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一 錢 亭 雜 稿 (「王友」十二號)


       本 社 菊 池 一 錢 亭

    ◇雅  號◇


 ひとの俳句を讀んで感心してゐるうちに、つ

ひ自分も作りたくなつて、一つ二つ書いてみた

らどうにか俳句らしいものが出來たので、雅號

が欲しくなつた。あれこれと考へた末一錢亭と

つけて終生不易の號にするつもりで居る。一錢

は今の日本の最低通貨であつて俳句に於ける僕

の値打にはうつてつけの號である。ひとり俳句

のみではない、僕といふ人間全部の價値もそん

なところである。然し一方多くの人達は一錢の

貴重さを忘れ過ぎてゐやしないか「一錢を嗤ふ

ものは一錢に泣く」この警鐘を亂打したい位

だ。成程一錢そのものはつまらぬものに相違な

いが、それが働らく力を考へたらさう馬鹿には

出來ない筈である。銀行から金を借りると、日

歩一錢六厘支拂つて得る元金は百圓である。

卽ち一日一錢あれば六十圓の金を活用できるわ

けである。

 この金で死にかかつえゐる病人が助かる場合

がある。又人類國家に有益な發明を助成したら

どうか。ここに始めて一錢の持つ眞の大威力を

痛感せざるを得ないのである。

 今の僕は未だ一錢どころであるが、虫けらに

だつて魂がある。僕には僕相當の信念抱負があ

る。まごゝろを以て事に當れば、僕だつて價十

萬圓位の人間には成れると思ふ。若し幸ひさう

なつたとしても、一錢亭の昔を忘却して十萬圓

亭などには斷じてしないつもりである。

 一昨年の暮、僕は雅號一錢亭を改造社發行の

「俳句日記」に登錄した。この意義ある苦心の

雅號の盗用を防ぐためである。さうしたら、今

年度の「俳句日記」の俳人住所錄に現代著名俳

人達と肩を竝べて僕の名も掲載せられた。する

と暫らくの間方々の俳句雜誌から購讀勸誘が來

て困つた。幾分氣恥しい氣もしないことはない

が、これで雅號だけは一人前の俳人になれたわ

けである。これからは俳句に精通して、一句で

もいいから後世に傳はるやうな名句をつくりた

いと念願してゐる。

    ◇靑嵐莊の雨◇


 三月半ば過ぎの或る雨日の午後、靑嵐莊の庭

で一樹の老梅は、心なき冷雨に叩かれ乍ら、幹

はぢつと耐へつゞけ、花はあくまで白かつた。

 觀音像の枝垂れてゐた若い紅梅の蕾は未だ固

かつた。

 緣側の硝子戶を開け放ち線香を供へて、石彫

の如意輪觀音に合掌するひととき、不思議に雨

脚がとぎれて、九品佛の松並木を渡る風をきい

た。

 そして沈丁花の甘い匂ひがただよつてきた。

 ――去年は柘榴がよく實つたが、今年の寒さ

で花も覺束ない。

 主人は立ち上つて硝子戶を閉め乍ら客の眼を

庭の一隅に誘つてが、この時一陣の風が竹林を

騒がせ通り過ぎた。

    ◇俳  句◇

  素雨先生津村秀松博士の句集「花野ゆく」

の跋に

 古から俳句を造るほどの者に、惡人は居らぬといふ。俳句を嚴正に解すれば、さういふ次第になるかも知れぬ。俳句は花鳥諷詠であるかないかといふ議論は暫らく抜きにしても、俳句の道に志す程のものは、他に比べて自ら土に親しみ、自然にあくがるる。邪念を起し易い場合にも險しい氣持ちが和らぐ。惡人が善人にならないまでも、ヅブの惡人では到底思ひもよらぬのが、句の世界であらう。又それほど大したものでないにしても、少くとも、俳句三昧に入る
とき、その瞬間において、人は神である、人は佛になる。俗界から高く超越しての人間らしさが自づと加つてくる。人生らしい人生の世界に遊ぶ氣がさしてくる。このすがすがしい氣がするといふことだけでも、我々の生活には、誠に尊いものに違ひない。

