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おはなし

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短いおはなし
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記事一覧

龍神憑き

 今年の梅雨は雨がほとんど降らなかった。
 四本足でのったり歩く音と二本足でだらだら歩く音が、西日に染まった砂利道を荒らしている。前を行く犬が時々おれを振り返って後方確認し、また尻を少し振りながら前を向く。何を考えながら歩いているのだろう、と思う。散歩楽しいとか、あれはなんだとか、そんなことを考えているのかもしれないし、あるいはなにも考えていないのかもしれない。おれもおれで、いまは冷蔵庫の中身を思

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うめことば

 梅酒だれだぁ、という声に返事をしたとき周囲からは「え、のえ?」「野江ちゃんいけんの?」という声が湧いた。人づてに回ってくるグラスを受け取って誰と乾杯することもなく飲む。
 以前いた会社の同期に誘われた飲み会だった。この日暇だったらおいでよ、と誘われて行った集まりには男が四人、女が三人。男性席に座っているひとは全員知らないひとで、女性席に座っているのは誘ってきた元同期のほかに、見知らぬ女性がふたり

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宝石の森

 深い緑の世界だった。陽の光すらも届かないような、深い森のなかだった。霧のように黄色い粉が舞い、それらは当たり前の存在として空気とともに漂っている。
 手に剣を携える。細く長い、うつくしいフォルム。日本刀。これの扱い方を誰に教わったのか。ずいぶん手に馴染んでいた。
 やがて森の奥から姿を現したのは、妖精のごとく愛らしい姿をした緑色の生き物だ。全身の皮が黄緑色で、自分とはまったく異なる生き物なのだと

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手紙

 拝啓、
 庭に植えた梅の花が今日ひとつ咲きました。すこしずつ春の気配を感じはじめました。

 それだけ書き綴ったところで便箋を片手でくしゃりと崩し、冷めてしまったほうじ茶をすする。窓に面したカウンターに敷いた座布団が四席分と、小さなちゃぶ台の席がひとつ、向かい合わせに敷かれた座布団の間に佇む。たったそれだけの、ちいさな店だった。背後にあるキッチンからは炊きたての米の甘くて香ばしいにおいが漂い、ち

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神様行き列車

 列車がまた速度を落とした。
 窓の外は白以外になにもない。雪を知らない街で育った彼女は飽きずにそれを眺めていた。行き先のことを、彼女は知らない。天国だか地獄だかがこんな景色であればいいのに、とぼくは思う。
 ただいま降雪のため、速度を落として運行しております。スピーカーを通した男性の低い声が先ほどからその案内を繰り返している。
 列車内にはぼくたちだけが乗っていた。はじめからそうだったのか、だん

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こいびとの話

 ねえ聞いて、ノリエのことなんだけど。前にさ、彼氏と別れさせたって話したでしょ。そう、例のクソみたいな男。自分からデートに誘うくせにいつも財布持ってこなくてノリエが支払いしてたってさ、完全にヒモじゃんか。ノリエも悪いんだけど。いいよいいよ~って言って支払っちゃうから。何回言っても「忘れちゃったんだから仕方ないよ」ってさ。わざとだって言ってんのに聞きやしない。その前の男も、毎回なんか怪しい契約書持っ

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