吉川いと花
おもったときに
だれかの糧になりますように
短いおはなし
家の扉を開けた瞬間、ひやりとした空気が肌に触れた。その時点で察した。ああ……エアコン、切り忘れた。 ゴミ捨てを忘れたことの次にダメージを負うのが、冷暖房の切り忘れだ。とても精神にくる。どうしてだろう。帰宅後しばらく動けなかった。ひんやりとした空気はその間も肌を、身体を、冷やし続けていた。 通勤時間に読んでいた本を読み終わったので、仕事終わりに本屋さんに寄った。ひさしぶりに本屋さんへ立ち寄ったら、マスク越しでも感じる紙とインクのにおい。本屋さんのにおいだ。 ブクログと
何年も前に文学フリマで購入した、山下真響さんの「ひとりむすめ」を読んだ。発行日を見たら2018年。読むタイミングを失い続け、長く眠らせてしまってごめんなさい。読みました。 厳格な父とふたり家族だった千代子が、ある日唐突に零という男性の元へ嫁がされる。まだ高校生だった千代子。父に言われるままに家を追い出され、見知らぬ男性との生活をはじめることになる。零はとても声がちいさくてなにを言っているのかわからない。けれど、その声は千代子にとってとても心地の好いものだということはたし
すこし前に6月がはじまったなあとおもっていたら、もう終わりそうになっている。いつの間にか梅雨入りもしたそうで。この家で過ごす、2度目の梅雨。ぼんやり日々が過ぎ去っていって、まいにちをただ浪費しているような感覚。 読書がしたい、とおもった。おもえるようになった、が正しいかもしれない。 文章を読んでも理解ができない時期があった。仕事に支障が出るレベルで、文字を身体が受け付けない時期があって、ほんとうにそんなことあるんだと新鮮に衝撃を受けた。そんなわけで、読書から遠ざかって
きのう、ひとりで暮らす家に初めてだいすきな親友を招いた。この家にひとを招くのは、家族と業者以外だと彼女がはじめてだった。古い記憶だと、小学生のころ、実家に友だちや幼馴染たちを招いて誕生日パーティをした写真が残っているのでうっすら憶えている程度。それくらいに、ひとを家に招くという経験が薄い。 招くにあたって、なにをすればいいのかまずわからなかった。掃除や片づけはもちろんのこと、ほかになにをすればいい? おもてなしとは? インターネットで調べてもおもてなし料理の話しか出てこ
年末から実家に帰って、母とふたりだらだらりと過ごしてぼんやり年明けを迎えた。ふたりして「あけましておめでとう」「ことしもよろしく」と言い合った後にやっぱり「年明けの実感がないよなぁ」と言った。きっと1年後にも同じことを言いながら年明けを迎えるのだろう。 お昼ごろに祖父母の家に行き、祖母のお雑煮を1年ぶりに食べた。これを食べると、すこしだけお正月の気分になる。祖父母の家に行くとお正月は毎回天ぷらとお雑煮を食べることになっているから。実家でいろいろ食べ過ぎて、あまりお腹が空
年末。仕事納めをした日、お決まりの「よいお年を」という挨拶を口にしたけれど、さっぱり実感のわかない、からっぽな響きだなとおもった。これは数年前にもおなじことを感じたような気がする。それくらい、年末感がない。わたしの2023年はさいきん動き出したようなものだし、むしろ年明けだ。 大掃除はことしもあまりしなかった。気になったところだけちょこちょこと小掃除をした程度。こんな家には来年もきっと福は来ないだろう。でもじぶんしかどうせいないのだから、じぶんが気にならなければ究極なん
実家のクローゼットから、高校時代に着ていた学校指定のコートが出てきた。紺色のロングコート。袖を通してみるとずっしり重たい。これを着て、重たい鞄を提げて登校していたのかとおもうと、おつかれさま、という気持ちになる。シンプルなデザイン、かつ、ブランド物というのもあってまだまだくたびれていない。ということで持ち帰ってきてしまったけれど、いまカーテンレールに吊り下げられたコートを見ながら、果たして着る機会があるのだろうか……と冷静になってしまった。高校生時代からそれほど体型が変化し
