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タイトル集

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#コラム

ここに居るわたしは、世界で1番かっこ悪いわたしだ。

わたしは、「書き手であるわたし」と「書き手でないわたし」に別の人格が宿っている、そしてそうであって欲しいと常々願っている。 その方が、自分の文章を客観的に読むことができるような気がするからだ。 少し前の話になるが、note以外の媒体での名義の名前を変えた。外部のwebサイトへの投稿を少しずつ増やしている。それに伴って、noteに顔を出す頻度も少し落ちている、気がする。 note以外でも書き出すようになって思ったことは、真っさらなところに書き出すことがいかに難しいかという

雑念払いたくて1ヶ月瞑想したらロボットになりそうだったからやめた

自分は慎重な性格で、行動したりするときは常に頭で色々考えているけれど、慎重さが偏っていらないことまで考え、不安が増して行動に移せないことが多々ある。 そういった雑念が邪魔して人生損してるなーと思った時が過去にあって、それを払拭するために瞑想を始めたことがある。しかしその結果雑念は払えたけどロボットになりそうだったからやめた。 瞑想をするのは良いことだけれどしすぎるのは良くないのかも。 雑念が無くなる代わりに感情が無になった 瞑想を始めて2~3週間ほど経ってからは、やり

手帳は着膨れるほど良い

毎年この時期は、季節の遠心力に振り落とされそうになる。 夏服でしぶとく凌いでいたが、気がつけば10月を半分も過ぎていた。ズボラな筆者も覚悟を決めて衣替えを始めなくてはならない。 よし、と一念発起して衣装ケースを開けると、昨年ネット通販で購入したものの、素材が分厚くて着るのを断念した秋服が出てきた。着られないわけではない。ただ、着ると確実に5kgは太って見えるのだ。 お世辞にも痩せているとは言えない筆者にとって着膨れは大敵である。まさか秋服でここまで着膨れるとは夢にも思わ

つくづく、この世には善人しかいない

「本田さんは接客というか、不特定多数の人とコミュニケーションを取る仕事が向いてないんじゃないかと思いますねえ」 担当医の話に「ほぁ」と間の抜けた声が出た。なにしろ5年間も接客業に従事してきたのだから。コンプレックスである人見知りを改善しようと選んだ仕事だったのだが、どうやら効果はなかったらしい。 * 以前勤めていたコールセンターで、筆者はメール接客を担当していた。 1日200通以上届くメールに目を通し、問い合わせに沿った返信を作成する。顧客から届くメールの多くは親切で

私あかん人やってん、今もやけどな

買い物へ行くときに必ず渡る橋がある。 その橋は大きな川に架かっている。川幅は広いがとても浅い。そしてたまにヌートリアが我が物顔で泳いでいる。サギもいる。誰が捨てたのか、得体の知れないゴミが流れていることもある。そんな川だ。 橋を渡るとき、私は必ず欄干に手をかけて川を見下ろす。何か”落し物”がないかちょっとだけ探すのだ。この日はサナダムシみたいなスズランテープの束がくねくねと身をよじっていた。 以前は、死ぬために川底を覗いていた。 さあ行くぞ、それ行け、今がチャンスだ。

ひみつ道具なしで社会に適合したい

この日は快晴で、ドラえもんみたいな色の空だった。 先日、2人の友人から石切参道商店街へ占いに行こうと誘いがあり、二つ返事でOKした。久しぶりに会う友人なので楽しみだった。 待ちに待った当日は、待ち合わせ場所の新石切駅まで近鉄電車で向かう。人生で2回しか利用したことがない近鉄電車で、だ。切符1枚買うのにも苦労する近鉄電車だ。 どれくらいの運賃が必要なのか。大して読めもしない路線図とGoogleマップを交互に見て料金を確かめる。券売機の前でウンウン悩んでいる私を咎めるかのよ