とある。ろくに句もつくれないくせに口幅

つたいことをいふやうだが、俳句に親しまうと

する自分の考へも右に同感である。

 一切自由を以て藝術の眞随とする僕は、すべ

て主觀判定に從ふことにしてゐる。何派であら

うと、新傾向であらうと定型であらうと、そん

なことはどうでもいい。自分の好きな句はいい

句だと決めてかゝる。物指は自分のものが最も

賴もしいからである。だから極端な例へである

が、十人が賞讃する名句必ずしも僕にとつて名

句ではない。

 眞に胸をついて生れ出づる句―さういふ句の

みを讀みたく、つくりたいのだが、六づかしい

ことだ。句會や吟行などで苦しみもがいて無理

に作句することなどは眞平である。

 室生犀星氏だつたと思ふが「俳句はいかに作

るかを考へるよりも、いかに捨つるかを考へ

よ」といふやうな意味のことを書いてゐた。

 至言であるが實行困難である。自分のつくつ

たものをむざ/\と捨てることは、人情として

容易に出來るものではない。と同時にこの點を

超越しなければ到底一人前の俳人にはなれまい

と思ふ。

 伊藤凍魚氏に會つた時一年生の僕は「どうす

れば俳句がうまくなるか」といふ愚問を思ひ切

つてきいてみた。氏は言下に「多作することで

す。そして先輩に見て貰ふのです。すると、作

者がいいと思ふ句が駄目だつたり、さう自信の

ない句が案外認められたりする。そこをよく考

へるのですな。さういふことを繰返してゐるう

ちに途は自ら拓けて來ます。」と答へた。昔、

氏は一晩に桐の句を百四十句もつくつたさうで

ある。寡作家だと思つてゐた佐上迷汀氏でも、

その初期には一日に五十句位つくつたといふこ

とである。句境の熟する迄ぢつとしてゐる僕な

どの及び難きところであつて、藝術獨善主義の

自分に俳句は全然不向きだと痛感したので、こ

れからは句作をやめてひたすら好きな俳人の句

を樂しむことだけにしやうと思つた。

 迷汀氏の說によると與太俳句だとけなしてゐ

るが、津村素雨先生の句は好きである。内田百

間氏の銳さもいい。芥川我鬼氏、室生犀星氏、

永井荷風氏、永田靑嵐氏の句もいいと思ふ。僕

と肌が合ふ句、どちらかと云へば素人くさい、

文人畫家の餘技に親しみが持てる。水原秋櫻子

氏の句は線が繊細過ぎて弱々しく餘りに奇麗

だ。美しい配色ばかりを氣にしてゐる畫をみる

やうで感銘がうすいと思ふ。然し嫌ひな句では

ない。氏の句集「秋苑」「葛飾」を讀んだが、

むしろ「花の句作法」に於ける句評の散文の方

を美しく思ひ好感を持てた。

 僕の俳句に對する考へ方は大道を行くもので

はない。ほんの畔道を通る位のところであつ

て、初心者の陥入り易い見當違もあらうし、邪

道に踏み込んでもゐやう。だがこれも皆修業で

ある。いづれは俳句正道の大鑛脈を突き當てて

上述の迷言を一笑する日があることを自信して

ゐる。

    ◇振  袖◇

 女の振袖があんなに長いのは、お尻の大きい

のをかくすためです。

    ◇文  章◇

 讀者に感動を與へ快感を覺えさせる文章を書

くにはどうしたらよいか。うそを書かず、まご

ゝろを以て書くだけであると僕は考へる。加藤

藤太郎氏の編纂された「打保工場長追悼記」の

藤原銀次郎氏以下二十八氏の追悼文を讀むと文

章の巧拙こそあれ何れを讀んでも言々哀切、故

人を知ると知らざるとを問はず、讀者に非常な

感銘を與へるのである。うそがないからであ

る。まごゝろが讀者にひし/\と通じるからで

ある。

 「兵に告ぐ」を讀んで泣かざるものは人間で

はあるまい。あそこ迄ゆくと文章の力の偉大さ

が分る。

 書簡文には一つの型があるので、自分の意志

を十分にその型にはめ込む骨を覺えるのが六づ

かしいが、覺え込んで了へばあとはその型を自

由に驅使して行けばいいから比較的樂である。

それにこの種の文章は巧拙に不拘、必要上讀ま

ざるを得ないから、何れにしても文章の目的は

達せるわけである。ところが自由文になると、

たとひその内容が如何に感動を與へる事柄であ

つても、表現が拙劣では讀んで呉れない。又不

快を感じさせる文章ではいけない。文章ばかり

美しくても内容が空疎では駄目である。どんな

職業の人にとつても文章は必要であるのに、こ

れに力を入れて修業しやうといふ人の案外尠い

のは不思議である。

    ◇紙   魚◇

 (本を好きな人と多少エロチシズムに興味を

持つ人だけ讀んで下さい)

