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二月に向き合ったこと①(発達特性と私たち家族)

今日から三月。
昨日で一区切り。
そして今日から気持ちを切り替えるためにここにこの一ヶ月のことを
綴ろうと思う。
子どもの発達に関して悩んでいる方に、対話するように読んでもらえる機会があったらうれしいなとおもう。
そして、一年後の自分がこれを読んでまたどんなふうに感じるか。
「子どもの発達と成長と特性について書いてみようと思う。


二月は子どもの発達のことに向き合う日々。
子どもの発達特性に「自閉スペクトラル」という診断がついてから、何も変わらないとおもっていたのに、心が揺れる自分がいた。
落ち込んだり。
これからどうしようとおもったり。
目の前の子どもは何も変わっていないけれど、私自身が翻弄してしまう。

小さな頃からから癇癪になやすい方だと思っていたけれど、それはいづれ終わるだろうと思って楽観的に考えていた。
自閉傾向だからといってずっと癇癪が出るわけではないと思うし、得意なこと苦手なことは誰にだってある。
でも、わたしのなかで受け入れるということが重くのしかかったことも事実だ。
そして何より、子どものことをわかりたいと思った。
このことがわかるならこれは分かるだろうという自分の物差しは捨てた方がいいと知った。

今ちゃんと向きあわなければならないし、
わたしもしっかりと受け止めて進んでいきたい。
息子のことに向き合いたい。

そう思ったら他のことが手につかなくなってしまった。
あれこれ調べたり、療育をまわったり、相談したり。
日々あっという間に過ぎていく。

でも、きっと息子はそんなふうに奔走しているわたしをみてすこし悲しかったかなって思う。きっと自閉スペクトラムがどんなものか調べるよりも、困った顔して、怒っているよりも。
蝋梅の香りを一生にかいで笑いたかっただろうなって思う。
車をみて、ワクワクしたかったと思う。

息子自身も、春から幼稚園に通い出す変化や、
自分の何かが問題なのかもしれないと、ここ最近の私の様子を見て気づいているかもしれない。
いつもよりも癇癪が激しくて、夜は歯軋りしていた。

このことばを綴りながら、自分の未熟さを感じるけど
わたしもまだ母になって三年半とすこしだ。
許しながらここにいる。

ある療育園の先生に質問した時のことが印象に残った。
「発達に特性を持つ子どもを持つ親が意識することやできることっでどんなことだと思いますか?」と尋ねた。
先生は
「大変な時に助けてって言えることだと思います」
そう答えてくれた。

その言葉に「大変です」と言ってもいい、感じてもいいことを知る。
我が子の子育てを大変だなんて思ったらいけないとどこかで思い込んでいる自分に気づいた。

「ここにやってきたことすべてを受け入れる。」
この言葉は、出産の1ヶ月前に心拍のようすが変わり急遽大学病院で検診することになった、病院の駐車場で心に決めたことだった。

だから、大変だなんておもったらいけない。
そんなふうに自分に課していたのだろうか。

自治体の3歳半検診の時、興奮して走り回って、指示が入らなかった息子をみて
「お母さんなんだから先生を待たせてるなら、ひっぱってでも連れてこないといけない」
そういった看護師さんがいた。

嫌がる息子の手をひきづって、無理矢理抱き抱えて、その場で歯科検診を受けさせたことがなんだか、まだ腑に落ちなくてどうしようもない気持ちになる。
「辛かったね」
直後、そういって息子を抱きしめてくれた子育て支援のスタッフさんのことばはこの先も忘れない。
検診会場の1階から2階にいくエレベーターでひとり静かに泣けてきた。

ほんとに辛い時に、寄り添ってくれる人のことばは
雪解けのようで自制がきかないのはむかしからだ。

具体的にこれからどう特性と関わっていくのか。
今回どうやって療育園やこれからの方向を決めたのか。
あと何度か書いてみようと思う。


わたしも発達凸凹がある。
夫も凸凹がある。
どちらも比較的おおきな波。
むすこもそうで。
わたしたちは凸凹家族だ。

おもしろがっていこう。
これが今わたしがみえてることだ。