二十六日の箱とコイン
十二月二十六日、イギリスではボクシング・デー。
クリスマスの予定を立てはじめた秋のおわり、ホストマザーに聞いた。
「ボクシング・デーって現代は何をやるの?」
「ボクシングするのよ!」
マザーが一瞬にして不遜な表情になり、私にパンチを何発か繰り出してきた。当然、シャドウ・ボクシング。
それでもまだ私が信じかけそうになっているのを察してか、マザーは手をおさめてたいらにし、膝においた。
「私たちは毎年、友人の家に行ってカード大会をすることにしてるわ」
カード大会、と私がぼんやり復唱したら、マザーは声をひそめて、
「ちょっと賭けるだけ。一年に一度だけだから、まあ、見逃してちょうだい」
なるほど、と思った。
十一月からとにかくクリスマスのことであわただしかった日々のあとに、ほとんど罪と呼べもしないような罪を楽しむ。
何となく、イギリスらしい気がした。
「今年はあなたも飛び入り参加よ」
「いいの?」
「もうあちらからは、歓迎すると伝言をもらっているわよ。小銭をどっさり用意しておくことね」
その挑発に、私はちょっとむきになって、
「小銭なんて必要ありません。私が全部まきあげるんだから」
「あら、ルールも知らないのに?」
にやにやするマザーに頼んで、それからルールを教えてもらったけれど、まったく理解できないままその日を迎えた。
私もずっとクリスマスで気が張っていたのか、その日は朝から偏頭痛を起こしていたけれども、何とか出かける時刻までに落ち着けた。
マザーやファザーの友人だという人たちに会うのは、これがはじめてではなかった。
ただ、この家の人たちとは、マザーたちもボクシング・デーにしか会わないとのこと。
いったいどういう間柄なのか、今もって謎である。
「あなたがクリスマスラッピングをしてくれた日本のレディね?あんなにしっかりしたラッピングなんて何年ぶりだったかしら。ありがとう。良い思い出になったわ」
そこの家の奥さんはそう言って頬にキスをしてくれた。続いて、旦那さんも。
そして肝心のカード大会では、また改めてルールを説明してもらったにも関わらず、私はあえなく大敗を喫した。
大人たちは何の遠慮も容赦もなく小銭を私の財布から吸い上げていき、帰りにはほとんど身ぐるみを剥がされたも同然のありさまになってしまっていた。
*
ボクシング・デー、Boxing day は、確かヴィクトリア期からはじまった比較的に新しい祝日。
文字どおり、「箱の日」。
もうちょっとわかりやすく言うと「箱を開ける日」、その箱は何かといったら、クリスマスプレゼントの箱である。
もともとは、メイドや執事を雇っている主人が、彼らのために用意したプレゼントの箱を開ける日だったと、どこかで読んだことがある。
クリスマスまではやはりそうした類の労働者は主人のパーティーの準備で大わらわ。クリスマスを祝う余裕なんてない。
そのねぎらいの意味もこめて、下働きの者たちのために主人がプレゼントを贈る。
二十六日、今年のクリスマスも無事にすんだ、とほっと一息をついたメイドたちが、今度は自分のためのプレゼントの箱を開けて、がんばってよかったなあ、良いご主人だな、と感謝しつつ、自分に「おつかれさま」をおおっぴらに言える、そんな日。
イギリスはお正月もクリスマスシーズンだから、その年の大きな催しはもうないはずだし、下働きの労働者にとって十二月二十六日はもう新年も同然、そういった意識もあったかもしれない。
先に書いた通り、イギリスでは今でもこのボクシング・デーは祝日。
だいたいのお店はまだ休業中だが、交通機関は復活している。
地方から出てきたメイドや下男が帰省できるように、というはからいなのか、そのあたりはあまり詳しくはない。
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私がホームステイしていた家庭は上流階級ではなかったけれども、クリスマスの前後、コインを贈る場面は何度か見かけた。
たとえば、毎朝、学校に行くまえに新聞配達をこなしている少年たち。
クリスマスの前だったか後だったか、新聞がすべりこんでくるのを待ってファザーがぱっとドアを開け、今年もありがとう、良い休日を、と、紙に包んだ小銭を渡していた。
イギリスにはだいたいにおいてチップの習慣がない。
かわりに、こういうやり方で、その働きに敬意を表するのだ。相手の年齢や事情をかぎまわることもなく。
ボクシング・デー以外でも、タクシーに乗った時のおつりは、大抵は受け取らない。
これは年を通しての習慣なので、タクシーに乗るときはあらかじめ、おつりが小銭になるような払い方を想定して財布に用意しておく。
おつりが高額すぎると渡すわけにもいかず、かといって、チップのようにわざわざ小銭を取り出して渡すのはあまりかっこうが良くはない。
日本人の私からすると、なんだか面倒でややこしいしくみなのだが、そういうものなのだ。
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だからかは分からないけれど、イギリスのレジ係は小銭に敏感だ。ちょっと神経質なくらいに。
イギリスに到着してから二日目ぐらいのころ、日本で知人からもらっていた小銭で支払おうとしたら、ものすごい剣幕で怒られたことがある。
あまりにも早口なもので聞き取れず困ったが、どうやらその小銭は旧デザインのものだから信用できない、紙幣かカードで払うか、銀行に行って現行デザインのものに変えて出直してくれ、そういうことだったようだ。
あとで調べてわかったことは、イギリスの小銭はひんぱんに刷新されるらしい。
そして、旧デザインのコインは偽造されることが多く、信用度がとても低いのだとか。
新しくても古くても、一ポンドは一ポンド。
価値は変わらないのに、と思ったけれど、感覚として信用ができないのなら、それはもう無価値なのかもしれない。