ヒロインになれない私。

まれにドラマが生まれるところに遭遇することがある。 日付が変わった恵比寿の駅前。人目も気にせず泣き叫ぶ女性。その傍らには困り顔と呆れ顔がない混ぜになった男性。 深夜までやっている渋谷の喫茶店。安くとも一杯800円以上の珈琲と吸殻のたまった灰皿。携帯の向こうの人物と淡々と紡がれる会話。 下卑た笑いが響く繁華街。脱げたハイヒールと振り乱れる長い髪。剥がれた爪と取っ組み合いをするきつい香水の女性たち。 彼女たちは紛れもなくヒロインだ。 彼女たちにしてみれば、冗談じゃないと言っ

お守りことばを教えて。

お守りのように、 懐にあたためている言葉はありますか? 心が弱った時 そっと取り出して 手のひらにのせるような。 そうすると、 小さくてもぱあっと明るく光って 照らしてくれる言葉。 その言葉を受け取ったときの あの、じん、とする感じも思い出す。 その言葉を両手で包んで はぁっと息を吹きかけて また、磨く。 再び光りだした言葉をくれた人に あらためて 心のなかで、ありがとう、と言う。 わたしにもあります。 《お守りことば》 小学校1年生の時に 隣のクラスの先生からもらった

人形劇のトラウマと太宰治

小学生のころ、偶然テレビで見てしまった人形劇がいまだに怖くて、忘れられない。 ブラウン管のテレビを使用した、もう三十年も前の話だ。テレビ/ビデオ・ゲームといった画面の切り替えはなくて、普通に見ているチャンネルにゲーム画面が反映するというものだった。我が家で使用していたテレビではNHK教育番組(いまでいうところのEテレ)のチャンネルで、ファミコンゲームがうつし出されていた。 ファミコンでたっぷりと遊んだのち「さあ、片付けよう」として、電源を切った。画面を切ると、NHK教育番

友達なんかいらない心配するな

どうもおはこんばんにちはなかこーです。 自分は小中高専門からの友達はいません。 今日は賛否両論な記事 昔からある話「友達は必要あるかないか」論争です。 筆者なかこーはタイトルとおりいらない派です。 友達と「遊ぶ暇がない」からいらないよって簡単には言いません。「暇は作るもの」なので(これはまた次の機会に話します) 20代後半になると仕事がやや新人からスキルアップして違うプロジェクト任されたり。運営まかされたり、後輩ができて面倒みたり、結婚したり。家庭が出来たり。守るも

ご褒美じゃないドーナツ

長くなってしまった昼寝から、目覚める。 えいっと毛布を蹴って、転がっているスマートフォンを持って、部屋を出る。 とりあえず辺りを見回して、目を覚ます。 キッチンにある机の上を見ると、ドーナツが置いてあった。 わたしが眠っているあいだに、同居人がスーパーに行ったようだった。 冷蔵庫を開けてみたら、プラスチックの容器に入ったプリンも置かれている。 ドーナツには、半額のシールが貼ってあった。 昼間にスーパーに行ったときには、わたしも同行していたのでいくつかのおやつを買ってもら

あの本棚のてっぺんに手が届くまで

物心ついた時には、背丈の2倍ぐらいある本棚とそこにみちみちに詰められた何百冊の本と友達だった。 兄が生まれた時から両親が少しずつ買い進めた色とりどりの絵本は、手の届くところがちゃんとその年齢に合うよう並べられていた。最下段にはノンタンやクマくん、ねずみくんのチョッキなどが一通り揃っていたし、中段には青春小説、最上段には村上春樹があって、そのグラデーションは思い出せば出すほど知性に満ちていた。 記憶がハッキリしている5歳ぐらいのときのお気に入りは世界の童話集。モネの絵画みた

「自分ダサいな。」って気づけてからが人生再スタートだっていう話

「まだ自分は大丈夫」、「やればできる人間だから」。普通に生きてて気づかないことがある。 会社を辞めて、晴れて無職になった時、あるいは生活費が底をつきそうになった時。現実を直視せざるを得ない状況。そんな時にどう考えるか。心に耳を澄ませて聞いてみよう。 会社退職、お金が尽きるまで 会社を辞めてから1ヶ月。時間に余裕ができて、これからどうするか、将来についてふと考えてみる。「まだ大丈夫。なんとかなる」、短絡的な思考の1つが頭の中で浮かび上がってくる。 元々夏休みの自由研究、