『自立』と『自律』は似て非なるモノらしい
とあるキャリアに関する論文の一節にギクリ
以下の文はキャリアに関する「自律」と「自立」の違いです。
この論文のこの一文を目にした時に、少しギクッとなってしまった。
--僕は「自立」しているのか「自律」しているのかと…--
そして以下の文が続く。
あーこれは、僕も「キャリア自律思い込み症候群」なのかもしれない。
自分はそうではないと願いたい。
しかし、時には「キャリア自律思い込み症候群」かもしれないと仮定して客観視することも大事だと考えています。
「自分の気持ちを大切にしたい」社会
そんな時、岡田 斗司夫さんの本の一節を思い出しました。
この小節では、情報のフリー化が進み、自分の見たい情報やデータを「選べる」社会への移行で起こる価値観の変化を読み解いていました。
昨今のSNSのシステム的にもこの価値観は加速しやすいと思っていて、自分の都合の良いようにデータを選択して切り取ることは容易になってきたと思っています。良くある「おすすめ機能」は見たいもの選んで見せてくれるようになりましたね。(この記事だって、関心があるあなたに届きやすくなっているハズ)
自分で見たいものを選んでそれが「正解のように見える」社会になれば、
「自立」する、つまり「自分らしさ」を発揮することは意外と容易になると思うのです。
それ以上に「自立」した個人同士を調節しながら、自分自身を律する「自律」が難しいことなのだと僕は感じました。
皆さんは、「自律」と「自立」の違いについてどんなイメージを持っていますか?
よかったらコメント教えてください!それでは今日はさようなら!
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