見出し画像

戯れてみる

 君はへんな男だ。あの女のどこ

がよくて、そんなに戀ひしてゐる

のだ。別にとりたてゝ美しくもな

いし、さうかといつて、人なみすぐ

れた才氣があるわけでもない。謂

はゞ、男を魅惑するものとてはな

にひとつ持つてゐない、たゞの女

といふだけではないか。あんな女

を死ぬほどの苦勞をしてまで女房

にした君は、どう考へてみたとこ

ろでへんな男だ。――彼の友達は

彼の女房の顔だちをみて誰れでも

さう言つてゐる。

 彼は友達がさう言つて彼にから

かふのをきいても、別に哀しくは

思はない。自分のほんたうの心持

をよく知らないからだと思つて、

淋しかつただけである。

 なるほど、芳子はどこから見た

つて美しくないだけではない、む

しろ、醜い顔だちの女なのだ。と

いつたところで、それは他人から

みての話だ。芳子の亭主の自分は

自分より他の男の知らない、あの

女の美しいところをよく知つてる

ものだ。うか/\とこんなことを

云へたわけでもないのだが、餘り、

いま/\しいから、それを饒舌つ

てしまふが、それは芳子のひざの

上に仰向けにねて、のどから上を

見上げたときの、頬と頤と唇との

何ともいへない、艶つやしい、肉

のうねりのかたちからくる感じの

美しさなのだ。自分の友達のうち

で、誰ひとりだつて、芳子のひざ

に仰向けにねてみた男はないのだ

だから誰も、この美しい陶醉を知

つてゐる筈がないのだ。そんなあ

りがたい、秘密のたのしみを知ら

ないくせに、惡くちを叩いてゐる

友達の方がよつぽど狡い可哀想な

心だ。うはべから誰れにも貪りと

られてしまふやうな美しさを持つ

女房と、芳子のやうにひそかな美

しさをかくし持つ女房と、その女

の亭主からみてどつちがありがた

いものかよく考へてみるがいゝの

だ。お菓子にしたつてさうぢやな

いか。奇麗に、さま/″\な工風を

こらして、城だの、燈臺だのと立

派なものをこしらへたところで、

それがみかけほどおいしいものか

どうか知れたものではないのだ。

ことにそれが人間の女房のことだ

ま心だつて、氣質だつて、愛情だ

つて――そのほか、まだ/″\いろ

/\なものだつて、うはべからみ

た顔だちだけで分るものではない

のだ。――と、彼は或る晩も芳子の

ひざに仰向けに寢ながら、彼の陶

醉にひたりつゝ、誰にいふともな

く、こんなことをつぶやいたので

ある。


 ――あの人はなんだつてわたし

の横顔の寫眞ばかり欲しいと仰有

るのだらう。この前たつたいちど

正面から寫したものをあげたら、

こんなものは氣に入らないと言つ

て、わたしの前で破つて捨てたり

なさつたが、あのときは哀しかつ

たわ。さう、さう、それからもう十

枚ほど横顔の寫眞をあげたが、そ

れは大へん喜んで大切にしまつて

ゐらつしやるのに。おかしな方だ

わ。――これは芳子のひとりごと

である。


 僕からみると、芳子の横顔の寫

眞は大へん美しいのだ。正面のも

のは、へんにぶよ/″\牡丹の花び

らのやうにふくらんで、素直でな

いのがいやだが、横顔はいゝもの

だ。しかしそれよりもつと美しい

のは、やはり寫眞ではいけない。

と――彼は又芳子のひざの上にね

てみる、自分ひとりだけのたのし

さを思ひ出して、法悦にちかい氣

持を覺江てゐる。


 まあこんなことでさうガミ/″\

とむきになることもないのだが、

女房の顔だちと、お菓子の城とま

ちがへてものを言つてもらつては

亭主の顔からみれば、ずゐぶん淋

しいことだらうぢやあるまいか。

たゞそれだけの話なのだ。

     ――十四・一・稿――

(越後タイムス 大正十四年二月八日 
     第六百八十八號 八面より)


#小説 #新聞小説 #短編小説 #女房 #越後タイムス #大正時代
#写真 #横顔 #膝枕 #顔




ソフィアセンター 柏崎市立図書館 所蔵

※関連記事


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?