法律を作るほどに混乱する社会
昨年、頑張ってコメを作ってみましたが、今年はさらにレベルアップを考えています。それは・・・トラクターの購入です。このド素人が、いよいよトラクターに乗って、田畑を耕すかもしれません!
ちなみに、トラクターをご存じない方がいらっしゃるかもしれませんので、動画を貼っておきますね(うん?知らない人はいない?)。
トラクターについては、またあらためて記事にしたいと思っています。今回は、トラクターの話ではありません。
トラクターの購入をするにあたり、まずはきちんと保管場所を確保する必要があります。今のところ、そういう場所がないので、トラクターが欲しくても買えません。
先日、田んぼを貸してくれている地主の方が、農機具の保管場所も貸してくれるというお話をしてくださり、トラクターの保管場所の件も、相談することになりました。地主の方曰く、「適当に使っていいよ」とのことなので、簡単にでも契約書を作ろうということにしました。
で、とても簡単な契約書を作りました。すごく簡単なやつです。目的、期間、使用料・・・その他、何か問題が生じたら、お互い話し合って決めましょうねーという感じのものです。
本来ならば、もっときっちりとした契約書を作るべきかもしれません。いろいろな問題を想定して、事前にそれらに対する取り決めをしておくことが、契約書の意義でもあります。しかし、やってられません。
「いろいろあるかもしれないけど、それはまた話し合おうねー」
まぁ、いい加減かもしれませんが、お互いの信頼関係が築けているのであれば、コチラの方が、それぞれの手間と時間をかけずに済むし、細かいことを言わなくていいので気持ちがいいです。
ただし、コレはあくまでもお互いの信頼関係が築けているからに過ぎません。
このことは、法律についても言えると思います。
本来的に法律などというのは、ないに越したことはありません。契約書の話ではないですが、細かく決めれば決めるほど、いろいろと運用がややこしくなります。だから、本当ならば、法律などというのはない方がいいのです。
しかし、今の人類は、法律なしで生きられるほどのレベルには達していません。放っておいたら、身勝手なことをする人々がいて、たちまち社会の秩序が保てなくなるでしょう。したがって、それらを制限するため、仕方なく法律を作っているに過ぎないわけです。
あくまでも、仕方なくです。
それなのに、どうも世の中には「法律ができた=問題が解決した」という安直な思考をしている人々が多いように思います。
法律を作れば解決する?
問題解決のためには、まだまだ法律が足りない!!ということのようです。そういう考え方自体、否定しうるものではありません。アリです。
こうやって性自認の問題で、揺れ動くような人に対しては、法律を作って、それを受け入れられるような社会にしていこうということですよね?
毎日毎日、自分がどっちになる分からない人にとって、女性らしさを求められるのは厳しいものなのでしょう。こういう問題に対して、法律を整備して、解決しようということでしょう?
しかし、こうした問題について、法律で解決しようとすると、それまで考えられなかった、まったく別の問題も生じてきてしまいます。法律は悪用されることがあるのです。弊害だって生まれることがあります。
法整備による解決を主張される方々は、そうした法律のネガティブな側面をきちんと理解されているのかが疑問です。
一度法律にしてしまったら、「自分は女だ」と主張するトランスジェンダー女性に対しては、あくまでも女性として扱うしかありません。でも、正直怖いケースだってあります。そして、正直にそれを恐れた少女が、批判を浴びるという・・・何だかワケの分からない状況になってしまいます。
本当に大丈夫です?
もちろん、これは対岸の火事ではありません。
証明写真では髭をたくわえてる「性別フリーの人間」が、日本にやってきて、女性風呂に入ってきたとしても、誰も騒ぎ立てることができなくなるでしょう。それが定められた法律に基づいていたら、どうしようもありません。
おいおい・・・って感じです。
小学校のとき、両手を合わせて人差し指を突き立て、後ろからお尻めがけて「かんちょー!」とぶっ刺す悪戯がありました。あるとき、学校の帰り道にそれをやったとですよ。
「かんちょー!!!」
やった瞬間、しまったと思いました。
なぜなら、その子が女の子だったからです。でも、ほかの女の子とは違って、すごく男の子っぽい子でした・・・というよりも、周囲の扱いは完全に男の子でした。おそらく、本人もそうだったと思います。
それで思わず、私も相手が男の子のつもりで、やってしまったのです。
でも、やられた側の反応は相変わらず、いつもの男の子のような反応でした。私もやった瞬間、「しまった!」とは思いましたが、相手がそんな反応だったので救われました。まったく問題にならなかったのです。
何が言いたいかというと、この問題、何が正しいかなんて、よく分からないということです。いや、正確に言うと、法律を作って、それを一律に適用するなどというのではなく、個別のケースごとに対応するしかないということなのだろうと思います。
「法律を作った=問題が解決した」なんてのは、安易に過ぎます。あくまでも個別の問題です。個人の問題といってもいいかもしれません。そして、その個人の問題に対して、周りがどのように接するかという問題でもあります。
もっと言えば、性自認だけじゃなくても、人間、生きていればいろんな問題があるはずです。見た目にしたって、頭脳にしたって、特技にしたって、家族構成にしたって、経済状況にしたって・・・それぞれを個性や個別の事情として認め、それをお互いに尊重し、受け入れられるかだけの問題です。それをせぬまま、それらをひとつひとつ法律に落とし込んでしまったら、キリがありません。逆に社会を混乱させるだけです。そして実際、今、徐々に混乱し始めているように思います。
お互いの信頼関係が構築できていれば、性自認の問題に限らず、人間社会が抱える多くの問題は、自然と霧散していくことでしょう。それができないということは、結局、ただただ、今の人類のレベルが低いということに尽きます。
そのレベルの低い人類も、目下、レベルを高めるべく試練の時を迎えているようです。この先、新しい人類の社会に注目してみましょう。
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