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《読書記録》星の子

10月3日。

こんにちは。

この投稿を開いて頂きありがとうございます。

本日は、
       星の子   今村夏子

という作品について述べていきたいと思います。私がこの本を手に取った理由は、本屋さんで1度目にしてから"星の子"という題名と表紙の絵の綺麗さに惹かれたからです。

この作品は、2020年に芦田愛菜さん主演で映画化されていますが、本を探すようになるまでは知りませんでした。

作品のあらすじは、以下の通りです。



林ちひろは、中学3年生。
出生直後から病弱だったちひろを救いたい
一心で、両親は「あやしい宗教」にのめり
込んでいき、その信仰は少しずつ家族のか
たちを歪めていく。

Wikipedia


私がこの作品を読んで見たのは、
何かを誰かを信じる人の姿です。

まず、両親がどんどん、「あやしい宗教」にのめり込んでいく描写。
父が会社の人である落合さんに「金星の水」
を勧められ、その水を使うようになってちひろ病気が治っていくのですが、その後も飲む水は、ずっと金星の水、水に浸したタオルを頭に置くと生命力を宿した水が体に巡っていき、体調も良くなると信じていきます。

いつの間にか病弱な子どもを助けるための手段ではなくなっていました。
手段であった"水"が目的になっていた。
どんなに親戚が家に来て「騙されている」と言ったって、両親は、聞かなくなっていた。

最初は、水で何が変わる?と疑っていたのに

私は、両親がどんどん信じていく姿がもどかしく、気づかんのか?なんでなん?と半ば苛立たしい気持ちになりながら読んでいました。

1つ子どもの病気が治っただけでこんなにも信じるものなのだろうかと。

両親達は、水を教えてくれた落合さんを敬うようになりますが、その姿は、たまに私が感じる何かに縋りたいと思う人間の弱い部分が描かれているような気がしました。その弱い部分は、一気に出てくるのではなく、少しずつ、少しずつ、見えてくる。

この落合さんという夫婦は、
両親に決して教会やその他の行為を教要することはない。けれど、毎度会うたびに彼らにご飯を振る舞い、野菜やお菓子をお裾分けし、お祝いのたびに家に招待する。
少しずつ少しずつ、大切な人•信じられる人になっていくのです。


少しずつ、少しずつ。

そして、
両親たちの心の中に住んでいく。


その姿をずっとそばで見ている、ちひろ。
周りの友達やちひろが恋した先生。
皆んなから 違和感を感じる視線 でみられ
友達からも彼女自身も違和感は感じていました。

私は、両親たちに
「この両親、教会に、水に落合さんに縋ってるだけ、洗脳されているだけ、騙されているだけやん」という感情を抱きました。

けれど、両親と一緒に暮らしているちひろは、1度も両親のはまっていく姿を
縋ってるだけ、洗脳されている、騙されているなんて言わなかった。


信じると縋る 
信じると洗脳
信じると騙される



この言葉の違いを私は、本を読み進めながら、ぐるぐると頭の中で考えていました。

私の中では
縋ることも洗脳も騙されることも
多分、それがどんなに悪いことであっても
結果的に自分自身で信じてしまっている。


しかし、信じる時に
それを信じていなかった自分とそれを信じている自分の2つが
あるのか、ないのか

その対象に全てを委ねて
いるのか、いないのか

自分という中心となるものがそのまま中心に残って
いるのか、いないのか


このことが信じるということと3つ縋る洗脳騙されるの違いなのではないかと思いました。

ちひろと両親
落合さんと息子のひろゆきくん
春ちゃんとその彼氏


ちひろもひろゆきくんも春ちゃんの彼氏も


宗教のことを
全て本当だと思っていない
けれど、側で全てを本当だと全てを振り切って信じている、
両親、彼女のことを
縋って、騙されて、洗脳されている
なんて口に出さない。

春ちゃんの彼氏が彼女に連れられて
初めてきた宗教の集会で皆んなの前で
言った言葉

「••••••ぼくは、ぼくの好きな人が信じるものを、一緒に信じたいです。••••••それがどんなものなのかまだ全然わからないけれど、ここに来ればわかるんっていうんなら、おれ来年もここにきます。わかるまでおれはここにきま、えー、くることを、おれは、おれはの好きな人に約束します。」


この言葉を読んだとき
はっとました。

ちひろもひろゆきくんもはるちゃんの彼氏も

自分という
周りの人に言われるような
        違和感
を持っている

けれど、
家族、彼女という
なにを信じていようと、信じてまいと、
本当に大切なかけがえないのないものであるとき

人は、  それでも大切な人の信じる

ことを選ぶのだと思いました。


「星の子」という作品は、

自分の全てを振り切って目の前にあるものを信じる人
ただ自分にとって大切な人の信じることを信じる人


何かを誰かを信じて、縋って、
自分の弱さと強さを抱えて
生きていく人間を繊細に描いた作品でした。


まだ、私の中で
「信じる」
ということがなんなのか消化しきれていないし、答えは見つかっていない。
だから、これからも向き合っていきたいと思います。


記録として、今日は、ここまで。


それではまた。

百。











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