 僕は紙魚の一種で規模が小さいから紙魚の卵

ぐらいのものであらう。今は財力がないから滿

足するだけの本を買へないが、すこしでも餘裕

があれば先づ本を買ふことにしてゐる。假綴や

紙裝の安つぽい本は嫌ひで、裝釘のいい本しか

買はないから、三册位ですぐ十圓になる。本屋

の勘定締切日を心得てゐて、やりくりに苦心す

るわけだが、ありがたいのは半期の賞與の時

と、昇給の差額をまとめて貰ふ時である。この

時だけは大偉張りで、前から欲しいと思ひなが

ら金の都合で見送つてゐた本が十册位は買へ

る。

 新聞の本の廣告や出版社が送つて呉れる圖書

目錄を見て欲しい本に印を附けてゆくと、半年

のうちにはきつと十册や十五册位になるのであ

る。新聞の本の廣告でその活字の形や配列や廣

告文を見て、出版者の名を見ないでもこれはど

この出版書だといふことが分る程、各出版者に

は夫々の特色があり匂ひがある。書物展望社、

双雅房、岩波書店、小山書店、創元社、沙羅書

店、龍星閣、等から出る本には好きなものが多

い。最近は限定本や豪華版が流行して、一册八

圓、十圓などといふ贅澤な本が出だした。圓

本、全集本流行の反動期に入つたわけである。

これらの本の用紙は大抵別漉の和紙が多く、

洋紙を敬遠されがちなのは洋紙會社に働らく

僕達には遺憾に堪えないが、僕はどちらかと

いふと、上質印刷紙で三百頁位迄の四六判も

ので、手にとつてどつしりと重みのある本を

好むが、この頃の傾向の和紙本も印刷さへよ

ければ惡るいものではない。ただ定價は精ぜ

い三圓止り位にして貰ひたいものだと思つて

ゐる。

 僕は随筆書か俳句の本しか買はないので他

のことは知らないが、この半年間に僕が讀ん

だ本のうちで、面白いと思つたものと、ひと

にすゝめて間違ないと思ふものに就いて書い

て見やう。

 書物のこと、裝釘のことに關する所謂書痴

随筆書では、齋藤昌三氏のものがいい。「書

痴の散歩」(書物展望社版、三百四十三頁)

