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【それは弱さじゃなくて強さじゃないか】

「死ぬ思いまでして学校なんて行かなくていい。」

険しい顔でそう言ったのは、七十になる男性だ。キャリアカウンセラーとして日々多くの若者と接している。時にお茶目な冗談を言い、時に親身に寄り添う姿は印象的だった。私は何年も何年も、その姿を目にしていた。職種は違えど、私もその職場に属していたからだ。

休憩中、彼と、子育ての話になったことがある。当時まだ長男を産んで間もなかった私には不安しかなかった。その一部をほろっとこぼした時、彼は全てを察したように、色んな話をしてくれたのだった。
会話はいじめ問題へと発展した。私の息子はいわゆるハーフで、名字もカタカナ、名前も日本人からしたら風変わりである。やはり私には不安しかなかった。
話が深みを増していく中で、彼はあの言葉を言い切った。
まだ若く浅い母親の胸にきちんとざくりと突き刺さるように。
その胸の奥底にきちんとどしりと沈み落ち、一生忘れ得ぬように。

          ∇∇∇

そこは、産後初めての職場ではなかった。
リーマンショックを引きずる世の中で、乳児を抱える女の再就職活動は容易ではない。「お子さんまだ小さいんですよね」の一言で希望職種の面接はことごとく斬られていった。

私は食品製造業に派遣として従事することになった。流れ作業でコンビニの弁当をひたすら作る。オクラを乗せる日もあったし、ハンバーグを詰める日もあった。周りは外国人ばかりだった。フィリピン人、中国人、ブラジル人、タイ人。
その中に混ざってひたすらに手を動かした。

働き始めてまだ日が浅いある時、少し年上の日本人女性が話しかけてきた。甲高い早口の関西弁は多少の圧と快活さを持ち合わせていた。
私達は、よく話しよく笑った。彼女の友人達も、徐々に私を仲間と認識したようだった。
彼女が話していたら仲間。彼女が良しと言えば良し。そんな幻覚にも似た説得力と統率力が、彼女にはあった。

「おはようございます。」
彼女を見つけ、私は明るく挨拶をした。
私は独りになっていた。
彼女は、見たこともないような冷たい目つきで私を凍らせ、無言で立ち去った。
昨日は会話があったのに、昨日は笑顔があったのに、この状況がどこから生まれ出てきたものか全く分からなかった。ただ、私の足場が一瞬で崩れ落ち、居場所が一瞬で消え去った恐怖だけはしっかり感じた。
仲間の数人がいつも通りに話しかけてくる。私は安堵して笑顔で応える。あぁでもきっとこの安堵は今日限りのものだろう。彼女たちはまだ知らないのだ。あの人がまるで遊びのように思いついたプランを。あの人が振りかざすだろう、幻覚のような統率力を。

          ∇∇∇

無視されるだけならまだよかったが、甲高く圧の強いその口調は、毎日毎日私を攻撃し続けた。どうでもいいような小さなことまでことごとく拾い上げ、投げつけてくる。私は日に日に萎縮を繰り返した。そのまま縮んで消えて無くなりたかった。

ある日、フィリピン人の女性が、ひたりと私に体を寄せて腕を掴んできた。驚く私に、強い眼差しを向ける。
「イテちゃん。あの人にいじめられてるの?」
どくん、と心臓が跳ねた。
私はとっさに下手な笑みを造り、そんなことないですよ、と平気なふりをした。
彼女は強いままの視線を緩めず、言った。
「いい?いじめられてたら教えてね。私があの人に言ってやるから。」
私の曖昧な笑顔などとっくに見破られている。そう分かっていてもその嘘を顔面から剥がせなかった。弱々しい助けてが言えなかった。

ある日、私に甲高い声を投げつけたあの人の元へ、駆け寄る女性の姿が見えた。
「なんでイテラちゃんにそんなこと言うの。優しくしてよ。」たどたどしい日本語だった。
あのフィリピン女性ではなく、別のタイ人女性だった。その声をも無視してあの人は次の作業に取り掛かる。

私は毎朝重い足を引きずって職場に向かった。傷つき続けるのは分かっているのに、通い続けた。すぐに辞めなかったのには、理由があった。

原因が私にあると思っていたからだ。
彼女を苛立たせる原因。彼女にいじめをさせてしまう原因。
それが私の曖昧な笑顔だったのか、不安定な相づちだったのか、それは分からない。
ある日突然、私の何かが彼女の引き金をひいてしまったのだろう。

世の中には、他人の存在意義、存在価値を削る作業に喜びを見出す種類の人間が一定数いて、
そこに私のような人間が出会うことで、「いじめ」という化学反応を引き起こすのかも知れなかった。

それならば、職場を変えたって、環境を変えたって、また同じことの繰り返しだろう。
またそういう奴らに捕まって、私は削られ削られていくんだろう。
変わらなきゃ。私が強くならなきゃ。舐められない人間にならなきゃと心が悲鳴をあげる。

         ∇∇∇

 
数ヶ月後、私はひっそりと退職した。
静かにそこを立ち去った。
削り取られて崩れ落ちて、最後の方は形を成していなかった。



通勤片道一時間半。電車に揺られ、駅構内を歩き、また電車に揺られ、駅構内を歩き、地上に出て会社まで歩く。
それでも良かった。幼子を抱える私を拾ってくれた会社があった。

あれからもう十年近くになる。
私は今もその会社に属している。部署は変われど、相変わらず人に恵まれ、環境に恵まれ、働いている。

私は変わっただろうか。
舐められないように、強く強く、鋼のような人間に生まれ変わっただろうか。
いや、今でも弱いままである。
今でも困ったときには曖昧に笑うあの時の私のままだ。弱音も吐けない私のままだ。

「いじめられる側にも原因がある」
よく聞く言葉だ。
きっとそうだろう。
きっと私にも原因があったんだろう。
でもそのままの私を受け入れてくれる人々や環境が実際にいくつもあったのも事実である。


世の中はほんとに広くて、そのままのあなたをすっぽりと受け入れる人や場所が必ず、存在する。
ちがう学校が、ちがう職場が、ちがう土地が、ちがう国が、いくらでもある。
場所を変えなくたって、家にいたって、例えばオンラインの波に乗れば、あなたはこの瞬間にも、どこにだって行ける。居場所はどこにだってある。

          ∇∇∇

真っ直ぐなあの眼差し、腕に感じたあの温度、たどたどしい日本語に滲む強さ。
国籍を超えて文化を超えて、手を差し伸べる優しさを、私も育てたいと思った。
舐められまいと固く強張る鋼のような強さではなく、他人を受け入れる柔らかさの中の信念のような強さが欲しいと思った。

だから私は曖昧さも不安定さも全部引き連れて生きていく。これら全てひっくるめて人間らしさと呼んでみる。

もし息子たちが壁にぶつかる時が来たら、削り取られ崩れ落ちていく前に真っ先に伝えるだろう。

死ぬ思いまでして、そこに居なくてもいいんだよ、と。

立ち去ることは弱さじゃない、
新たな場所へ向かう強さじゃないか、と。










ぇえ…! 最後まで読んでくれたんですか! あれまぁ! ありがとうございます!