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コインといえば、六十年代だったか、そのぐらいまではまだシリング硬貨が出まわっていたというし、ポンドはわからないがペンスの数え方はどう教えてもらってもカード大会のルールよりよっぽど理解が及ばなかった。
サマセット・モームの代表作に『月と六ペンス』がある。
六ペンスだなんてずいぶん中途半端だな、と思っていたのに、何でも執筆された当時の最小単位だったらしい。
現代風に言い換えると『月と一ペニー』だ。
何だか名作という気がしないので『六ペンス』のままで良いと思う。
一度、ホストファザーから古き良きシリング硬貨を何枚かもらい、ペニー硬貨に換算してもらったが、さっぱりわからなかった。
ぽかんとしていたら、ファザーはしたり顔で笑っていた。
無理ないよ、生粋のイギリス人だって今の若いひとはわかりっこない、自分でもどうやって計算してるんだか不思議なくらいだ、そう言っていた。
ところで、モームのころは「六ペンスが最小単位」と書いたが、ディズニー映画の「メリー・ポピンズ」では、聖ポールの鳩おばさんに払う代金は「二ペンス」と歌われている。
この映画の時代にはもうペニーの数え方が変わっていたのか、そこだけ当世風にしたのか、調べるのも野暮な気がしてそのままにしてある。
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外国人は硬貨のあつかいに慣れるのに一苦労する。
これはたぶん事実だ。
私自身もなかなか苦戦したし、今年、コンビニでバイトをしていたころも、レジ横の募金箱に小銭を入れてくれるのはほとんど外国のひとたちだった。
持っていても使い方がわからないから、たまってしまって邪魔になる、そういう事情もあるのではないかと思う。
もちろん、一円から五十円ぐらいが寄付になりやすく、それ以上だとさすがにもったいないと感じるようで、ポケットに入れて帰る。
旅行ならコインは良いおみやげにもなるのだけど、滞在しているとそうもいかないものなあ、と何となくその心境に納得してしまった。
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コインでもうひとつ、思い返すことがある。
イギリスを訪れる際に何度か中国を経由する飛行機を手配したことがあった。
乗り換えといっても電車のそれのように簡単ではないだろうと緊張していたが、入国とは別の税関で「トランジットです」とだけ言ってチケットとパスポートを見せたところ、いやに威厳のありそうなおじさんが無表情でハンコをばんと押し、どうぞ、とあっさり通してくれた。
ちょっと大変だったのはその後。
乗り継ぎの飛行機が整備の関係で予定より遅れることになってしまった。
でも数時間ていどの遅延なら、ヒースローで出迎えがあるわけもなし、と気楽に構えようとしたのに、困ったことにのどが乾いた。なぜ空港はああも乾燥しているのだろう。
我慢すれば機内でいくらでもジュースでも紅茶でも頼めるのだけれども、離陸まであと四時間はある。
中国の現金は持っていない。
ならばカードを使うしかない。
しばらくためらってから、コーラのペットボトルをレジに置き、バイクレジットカードプリーズ、と言ったら、それまで談笑していた店員さんたちが全員ぴたりと真顔に戻った。
コーラ一本にカード?現金は?
にらむような目つきで聞かれたので、トランジットで遅れが出て三十分の待ち時間のはずが四時間に延長された、予期せぬアクシデントなのでゲンは用意していない、そう正直に答えると、いかにも面倒そうにコーラのバーコードを読みとり、カードでの決済をしてくれた。
イギリスだとまずこういうことは起きない。
どんなに少額であっても支払い方に文句は出ない。コーラ一本をカードで買う客はたくさんいる。
ただ、旧デザインのコインは受け付けない。
日本ならどうだろう、と思った。
可能である以上、支払い方に理由を聞くのは何だか失礼だ、そんな感覚がある気がする。黙ってピッとバーコードにリーダーをかざして終了、それだけで何も起こらない。たぶん。
今はどうかはわからないが、中国はコーラ一本分の元を持っていない客を危ぶむのだろうか。
それも国としてのプライドなのだろうか、と考え出すと、また旅に出たくなる。
*
ボクシング・デーのカード大会で優勝したのは、確かその家の旦那さんだったと思う。
夕食まえに帰宅し、コートを脱いで紅茶の準備をしているあいだに、ファザーがどこからともなく大きな瓶を持ってきた。もとはお酒が入っていたような、何のへんてつもない透明の瓶。
そこにマザーとファザー、ふたりがコインをそそいだ。
瓶には既に三分の二ほどの小銭がたまっていた。
「毎年、勝ち分をこうして貯めているのよ」
私にはそもそも入れるコインもなかったが、その瓶はそういえば時々、見かけていた。
家に電話がないからとわざわざ公衆電話まで出かけるとき、タクシーやバスに乗るとき、マザーもファザーもその瓶から小銭をちょっと取り出して財布にしまっていた。
一ペニー、五ペンス、十ペンス、五十ペンス、一ポンド。
じろじろ見たわけではないから正確なことは言えないけれども、それ以上のものは入っていなかったと思う。
あの新聞配達の子に渡した小銭も、ここにあったものだったのだろうか。
何か目標のある貯金ではなく、小銭が必要になったときのために。
そんな存在の、ちょっと大きめの瓶は、ファザーがまたよいしょと持ち上げて、どこかにしまわれた。
底のほうに旧デザインのコインが眠っていそうだけど、どうするんだろう。
それとも、上ずみだけ使って、下のほうは使うつもりもないのかな。
何となくそんなことを考えていたるうちにケトルがかちんと鳴り、ファザーが、僕がやるよ、と紅茶の準備に取りかかって、マザーはカード大会の話を楽しげに掘り起こし、聞く機会をほとんど永久に逃してしまった。
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