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2020年10月の記事一覧

ここに居るわたしは、世界で1番かっこ悪いわたしだ。

わたしは、「書き手であるわたし」と「書き手でないわたし」に別の人格が宿っている、そしてそうであって欲しいと常々願っている。 その方が、自分の文章を客観的に読むことができるような気がするからだ。 少し前の話になるが、note以外の媒体での名義の名前を変えた。外部のwebサイトへの投稿を少しずつ増やしている。それに伴って、noteに顔を出す頻度も少し落ちている、気がする。 note以外でも書き出すようになって思ったことは、真っさらなところに書き出すことがいかに難しいかという

シャンシャンに会いに

ハッキリした色の組み合わせを好む友人がいる。 特にグッとクルのが、白と黒の組み合わせらしい。 市松模様のアイスボックスクッキーが大好きだし、服装もいつも黒っぽい。オセロの色合いもスカッとするらしい、つまりチェスも同様だ。(イヤリングだけはファンシーな小花だったりするのが謎だけれど、それは敢えて突っ込まない) そんな友人から、上野動物園にいるジャイアントパンダ「シャンシャン」を見に行こう、と誘われた。もうすぐ中国に返還されるからその前に、是非と。 好きだったよねパンダ。白

自分の中に「何もない」と知って、悲しくなったあの時の気持ち。

今は、始めたばかりのことばかりで、 わからないこともたくさんあって、 知りたいこと、 調べたいこともたくさんある。 それが、毎日減るどころか、 どんどん増えていく。 それでも、ゆっくりする時間も欲しくて、 時間配分が難しい。 でも、ニヤニヤしちゃう私がいる(笑) 何がしたいのか、何が好きなのか、 外からもらう刺激での好きとは別に、 自分の中に何もないことが、 本当に悲しかった。 探しても探しても見つからなくて、 わからなくて、 何がしたいんだろう? 自問自答の日々だっ

オート三輪、しばしば横転す/田舎の農道

  「僕の昭和スケッチ」39枚目 <画/もりおゆう 原画/水彩 サイズF5> オートバイとトラックのいいとこ取り、と言われたオート三輪。 あなたの街や村にも走っていませんでしたか? 安くて小回りがきいたオート三輪は戦前から1950年代に日本全国を走り回っていました。当時の日本では、まだまだすれ違い困難な未整備の狭い路や曲がりくねった路が珍しくなかったのです。そのため、オート三輪の機動性はなくてはならないもので、酒屋さんから農家まで非常に重宝された車だったのです。 だが

昭和はオニギリの時代

  「僕の昭和スケッチ」38枚目 <画/もりおゆう 原画/水彩 サイズF5> 昭和ってオニギリの時代だと思いませんか? だって、お弁当って、それしかなかったでしょう? (貧者の独断) 運動会や、遠足の日に今時の見た目も綺麗で美味しそうなお弁当なんて映画やTVの中の世界でしたよね。(独断アゲイン) ちょっと(そうとう)独断ですが、言って見れば、みんなオニギリだった! 梅干しや、おかか…、たいていそんなものだった。 (いやいや、タクワンは二切れくらいは付いていたぞ。)

ノヴェッロの季節がやってきた

 以前イタリアのウンブリアからトスカーナにかけてドライブで周遊したことがある。ウンブリアといえば聖フランシスコ会の聖地である巡礼地アッシジ、トスカーナといえばイタリアルネサンスが花開いた大人気観光都市である花の都フィレンツェや、そのフィレンツェと覇を争った芸術の町シエナなどがよく知られている。  ドライブ旅行の時には、もちろんこうした有名な町にも立ち寄ったのだが、それ以上に心に残った情景は、丘陵地帯に続くブドウ畑や、その合間の丘の上に点在する、大都市以上に中世の歴史をしっか

10年

2010年。今から10年前、私は2度目の離婚をした。 あれから10年が経った。 今日、仕事から帰ってポストを開けたら不動産屋からマンションの更新手続きの書類が入っていた。 「あ。5回目の更新だ。あれから10年経ったんだ。」 当時、娘は18才だった。高校3年生も終わりに近づいていた頃。 娘はモラハラ夫(娘にとっては義父)との離婚を切望していた。2度目の離婚は娘に背中を押されたことが大きい。 とても頑張り屋さんで、手芸とトランペットが趣味の娘は、高校を卒業したら将来の