は古番傘の裝釘である。著者は書誌研究家で

ある一面エロ文獻家としても有名であつて、

約七十頁に渉りエロチシズムの文章がある。

試みにその内の一篇「人間の精」を讀むと、

昔の人形の精巧な艶光りはどうして出したか

といふことが書いてある。その一節に「自分

がある古老から聞いた話で、昔のあの艶々し

い顔面は、實に人間の貴い精の賜ものである

と、皮肉笑ひに說明して呉れたことがあつ

た。これを今少し具體的に說明するなら、江

戶なら吉原や洲崎の歡樂境で使用された、所

謂落し紙は廻り廻つて人形師の手に渡り、そ

れが伸されて人形の無心な顔に息を吹きか

け、濕りを與へてその紙で磨き上げるので、

仕上げにはなくてはならぬもの、この落し紙

が多く掛けられる程お人形さんの顔は燦爛と

光り輝くのだといふ。紙屑となつても人間の

精、貴いかなだ。次手にこれと似た話を今一

つ、古來名畫と許し許されてゐる。佛畫の一

部には、紙色は褪せてぼろ/\になりなが

ら、墨色のみは鮮かにも光り新しいものがあ

る。これは佛の靈であらうか。笑ひ事ではな

い。古名僧の信仰と信念は、自己の精を佛化

して、後世に遺して居るのだそうな。」とあ

る。エロ研究に興味を持つ人に是非一讀すべ

き本である。最近同じ著者の「紙魚供養」

(書物展望社版)が出た。この本も同臭の文

章が収錄されてゐて、「舊横濱を語る」「横

濱名物チャブ屋の歴史」などの好題目があ

る。本文は別漉薄手和紙三百十七頁で、裝釘

は諸文藝家から著者宛に來た手紙の封筒を貼

合せた變つた趣向のものである。「旅の思ひ

出」の項に、旅行に出て不用になつた鐵道の

切符の實物が貼りつけてあるところなどは流

石に面白い。この本でも前の本でも、裝釘に

使用する材料は一册ごとに變つてゐる。書物

展望社出版の齋藤昌三氏裝釘の本は大概さう

である。この點裝釘者の苦心と出版者の良心

を買ふべきである。同じ社の出版で宇佐美不

喚洞氏著「涓滴不喚洞」がある。俳人として

も有名な元東武鐵道經理課長宇佐美英氏の趣

味出版で、こんな贅澤な本が定價一圓五十錢

とは氣の毒な位である。根津嘉一郎氏もモデ

ルにした「社長山水」や「三千歳さがし」

「女優の樂屋草履」「書齊樂・太平樂」など

の面白さ、漫文、随筆、俳句、漫畫、短歌を

滿載して三百二頁中面白くないものはひとつ

もないといふ珍本である。

 同社から出た變つた裝釘のものでは、馬場

狐蝶氏の随筆集「野客漫言」(三百六十六

頁)で、遠州掛川の特産岡本葛布を用ひてあ

る。又我國に於ける山の先人小島烏水氏の

「書齋の岳人」(三百四十八頁)は、南洋産

の樹皮に蓑虫の裝釘で書名内容にうつてつけ

のものである。目次の大項を擧げると「藏本

記」「米國の巷にて」「山水帖」「畫人錄」

「浮世繪雜綴」「泰西創作版畫」等で、外に

ガウカン自畫自刻木版「ノァ、ノァ」扉繪そ

の他珍らしい挿繪、寫眞版が多い。

 昔の東京の面影を忘れ得ぬ人々にとつて、

鏑木清方氏著「築地川」(書物展望社版二百

一頁)と、永井荷風氏著「冬の蠅」(丸善版

二百五十八頁)程なつかしい本はあるまい。

移りゆく文化東京と共に、亡びゆく江戶のか

そけき匂ひを心にくき迄描出する清方氏の美

しい筆致と、「知らぬ間に又一匹や冬の蠅」

といささか世にすねた荷風氏の舊東京を描く

溜息的追憶の情は、吾われ異郷人の胸にも迫

つて哀切なものがある。これに反し谷崎潤一

郎氏の「攝陽随筆」(中央公論社版四百十九

頁)の「東京を憶う」は歪められたる東京と

非似江戶兒への反感を思ひのたけ述べて嗚咽

せんばかりである。書中「陰翳禮讃」三讀す

べき文章である。夏目漱石氏の門弟中僕は、

小宮豐隆氏を最も好きである。「漱石襍記」

(小山書店版三百十六頁)は尠く共漱石に興

味を持つ人の必讀書である。

 津村秀松氏の随筆集「社會小景」(双雅房

版二百二十四頁)に収錄の随筆小篇七十六篇

何れも法學博士の鎧をぬいで、人間津村を語

らうとするもので悉く好もしき小品である。

ことに巻尾の「道子忌」を讀了して僕は泪あ

ふるゝをとゞめ得なかつた。

 放送局文藝部長小野賢一郎氏の「筆硯咸

興」(双雅房版三百三頁)と日本電報通信社

編輯長中根榮氏の「新聞三十年」(双雅房版

二百八十九頁)は共に磨きのかゝつた苦勞人

の書いたほんたうの随筆で滋味津々、中でも

「新聞三十年」は各篇息もつかせぬ面白いも

のである。

 永田秀次郎氏著「靑嵐随筆九十五點主義」

(實業之日本社版二百九十三頁)のうち「私

の女性觀」に僕は大賛成である。女の本分を

忘却してややともすると男の領分に出しや張

らうとする女らしからぬ女に讀せてその蒙を

啓いてやりたいと思ふ。

 現代人の傳記物では、何といつても「高橋

是清自傳」と「蘇峰自傳」に指を屈する他あ

るまい。

 前著はこれがほんたうの人間行路かと疑は

れる程、數奇波瀾を極めた偉人の一生で、ま

るで芝居の筋書を讀むやうである。高橋翁は

大天才型の人物ではなかつたが、吾われの手

の届かない山嶺の一つの巨岩であつたことは

確かである。

 後著は明治初期から大正年代へかけての我

國の政治裏面史が手に取るやうに分るし、又

當時の靑年の氣魄が如何に强烈なものであつ

たかを如實に明示してゐる。僕はこれ等黎明

期の靑年達に、現今の流行語「心臓の强さ」

を善意で冠せたいのであるが、何れにして

も、現代の吾われからみれば、當時の生活は

一種の夢としか思へないのである。

 然し乍ら、當時と今ではその社會組織や生

活意識に甚だしい懸隔があるにせよ、その精

神の强靭さに心打たれ、その根强い實行力に

は敬服すべきものがある。

 蘇峰氏獨特の文章は誠に當代第一の大文章

家と呼ぶに相應しく、讀者の老若を問はずそ

の魅力は永遠に尊重さるべきである。           

        (昭和十一年五月稿)


(「王友」第十二號 
  昭和十一年六月三十日發行 より)


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            紙の博物館 図書室 所蔵


 ↓ 文中に出てきた「俳句日記」。

            国立国会図書館 所蔵

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