以前気になった展示にきのう行ってきた。 美術のことは正直よくわからない。すきな画家がいるわけでもないし、美術展に行くこと自体がなかった。でもこのテート美術館展はどこか惹かれるものを感じて、とうとう足を運ぶまでに至った。 当日、うまく眠れなくてそのせいで頭がぼんやりしたまま展示を観ることになってしまって、かなりもったいない体験をしてしまったなぁと反省。絵を見てもすなおな感想が「絵うまぁ……」ばかり。 それでも唯一印象に残ったのは、これまでアトリエにこもって絵を仕上
甘いものが食べたくて、だけど家になにもなかったから近くの自販機で甘い飲み物を買うことにした。 夜、家を出るときに感じる非日常な感覚。シンとしたマンションの廊下を灯すオレンジの光。夜に玄関の扉を開くたび、なぜかホテルに泊まっているような気持ちになる。ホテルの廊下を満たしている静けさに似ているのだとおもう。エレベーターの駆動音が昼間よりも響く。 自販機で温かいカフェオレを買った。カフェオレが飲みたい気分になったから軽率にそれを選んだけれど、そのせいか、眠れない。 深夜帯
きのう散歩の一環で美術館に立ち寄った。同行してくれた親友が見たいと思っていた展覧会が会期中だという。 立ち寄ったときにその展覧会には入らなかったのだけど、帰りのショップでどうしても気になったポストカードを一枚購入した。ポストカードの裏には「William Turner」と記されている。 美術館のショップにはほかにもたくさんのポストカードや本や鞄やランプやポストカードたてや用途不明のものがあって、ショップを見ているだけでもおもしろい。もちろん展示を見たほうがその楽しさは
人生これでいいのかちがうだろ生きろよという気持ちともう終わりにしたいなにもかもという気持ちがいつも闘っている
ノートパソコンを支給され、その使い心地について20,000文字で説明する文章を配信しながら制限時間内に仕上げるという地獄のような企画に参加する夢をみた。そのノートパソコンはキーの打鍵しやすさも要素のひとつとして謳っており、わたしはそれについてとにかく文字を打った。よくわからない文章も打った。文字数をとにかく稼ぐためだ。なぜか隣ではバラエティ番組が大きなモニターで流れていて、そのせいで気が散る。大御所芸人さんのでかい笑い声が鼓膜に強烈なストレートをぶちかます。どうしようもない
忘れていた夏の暑さをじわじわ思い出させる湿度と気温がまとわりついていることに気づきはじめた夜、我が家のエアコンが突然息を引き取った。もともと部屋に備え付けてあったエアコンだった。調べてみたら2004年製と書かれていた。大往生である。 実はことしの春に給湯器も壊れた。これも2000年代製造のものだった気がする。おそらくマンションが建ったころにつけられたものと思われる。このまま備え付けのあらゆるものが次々に壊れていくいちねんになりそう。 ちなみにスマホのカメラも壊れた。
さみしさは永遠に続く空腹
ひとの声がそばにいてほしくて、You Tubeのライブ配信を1日中流している。ひとからひとへ。いろいろなひとのライブ配信やアーカイブが部屋の隙間を埋めている。 実家にいた頃はひとりのときにテレビをつけないことのほうが多かった。周囲が騒がしくて生活音だけで満たされたし、夜になれば母がいたから充分だった。いまは1日家にいて、声をひとつも発さない日のほうが多い。周囲の環境音も静かだから、空間には静けさばかりが満ちている。 なにもできない時間が多くて、さいきん才能について考え
わたしのことばがだれにも響かなくてもわたしにだけ残ってくれたらそれでいい