星新一の父親から離れたスタンスは、父親と自分との間にある複雑な感情を積み上げたまま、脇から覗き込むように書いたことが要因のようにも思える。

 いずれにしても息子が父親を語るというのは作家であっても難しいことなんでしょう。書けるけど書けないって感じなのでしょうね。


(追記)—— 亡父とのエピソードを短く

 亡父は戦中の生まれで、父の人生を振り返ると市井に生きた平凡な男の一生だったと言えなくもないけれど、細かく紐解いていけばそこには語るだけの様々な出来事が余るほどあった。
 もっと色々な可能性がある中で、父がどうして自分の人生を営んだような選択をしてきたのか、不思議に思うところもあるし、父自身ではどうにもならなかった様々な出来事をどう思っていたのか。それは残念ながらもう聞くことができない。
 ただ、僕と弟によって自分が選ぶことができたかもしれない可能性の一部を手放すことになったことを、人生の締めくくりの際にどう思っているか、それは聞いておくべきだったといまでも思う。

 父が他界する3日ほど前、病床で1日の大半は意識が朦朧としている中(父は癌を患っていた)、母親が病室にいない隙を突いて、どうして母親と結婚しようと決めたのかを尋ねた。
 父はぽつりと「昔はああじゃなかったんだけどなあ」と言って、面白がるような笑顔を浮かべた。
 結果としてはそれがほぼ最後の会話だったけれど、息子が父親と交わす最後の会話としては上出来だったのではないかと今でも思っている。

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