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つくづく、この世には善人しかいない

「本田さんは接客というか、不特定多数の人とコミュニケーションを取る仕事が向いてないんじゃないかと思いますねえ」

担当医の話に「ほぁ」と間の抜けた声が出た。なにしろ5年間も接客業に従事してきたのだから。コンプレックスである人見知りを改善しようと選んだ仕事だったのだが、どうやら効果はなかったらしい。

以前勤めていたコールセンターで、筆者はメール接客を担当していた。

1日200通以上届くメールに目を通し、問い合わせに沿った返信を作成する。顧客から届くメールの多くは親切で丁寧なものなのだが、それがすべてではない。

たった一言"まだ?"とだけ書かれた何を希望しているのかよく分からないものから、ダ・ヴィンチ・コードのような怪文書まで。

メール窓口では顧客の意図が掴みにくいメールも山のように届く。

電話や対面接客であれば、その場で顧客に確認できるのだが、メールのような一方通行のツールではそうもいかない。

安易に確認の返信をすると"そこに書いているのだから、ちゃんと読め"とお叱りを受けることになるので気が抜けない。活字による顧客からのお叱りは強烈である。“非常に”とか“大変”とか、そんな簡単に言い表せないほどに。

数日引きずってしまうようなキツい言葉を投げつけられることもある。

筆者はこうした暴言に遭遇するたびに打ちのめされるのだが、それも場数を踏むうちに慣れた。生意気にも「お、今日の給料は饒舌だな」などとのたまうようになっていた。

しかし就職してから1年経ち、2年経ち、筆者に任される案件は次第に焦げ付いたものになっていく。気がつけば筆者は、到底"顧客"とは呼びたくないような人たちの案件ばかり抱えていた。

いわゆる"普通のお客様"は、この中にほとんどいない。

度を越えた殺害予告やしつこい嫌がらせ、どこかから盗み取ったクレジットカードが使えないと食ってかかる不届き者までいた。世の中に悪意を持った人間が想定以上に多いことを知ったのもこの時期だったと思う。

「この人は給料、この人は給料」

理不尽な暴言も、支離滅裂な要求も、毎月振り込まれる給料になるのだと思えば我慢できた。どうしても我慢ならない場合は、チューハイのロング缶を2本も飲めば良かった。

不器用ながらも仕事とは真摯に向き合っているつもりだった。

そんな生活がさらに数年続き、ほころびができ出したのが勤続4年目の暮れのことである。ある日を境に筆者は物忘れが激しくなった。普段しないような凡ミスも目に見えて増えた。

上席に何度も注意され、今度こそはと慎重に対応を進めようとしても、やはりミスが出る。筆者のミスが原因で新たなクレームが発生し、それをリカバリしようとして新たなミスを犯す。

なぜこんなにケアレスミスを連発するのか、自分でも分からなかった。ハッキリと、混乱していた。

「骨格が変わるまで殴ってやるから、首を洗って待ってろ」

メールにて指示された時間に電話をかけてみると、ヘッドセットからドスの効いた声が響いてきたが「左用でございますか」としか言えない。正直、顧客の恫喝よりも、会社のお荷物になってしまっている自分自身のことで頭がいっぱいだった。

退勤後も次の出勤が恐ろしくて何も手につかない。一体自分はどうなってしまったのだろうか。日々の混乱と恐怖に根を上げた筆者は、アルコールに救いを求めた。

酒は優しい。

日頃のストレスを優しく、かつ強引に流し去ってくれる。どんなに深刻な悩みも酔っ払ってしまえば大したことないように思えた。一人暮らしの筆者を慰めるのはいつも酒だった。

気づけば1日に消費するロング缶は4本に増えていた。酔わないと眠れなくなり、起き抜けに一口酒を含んでから出勤していたのもこの時期である。

いつものように二日酔いに耐えて出勤したある日、またも筆者はクレームを起こした。

目を三角にして怒る上席の言葉が、不思議と耳に入ってこない。これは夢なのかと錯覚するほどくぐもった声だったが、手のひらに突き立てた爪がピリピリ痛み、これが現実だと悟る。

またか、と思った。まただ、とも思った。いつまで続くんだろう、何を言われるんだろう、損失はどれくらいなのか、今度こそ首を切られるのか、首を切られたらどうしようか、仕事のできない筆者を雇ってくれる企業はあるのか、こんなことなら駅のホームで身を投げた方が良かった――。

勤続5年目の正午過ぎ、筆者は初めて職場で泣いた。限界だった。

急にわんわん泣き出した筆者を、同僚や部下が珍しそうに見ていたが、もうどうでもいい。

この数年、見ず知らずの他人の悪意を嫌というほど見てきた。世間にこれほど悪人が多いなら、誰か自殺する勇気のない筆者を殺してくれないかと願っていたが、どういうわけか筆者の周りには善人しかいない。何一つ思い通りにならない。

結局その日は早退させてもらい、筆者は上席の指示で後日精神科を受診することになった。結果は精神疾患。医師の指示で休職することになったのだが、結局筆者が復帰することはなかった。

心身の健康も、社会的地位も、プライドも、全て失った。ボロボロだった。

あれからいくつか季節が過ぎ、ボロボロだった筆者はボロの状態まで回復した。未だに社会復帰はできていない。

「不特定多数の人とコミュニケーションを取る仕事が向いてないんじゃないかと思いますねえ」

改めて担当医の言葉を反芻する。憑き物と一緒に何か大切なものも滑り落ちたような、不思議な気分である。

筆者は、見ず知らずの人と軽やかにコミュニケーションを取れる人が羨ましかった。スマートに雑談を楽しむ人が輝いて見えた。

自分もそうなりたくて、コミュニケーションを取る仕事に就けば、いつかそうなれると思っていた。仕事が辛いのは当たり前で、会話がぎこちないのは経験を積めば次第に改善されていくものだと信じていた。

担当医の何気ない一言で、それが幻想だと思い知らされた自分の胸にこみ上げる微妙な感情をなんと表現したら良いのだろう。

確かに、知らない人と話すのが苦手な筆者にとって接客業は試練の連続だった。

突然突拍子もないことを言い出すし、顧客自身の過失を指摘すると逆ギレする。話し相手がほしい暇な顧客の無益な話に数時間拘束されたこともあった。

それでも筆者が向いていないはずの接客業に5年間も従事し続けられたのは、一緒に問題を解決したときに顧客からかけられる感謝の言葉があったからだ。

「本田さんっていうのね? ありがとう、優しい人で良かった」

過去、丁寧に筆者の名前を覚えてくれた顧客がいた。

「丁寧な接客で、また利用したいと思いました」

アンケートで筆者の接客を褒めてくれた顧客もいた。

単なる給料ではない。みんなみんな、筆者の大切なお客様だった。彼らにとっては何気ない一言だったのかもしれないが、筆者はこうした言葉の一つ一つを今も大切に覚えている。

つくづく、この世には善人しかいない。

彼らがいなければ、筆者が接客業の素晴らしさを知る機会は一生訪れなかった。もし、あの時のお客様がこの文を読んでくれているなら、筆者はあなたたちにマニュアル通りではない、心からのお礼を申し上げたい。

筆者に接客の楽しさを教えてくださり、本当にありがとうございました。

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