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わたしはここにいる


10代の頃、服がすきなわたしはいつもお洋服のことや自分の惹かれるアンダーグラウンドやカルチャーのことを考えていた。
人が存在し、表している何かがたのしかった。
こんな人がいるのだ。
こんな服の着方があるのだ。
心が動く。
けど、そっくりそのままわたしに当てはめればよいかというとまた違う。
人に似合っても、自分に似合うとは限らないからだ。
失敗しながら、わかっていく。 
そのプロセスがたのしかった。
失敗した分、こうすればいいとわかる。
それは言葉でなく、感覚でわかっていた。

その清さのようなものが私の源流として流れていることを思う。

あー、いつのまに、こんな失敗することが怖くなったんかな。

びんぼっちゃまのように前から見たら立派だけど、後ろから見るとふんどしだったりするズレを、もうやめよう。

誰のわたしでもない。
これが自分だ。
そして、どんな自分でも、わたしはともにいる。
どんなときもここにいるよ。