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Pregnant Journey ニュージーランドで過ごした妊娠期間のこと

先週1才をむかえた息子が、まだ胎児だった頃のこと。今回は自分のお腹の中にいた愛くるしい日々のことを思い出ながら綴りたいと思います。


「Pregnant Journey(=妊娠の旅」)とは

ニュージーランドでは、この十月十日のことを「Pregnant Journey(=妊娠の旅」と呼んでる人が多い。「Journey(ジャーニー)」とは、使ってるニュアンスからすると「有限な時間の中、それぞれが特別で個別の体験をする時間」「たくさんのことを考えて感じる時期」的な意味かなと推察します。

妊娠が分かり、周囲に伝えた際には「その時間を味わってね!楽しんでね!」と言葉をかけてもらったり、友人達からの手紙にも使われていたりしていました。

〝savour the jouney〟
「ジャーニーを味わってね」と書かれた友人からの手紙

振り返ると、私にとってのプレグナントジャーニーのテーマは、大きく2つに絞ると、「We are pregnant(私たちは妊娠した)」と「ビジュアライゼーション」でした

①「We are pregnant(私たちは妊娠した)」のこと

この言葉は、妊娠18週目に夫と参加した出産イベントで出会った考え方。そこでは、ニュージーランド先住民のマニさんという男性が登壇していました。彼は、助産師の息子さんであり、3児の父。「妊娠中の女性は子どもを育てるという偉大で特別な仕事をしているのだから、とにかく休んでもらい、あとは自分が動けるようにがんばりたいと思っている」と。男性も出産や育児にコミットして、「バース・パートナー」という考え方を普及させたい、とのことでした。

さらには、「マオリの文化では「We are pregant(”私たち”は妊娠した)」といい、「I am pregnantではないんだ」という説明を受けました。

この「We」はパートナーだけではなく、家族や親族全員を含み、一丸となって新たな命を迎入れる準備をする」ことを指すという。とても新鮮に感じたけれど、腑に落ちたのでした。

講演に感化された夫が、すぐさまマニさんに駆け寄ると、「妊娠中、あなた(私)は、リラックスすることだけに集中して。バース・パートナーは、それ以外のことは全てをするのがいいと思うよ!」と夫を励ましていた(笑)。その後は、この「バース・パートナー」という言葉を合言葉にしながら妊娠期間を過ごしました。

私たちは、「今どんな気持ち?」と出産に向けて刻一刻と現れる気持ちを確認し合い、夫は検査にほぼ毎回(一度仕事の都合で来れなかった時に助産師さんに驚かれていたほど)同行してくれました。

ちなみにこのバース・パートナーとは、必ずしも一人を意味するのではなく、妊婦の母親、親友、助産師さん、お医者さん、ドューラ、などなど誰でもOKだし、その時々によって異なるそう。

私たちの場合は、他にも一緒にこのプレグナントジャーニーをしたいなと心から思うドューラに出会い、彼女も心強い「バース・パートナー」だったなあと思う。(詳しくは後述)

マオリの文化では、出産をするときに生まれてきた赤ちゃんを取り上げるのがパートナーだったという歴史があって、私も夫であるパートナーに取り上げられるという出産をずっとイメージしていました。

②「ビジュアライゼーション(=可視化)想像して、実現する」のこと。

マニさんに出会ったイベントの主催者は、のちにわたしたちのドューラ(Doula)となるソフィア。彼女との出会いもここだった。

右がドューラのソフィア



会場には彼女が出産に立ち会いながら撮った写真が壁一面に飾られていて、陣痛からはじまり分娩、出産にいたるまでの様子が写真におさまっていました。

未知の出産に対する恐怖が減るのを感じる〜出産はGlorious!〜

ドューラとは、日本ではまだあまり馴染みがないかもしれないけれど、産前産後、出産時、妊婦の面倒を見る人のこと。助産師さんだけでは、追いつかないような、例えば、出産時にリラックスできるような音楽をかけたり、お茶をいれたり、マッサージをしたり。精神的なサポートもしてくれる。(ちなみにNZでは助産婦さんは国から補助金が出るけれど、ドューラはオプションなので、自費)

「今朝も、私はある出産を終えました。妊婦は、その瞬間にJust glorious(ただただ、最高!)って言っていたの。」というソフィアの挨拶から始まった。

彼女の写真は、とても静的で時が止まっていながら、見る者を引き込むパワーがあった。(ソフィアのインスタアカウントは @mothers_circle よかったら覗いてみてください。)

