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自分の意思を持つこと

「毎週水曜更新としながら
ひさしぶりになってしまいました。

今日は忘れないためにここに綴る。

この八月はお香をはじめてオンラインで販売してみる。
自分で決めてやってみる。
一人文化祭のようだった。
文化祭は関わらず遠くから見ていた10代だったけど。
決めてやってみることはおもしろい。
40歳にして知る。(この夏40歳になりました)

決めると、もっとこうしたらいいというアイディアが湧いてくる。
誰かと約束したわけではないけれど、ただやっていくのは
少し孤独で
やっているなかでいろんな角度がみえたり
普段使っていない筋力を使う。
何をするということは、
決めていくことの連続なのだと改めて気づく。

とてもシンプルだけど
誰かに決められたことをすることに慣れきっていたわたしは
自分の意思を忘れかけていたのかも。
もうずっと。
だから、こわくても、小さな一歩を踏み続けていこうね。
そう思う。

同時期に親の背中から「意思」について感じることがあった。

この夏、わたしの実家と
夫の実家とふたつの家に帰った。

不思議だけど、自分の意思で決めて、少し奔放に見える人の方が
年を重ねてから元気だと思う。
わたしのフィルターを通しているからすべてがそういうわけではないとおもうけど。
自分の意思で決めてやってきている人は、合わせて頑張ってきた人よりも
どこか活力がある。

意思の力は、筋力とにているのかもしれない。
使うから使えるようになる。
急につくものではないのだ。

だから、小さなことを意識して、
決めてやってみる。

健やかに生きるために、
とても大切ことが「自分の意思」なのかもしれない。

やらないと決めるのも意思。
やると決めるのも意思。
なんとなくそうなったことは、自分の意思ではないようだけど
無意識で「委ねること」を決めているのかもしれない。

育った環境のなかでその方法しかしかなかったこともある。
気づけたことに感謝して。
身体の中に宿る
「意思」を。
使って生きていきたい。