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「別の宇宙」から自分を消せ!

世界は、今、視認できている三次元空間だけではなく、時間を含めたとしても、その四次元のなかに収まっているわけでもなく・・・もっともっと高次元まであると考えなければいけないことは、何度か記事にまとめている通りです。それは、掴みどころのないスピリチュアル系の話ではなく、最先端の科学の話としてです。

ここであらためて、今、私たちが生きている宇宙が、もっと高次元にある世界の交差点に過ぎないという話から、始めてみたいと思います。

それでは、複数の世界が交差したらどうなるか?を考えてみます。
ある面(2次元世界)とある面(2次元世界)を交差させると線(1次元世界)ができます。
【2次元世界】と【2次元世界】交差 → 【1次元世界】ができる
同じようにある物体(3次元世界)とある物体(3次元世界)を交差させると面(2次元)が生まれます。
【3次元世界】と【3次元世界】交差 → 【2次元世界】ができる

「この世界のはなし(2)~高次元世界の交差点~」より引用

詳細は、上の記事を読んでいただくとして、要は、私たちが3次元(時間を含めたら4次元)と考える、今、目の前に広がっている世界は、ただそこにポツンとあるわけではなく、無数の高次元世界の交差点(交差線?交差面?交差空間?)として、存在していると考えられるということです。

超ひも理論が示唆しているように、この世界が11次元まであるとしたら、そのなかに低レベルの5次元世界なんて、無数にあって当たり前です。そんな5次元世界や4次元世界が、あちこちで交差するなんてことは、またさらに無数にあって当然です。

おっと・・・ちょっとその前に、高次元世界があったとき、それよりも低次元の世界が無数に存在するということについて、まず抑えておく必要があります。

観測可能な宇宙の果ての、さらにその向こうには何があるのだろう? 私たちの宇宙は、もっと大きな「マルチバース(多元宇宙)」の1つにすぎないのだろうか?
こうした問いかけから生まれた映画や小説は多い。最近も、マーベル映画『ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス』など、マルチバースの間の刺激的な関わりを扱うSF作品がヒットしている。しかし、一部の宇宙論研究者にとって、マルチバースはファンタジーやフィクションではなく、れっきとした科学だ。

ナショナルジオグラフィック
「マルチバース、パラレルワールド、異世界の科学的根拠」
2022年5月10日より引用

こんな記事を、隅々まで読んで、一所懸命に理解しようとする必要はありません。とにかく、宇宙はひとつではなさそうだということが重要です。

そして、ここでもっとも注意すべき点は、「マルチ」という言葉です。「マルチ」などというと「複数」などという意味合いになるので、2つとか3つ・・・多くて、10個?みたいなニュアンスになる可能性があります。

とんでもありません。無数です。

2次元世界(平面)に1次元世界(線)を生み出すとしたら、何通りの1次元世界を生み出すことができるでしょうか?直線である必要はありません。曲線でもいいのです。長さも自由です。

もちろん、いろんな線を描けます。

そう考えたら、平面(高次元)のなかに線(低次元)の世界が、どれだけ生み出せるかのかというのは、到底、数えられるようなものではないことは自明です。高次元世界のなかに生み出せる低次元世界の数は、無数なのです。

もちろん、それだけ無数の世界同士で生み出される交差部分は、無数に存在することになります。たくさんの線が無数に存在するのですから、無数の交差点ががあるのは、当たり前のことです。

3次元世界にしたって、それと同じです

無数の高次元世界があるとして、そこに3次元世界(宇宙)を生み出そうとしたら、無数の宇宙があると考えなければなりません。それは、高次元世界の交差点(交差空間)かもしれませんが、いずれにせよ「マルチ」どころではないのです。

でも、私たちは、この宇宙がひとつであると認識しています。それは、なぜでしょうか?

その答えとして、今、この世界に生きている人々(生物たち)が、それぞれもっている高次元世界の交差点(交差空間)として、この宇宙(3次元世界)が存在しているからに過ぎないというのが、ひとつの仮説として考えられます。

別の言い方をすると、私たちがもっている精神世界こそが、ひとつの高次元世界であり、この宇宙は、それら高次元世界の交差点(交差空間)として存在しているということです。

例えば、私たちが夜にみる夢や妄想想像の世界は、この宇宙上には存在しません。しかし、私たち一人一人の精神世界(4次元世界)のなかには、生み出されており、それはひとつの「別の宇宙」を形成しているということです。だだそれは、他の人とは交差していないので、ただ自分のなかだけで生まれ、そして消滅していくだけの宇宙ということになります。

このように考えると、人がみる夢、妄想、想像といった精神活動は、この宇宙とは違う、ただ自分だけの「別の宇宙」を生み出しているのだと考えられるわけです。

ポイントはここです。

つまり、私たちは精神活動を通じて、無数の「別の宇宙」を生み出しているかもしれないということです。あくまでも、仮説ではありますが、誰にも否定できません

そして、そうなると「自分の精神活動、限られたエネルギーをこの宇宙のために使う」ということが、極めて重要になってきます。

私たちが全知全能でない以上、私たちの精神活動やそれに費やすエネルギーは有限です。そうであれば、私たちのなかだけで、すぐに潰えてしまうような「別の宇宙」を形成するために、それを使うなどというのは、もったいない限りです。

どうせなら、私たちがみんなと一緒に住んでいる「この宇宙」の形成に、そのエネルギーを使ったほうがいいです。そうすることで、結果として「この宇宙」のなかで、強く生きていくことにも繋がるでしょう。

それらはすべて、ここらへんにまとめた記事にも通じます

つまり、私たちが精神活動を通じて、自分のなかに生み出している高次元世界を、なるべく「この宇宙」に重ね合わせることで、「この宇宙」で生きたいように生き抜くことに繋がっていくのです。逆に言えば、「別の宇宙」に生きる自分を消滅させてしまうことが、「この宇宙」で強く生きていくためには必要なのです。

そう考えたら、後悔などというのが、いかににもったいないことかが分かります。

過ぎて終わったようなことをいつまでも悔いて、「ああすればよかった」、「ああやっていたら、どうなっていただろう?」だなんて、そんな「別の宇宙」をたくさん作ったところで、今、私たちが毎日を過ごしている「この宇宙」の形成には、何の役にも立ちません

だから、後悔なんて、絶対にしない方がいいです。妄想もほどほどにしておいた方が、無難でしょう。

自分のなかに生まれる宇宙こそが、みんなと一緒に住んでいる「この宇宙」だと思えるような精神活動をしていくことは、きっと意外と大切です。


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