普段は人の中で眠っているような無垢で純粋な自分が引き出されるような。入った瞬間、会場の空気感が神聖で、なぜか目が涙でいっぱいになる。(妊婦だから感情的だったんだと思う、恥ずかしい…笑)

写真たちは、「おぎゃあ!」と子どもが出てくる瞬間の写真、股から子どもが出ていたり、プライベートすぎるものばかり。

きっと日本だったらわいせつ?ポルノ写真になってしまって、NGなのでは?と思うけど、写真を見ながら、出産に対する恐怖がみるみる減っていくのを感じた。なんというか、出産の美しさが勝っていたというか。

未知の体験に対して、知って、想像することはまず第一歩で、写真で目の当たりにできて、本当に良かったと心底思った。

このヴィジュアル(視覚)によって、イメージして臨むことを「ヴィジュアライゼーション(=可視化)」というんだそう。

日本では出産に対し、「鼻からすいかを出す」という表現があるように、ニュージーランドにも、shit the watermelonという同じ「すいか」の表現があるそう。陣痛に「痛」という漢字が入っているし、「恐くて痛い」というイメージがつきまとうけれど、出産は本来きっと美しいこと、だと思う。命が誕生するって、この上なく尊い。それは当たり前に、痛み以上のことなんだ、と。(ちなみにこちらでも「overwhelming!=圧倒的!!」という表現が頻繁に使われる。)

その日を機に、「出産は人それぞれ。だから、できるだけ前向きな情報を沢山仕入れて臨もう。「出産は最高に幸せだよ」と言っている人の話を前のめりにたくさん聞いてみよう。」とひっそりと心に決めた。

なぜなら、自分だけでなく、もうお腹にいる赤ちゃんの脳も形成されて、聞こえているはずだから。初めて地球に出てくる赤ちゃんに「出産楽しみだね〜!」という念に似たもの(笑)、を送りたいと思ったのだ。

さかのぼれば、仲良しの先輩ママが「出産は最高!恍惚感を感じるのよー!!」「叫んだり、声もほとんど出さずに産んだよ〜!」という話をしてくれて、それは、ほぼ初めて聞いた詳らかな出産経験談だったので、目から鱗だったのも大きいと思う。

Doulaの仕事と少数派のホームバース

話は戻り、そのイベントでの彼女の写真は、自宅出産の写真がほとんどだけど、唯一お医者さんが子どもを抱き抱えて、優しい笑顔で見つめているものがあった。彼女の説明はこうだった。「病院でも珍しいけど、ドューラの仕事をすることがあって。音楽をかけだした私に対して、お医者さんもはじめは誰?というような反応だったけど、妊娠を終えて、私がお医者さんに『(生まれたての)この子に対して、自分が何をしたか説明してあげたら喜ぶかもよ』と言ったら、お医者さんは最初困った顔をしていたけれど、ふだんはあまりそういうことをしないから、顔をあからめて、「ぼくが出産を手伝ったんだよ」と説明してたの。思い出深い瞬間よ」と。

ニュージーランドでは、病院で出産する場合も、助産師さんが立ち会うけれど、ドューラも立ち会えるのか〜と驚いたし、とても良い話だな、と思った。

他にも印象に残っている話がある。
ある女性は自宅での出産をし、娘が友達にダイニングテーブルで、こんなことを話すのだという。「私はここで生まれたの!あなたはどこで生まれたの?」と。すると子どもの友達は自分の親に「私はどこで生まれたの?」と聞き、出産の話が家族の中でされる、と。時にタブーとされる出産の話をし、自分がどうやって生まれたのかを認識することは、なんか素敵なことだなあと思った。

最後に。主催者のもう一人は、リスクアセスメントのリサーチャーをしているというサラ。リスク研究を仕事をにしている彼女の言葉は力強かった。「今病院ではコロナのリスクが世界中であるし、自宅といういつも自分が過ごす場所だから、家で産むことって、すごく安全なのよ」それに「お母さんのその後の自己肯定感が違うの。自分で子どもを生んだ!という経験がその後の自信につながるの」と。沢山のエビデンスが出ているという。

出産が楽しみになる大きな1日だった。面白かったのは、この日、写真をみて涙を流してから胎動が始まったこと。ぷくぷくとお腹の中で命を感じのだった。(単なる偶然かもしれないけど)

節目となる1日を終えて、私は家で産みたいなという気持ちが増し、自宅出産を望んだ。

インスタでは世界の助産師さんや出産をポジティブなイメージに変えたいと願っているアカウントはたくさんあって、出産動画はたーくさん出ていた。コンテンツにぼかしが自動的にかけられているのもあるけれど。とにかくイメージを深くしたくて「ヒプノバース」の教室にも通ったし、「オーガズミックバース」などドキュメンタリーも見たりした。

