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生きづらさと共に!NO.26 いちごの花(itigonohana)の花言葉  幸福な家庭とは...

夏休み、気づけばもう、8月4日。
お盆を前に昨日、お上人さんが、いつものように、お経を唱え、次のお宅に行かれた。

8月になると、何となくもう、お盆を前にソワソワしてくる。
この家で、私だけだと思うけど…
いや夫も多少あるのかもしれないが。

お盆の準備で、お仏壇の掃除に、花や、御供物などを買ってきて、準備をし、お上人さんが来られるのを待つのだけど、仕事をしていた時は、仕事を休みにしてもらい、用事がある時は、準備をして、鍵を開けて行く時もある。

今年はまだ、さすがにいらっしゃらないよねと思いながら、昨日は、義母の病院の日だったので、朝からバタバタ、ソワソワしていた。

毎年のごとく、今年は早かったね、と娘と話しているのだけど、今年は今までで、1番早かった。

正直、お昼ご飯を食べ終わったような終わってないような、12時半ごろだった。

昨年は確か、13時半、その前の年は14時、その何年か前は、遅くても16時までにはいらっしゃっていた。

昨日は、あまりに予想外の速さで、朝から病院行ったりして・・・とお上人さんと世間話・・・

早めに冷房を入れて、部屋を涼しくしていたので、備えあれば憂なしと、ホッとしたのだった。

近所の人から、釣れた魚をもらったから、さばけるならもらいにおいで〜と昨日に限って電話があり、ビニール袋を二枚重ねして、さあ行くぞ〜と手に持ち、空気をパタパタと入れた途端に、ピンポーン、今から良いですか?だったので、思わず、娘と2人、笑ってしまった!!

毎年のことで、8月3日に、お上人さんがいらっしゃる日は今のところこの日と決まっている。

葬儀や法事、色々なことを想定すると、朝から、いや、少なくとも前日からは、前準備はちゃんとやっておかないといけない。
いついらっしゃっても、お願いします!という状態に。

緩んでいる夏休みに、少し気持ちに締まりが出る。

毎朝お仏壇には、水、お茶、ご飯を欠かさずあげる、線香もあげる。

この一連の流れがあり、1日が始まり、家族中の願掛けをしている私である。

願掛けと言うよりは、前日までのお礼みたいな感じであるが。

毎月、1日と15日は、神棚の榊と、仏壇のシバを新しいものに変える。

家族中の幸せを願わずにはいられない私だ。

今年の夏休みは、昨年までとは違い、義母も家に居たり、居なかったりだけど、毎日がとても早く感じる。

私は最近、他人軸ではなく、自分軸で考えることができるようになっていて、ある意味、家族のことも、考えてはいるが、家族を自分の枠にはめようとすることはなく、イライラすることもほとんどなくなった。

人は一人一人、誰一人同じ考えの人はいない。
似たような考えの人はいる。
いくら、家族であろうが、夫婦であろうが、考え方は、みんな違っている。

51歳のこの歳になるまで、家族に合わせ、夫に合わせ、自分の周囲の人に合わせてきた私であった。

合わせることが決して悪いわけではない。
仕事では合わせないと絶対にやっていけないところもある。
合わせることができる人と、できない人がいる。
できなければ、一人その中で浮くか、やめる選択しかない。

私は人に合わせることは得意になってしまっていた。
しかし今は違う。

もちろん、長い年月合わせるばかりではなかったし、自分の意見もちゃんと言いながら、家族や夫婦ではやってきたつもりだ。

しかし今、二人の息子たちは県外に就職して、一緒には住んでいない。
娘が一人一緒に住んでいるが、半分は、子育てが終わったようなもので、家族としても、夫婦としても、結婚前と結婚後、子どもたちが大人になってからは、接し方も考え方も変わった。

もちろん合わせるところは合わせる、しかし、趣味なんてものは、夫婦で考えても、家族で考えてもほとんど違う。

子育てをしている時は、夫婦は、子育てという一緒の目的があった、しかし今は、それぞれが違う方向を向いている状態だ。
それでも、同じ方向を向くこともある。

それで良いのだ。

考えが違うから、趣味が違うからといって夫や家族を嫌いになるわけではない。

夫や家族の考え方を変えることは 私にはできないことである。
誰もが存在しているだけで価値ある存在なのだから、その人自体、一人一人を受け容れると、家族はうまく、広い空間の中でまとまることができる。

それが、私が目指しているいちごの花(itigonohana)の花言葉の一つである『幸福な家庭』である。

今日も最後までお読みいただき、心よりありがとうございます^ ^







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