生きづらさと共に!NO.52 これからの人生を、切り開いていく。
私は、昨年の3月まで、色々なことに決断したり、何かを行動する度に、後悔する、否定する、くよくよ悩む、というような生活を、50歳までしてきた。
そして私の気持ちは、人よりも何歩も後ろを遠慮がちに生きてきた。
貧乏だから、お金がないからと、マイナスのことしか考えなかった。
しかし、いざというときの決断は、一度決めると誰がなんと言おうと曲げなかった。
そのあたりは、いろんな意味で我慢強い。
良くも悪くも。
子どもの頃、家が裕福でなかったり、母親が病気で亡くなったり、父親が子育てを野放しだったり…
私の小さい頃は、言葉が出てこなかったわけではなく、自分の中での曖昧な記憶ではあるが、話したくなかったのだと思う。
きょうだいには少しは、話していた。
祖父が学校の先生を昔していたが、とても厳しく、食事中も、話をするのは許されなかった。
今、色々と学ぶ中、どうしてこんなに、行動力がないのか、本当に思う。
その答えも私の幼少期に大きく関係することがわかった。
『自分のことは自分が一番わかっている』
本当にそうだと思う。
自分が学んでる中で確信したことである。
自分が思っていた通りだった。
今まで、自分は…と、マイナスのイメージばかりだった。
と言っても、こう見えて、いや、こう見えてと
人からどう思われてるかなんて、聞いてみないと一生わからないのだけど、自分のことは今は肯定しかしてないけど、それでも、未だに、たまーに、人は、自分のことをどういうイメージで見ているのだろう?と、ふと思うことはある。
決して囚われてはいないのだけど…
お正月、温泉に行く!
という義母の強い思いもあり、今日やっとのことで予約を入れた。
今まで、お正月、お正月でなければ、じじばば抜きで、色んなところに遊びに、ちょこちょこと泊まりがけで行っていた。
行動力のない私なのに、ほとんどいや、全部の旅の予約は私がやり、運転はほとんど男性軍に任せてきた。
例外もあったにはあったが…
言い出しっぺもほとんど私だ。
しかし今回の温泉旅行は違う!
義母に持ってかれた!
義母の口から『〇〇(長男の名前)、お正月一緒に温泉に行こうね』
だった。
これが数年前なら、今の状況なら、私から全否定されたに違いない。
私と弟で話した時には、もう無理だと思っていたから、ゆっくり家で過ごそうというくらいしか考えていなかった。
思えば、今月の20日で、入所していた施設から、帰るー!と言って聞かなかった義母が我家に帰ってきて早、1年!!
その時も確か、家で見るには無理だ!
なんて思ってたけど、今まで、どうにかなってきたのだから、無理だと決めつけないことだなって、義母からまた、学んだ。
本当、元気になったなと、外見はどこも悪くないのかと思うくらい元気だ。
人間、本人が無理、と思わない限り、無理ではないのかもしれない。
ちなみに今回は、実父は遠慮しとくということだった。
あれだけうるさかった実父も、もう、そんなに声も張れない。
今まで一緒に行ってきた温泉も、ついに無理だと本人が決めた。
本人が言うのならそうなんだよと思う。
時の流れを感じる。
義母を始め、家族一同、お正月まで楽しみに過ごせそうだ。
少し先の楽しみがあるのは、良いことである。
自分で自分がどうやってこうなっていったのか、やはり、幼少期に、否定されて、あれもダメ、これもダメと言われ続け、自分の意見も通ったことがなかった、その、4歳から6歳ごろ、自主性が育つとても大切な時期だったようだ。
やりたいことを、目的をもって行う体験を積み重ねることで自主性が育ち、他者からの評価を気にして『自分の行動を周りに否定されるのでは?』という疑惑や、恐れ、罪悪感を抱くと消極的になる場合があるという。
自分に自信がなくなり、自己肯定感が低くなった原因はそこだと自分で確信した。
もちろん、もう、声も張れない父親に言うつもりもないが、その頃、もしかして、父親なり、私のことを肯定して、少しでも褒められたり、やりたいことを一つでもやらせてもらえていたら、今の行動力のなさはなかったのかもなと、本気で思ってしまった。
しかし、このことも、もう、過去形である。
今からの人生を、悔いの残らないように過ごしていくには、そのことにも普通の丸ではなく、二重丸でもつけて、自分の人生を自分で切り開き、生きたいように、進みたいように進んでいくしかない。
温泉旅行の予約をしただけなのに、何だか強い決意になってしまった。
私が、初めてお世話になった板長が言っていた。
丁度20歳の頃。
『自分の人生は自分で切り開くしかない』
私がそのリゾートホテルを去る時に、おやじさん(板長)から言われた言葉だ。
20歳の時には、ほんの上辺だけしかわからなかった言葉だけど、さすがに、30年も経った今、しみじみとわかる言葉で、今の私に一番しっくり来る言葉だとさえ思う。
確か、その頃板長は50歳そこそこだった。
恐らく、私くらいの歳になると、ほとんどの人がわかる、通る道なのかもしれない。
今日も最後までお読みいただき、心よりありがとうございます^ ^
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