実は妊娠を望んだ時に、身体の仕組みを勉強して、精子や子宮がどうなるのか、日毎にイメージして、「あ、今きっと卵管を通り始めたね」とか「きっと今日着床してるはず」という会話を夫婦でしていました。子宮の大きさは洋梨くらいのこと、排卵は左右片方ずつ行われること、などなど、妊娠の仕組みの勉強はとても役に立ったし、これが妊娠につながったのではと思ったりしている。(これも思えば、ビジュアライゼーションなのだ。You tubeに動画も出ています。NHKのとかおススメです。)

もしかしたら逆子かもという診断を受けた時には携帯の待受やあらゆる目に入る情報を赤ちゃんがお腹の真下を向いているものに変えてみたりした。すると次の検診と時には、逆子でなくなっていたということもあったな。(因果関係はわからないけど、イメージすることから全ては始まるのかな、と。)

私たちの出産体験

当日を迎えるにあたり、ココナッツウォーターを準備して、ここぞとばかりに大好きなスナック菓子を買い込み笑、好きな音楽のプレイリストを作ったり、香りを用意したり、その日が楽しみで。

さて、ビジュアライゼーションを続けた出産はどうだったかと言うと。

まず、家のリノベが予定通りに終わらなかったという物理的な理由で、自宅出産を断念し、次に助産院での出産を計画。当日は、陣痛が始まってから17時間後に病院に移動し、鉗子により引っ張ってもらい、無事にBabyと対面することができました。

忘れられないのは、病院の人たちが心優しく、手術室に運ばれる時は「明るくてごめんね、ちゃんと見えるようにするためなの」「日本人なの?!私日本が大好きで…」「コンニチハ!」と私を癒そうとする会話が繰り広げられたこと。そして、夫が片方の手を、もう片方を助産師さんが握ってくれていたこと。

手術室で、安心感に包まれて、おぎゃあ!と生まれてきた赤子に「はじめまして」と挨拶しました。これからよろしくね、と。

結果として、最終的には自分の力で産むという願いは叶わなかったけど(場所も産み方も)、夫と2人で歩んだプレグナントジャーニーはとても大切な時間で、有限性を感じるからか今思えば懐かしくて、甘酸っぱい気持ちになる。(だってもう2人で過ごす時間ってあまりなくなるから。)

それに、結果にこだわりがちだった(受験とか仕事とか仕事の成果とか)私に、Babyが「ママ、結果よりもプロセスが大事なんだよ」という人生において大切なことを全身で伝えてくれたのだと信じている。

コロナ禍で期せずしてニュージーランドでの出産となったし、抗えないこともたくさんあったけれど、一度ゼロベースでどんな出産がしたいのかを考えて、主導権をできる限り自分でハンドリングする、という感覚を持てたことは、愛しさあふれる、これからの人生においても大きな財産になった。

なにより、babyが無事に生まれてきてくれたこと、その奇跡を思うだけで、十分すぎるくらい十分だと思う。

場所や産み方よりも、ただその瞬間を味わい尽くすこと。

思えば、ドューラのソフィアがかけてくれた言葉も「Loveと今ここに集中して」だったし。お腹の中のbabyが満ちて大きくなるのに伴って、心が満たされるのを感じていた、それはかけがえのない日々でジャーニーという言葉がぴったりだと感じています。陣痛が始まったときに、満ちている気持ちが最高潮に達し、「やっと会える!」という楽しみと歓びで溢れたときの感覚は忘れないと思う。

「多くの人が大学や就職先を一生懸命考えるのに、出産方法については考えない」とは、三砂ちづる先生がイベントで話していたことです。

出産方法を考えると途端に、プレグナントジャーニーが始まると思います。

「日本では自宅を選択肢に入れる人なんてすごく少数派で、病院、助産院、どこがいいのか迷ってる。」と決めかねいてた私に、友人がかけてくれ言葉で、このブログを締めくくりたいと思います。ー「場所や産み方はどこでも良いと思うし、自分が安心できるって思える場所が、ベストだと思う」ー。

毎日「もうすぐ会えるね」と「ぼくも産みたい!」笑、と言っていた一緒に伴走してくれた夫に感謝の気持ちを込めて。

長い文章を読んでくださり、ありがとうございます。もしこれから出産を迎える方がいらっしゃったら、愛あふれるプレグナントジャーニーになるように心からお祈りしています。

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