雑念払いたくて1ヶ月瞑想したらロボットになりそうだったからやめた

自分は慎重な性格で、行動したりするときは常に頭で色々考えているけれど、慎重さが偏っていらないことまで考え、不安が増して行動に移せないことが多々ある。 そういった雑念が邪魔して人生損してるなーと思った時が過去にあって、それを払拭するために瞑想を始めたことがある。しかしその結果雑念は払えたけどロボットになりそうだったからやめた。 瞑想をするのは良いことだけれどしすぎるのは良くないのかも。 雑念が無くなる代わりに感情が無になった 瞑想を始めて2~3週間ほど経ってからは、やり

パピハロバイバイ

明日からNovemberザッツ霜月という事で、少しこの秋の心境を振り返ってみよう。お酒も少し入れたし、フリーな気持ちで行ってみよう。 ストーカー君問題で悩んでいた。私自身で処理できず、心も整理出来なくて自分を責めていた。 その間に色んな人の意見を聞いたり、自分なりに対処を頑張ったり。社内の正式な部署にも相談した。 それでも彼は私の職場にやってくる。 彼が自分の職場から逃げたくなるとやってくる。 自宅も知られている。次第に過剰に怯え始めた。 私の様子を見て、同じ職場にいるメ

人生の半分くらい寝ていた

noteを書いていて、自分の限界をハッキリと感じることがある。 それは、人の書いた文章を読んで、「人生みっちみちに濃く何かをやってきた人の書くものにはかなわない」という自分の至らなさだ。 昨日から立て続けにそういう方の記事を見つけて読みふけってしまい、ふと我に返った時、自分の書くものの底の浅さになんかどうでもいい気分になってしまうのだ。 私はなんだかんだ人生の半分くらい寝ていたんじゃないかと思う。 いや、誰でも一日の三分の一は睡眠時間だから、トータルで人生の半分くらいはみん

138 夕方のジャムトースト

休日に夢中で本を読んでいると、なんとなく活字が見えにくくなったな、と思い顔をあげたら夕方でした。秋の夕方はほんの一瞬。あ、と思ったら、すぐに夜になっています。 窓から見える夕方の空はとてもきれいで、顔をあげてよかった、と思いました。 早足で過ぎる雲。オレンジ色の空気。 今日一日にさよならを告げる太陽の光は、心底あたたかくて贈りもののようです。 そんな風に夕方に見惚れていると、ほら、もう夜です。 この夕暮れを目にとどめたい、と思いました。 冷蔵庫を開けると、ジャムがふたつ

スキなことと歩いて行くこと

好きなものや好きな事は 仕事じゃないのがいいんだよ。 ある日、娘にきっぱり言われて昭和な私はびっくりした。 10年位前から「好きなことを突き詰めていく」「好きなことを仕事にする」そんな言葉がもてはやされていた。 とても分かる気はする。好き、は様々な難しさや困難を平気で乗り越える、いや、軽々と飛び越えるジャンプ台みたいなパワーをもったものだから。 けれど 好きを仕事にすると義務になったり責任が増えて辛くなるという人もいる。それもよく分かる。 あるいは嫌な仕事でも続けて行く

割れた貝殻で指輪をつくったあなたへ

あなたがいなくなってからの5年間は長くて短かったように思います。 わたしの恋人が亡くなったのは10月1日でした。警察官でした。夜勤明けで疲れていたのでしょう。お風呂で寝てしまい、そのまま沈んで帰らぬ人となりました。わたしはお葬式には参列せず、お通夜の末席で静かに冥福を祈るだけにとどめました。あの人の傍に行くことはどうしてもできなかったのです。 いま思えば、わたしたちは恋人と呼ぶにはすこし違う関係だったのかもしれません。一緒に過ごすことが恋人なのであれば、きっとわたしたちは

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愚痴について語らせて。

いやぁ、わたしも好きだよ。愚痴るの。 だって、いろんな気持ちに理屈なしになるのが人間だし、異なる考え方も見方を変えれば全部あってるし、色んな人がいるだけで考えも違うし、そんな中で衝突は絶対生まれるし。愚痴を持たないなんて無理だし、愚痴を持つのは自由だよ。なんか理由はないけど気に食わないやつはいるじゃない。自分が悪いのに怒られてなんだあいつってなることもあるじゃない。あとは理不尽なこともいろいろおこるじゃない。 しかもさ、その愚痴を演出家みたいにいい感じに台本にして、その台本