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偉そうに振舞う左脳にはご用心

目覚めた人たち

最近、よくこんな言葉を聞くようになりました。身近なところから、国家や世界的機構に至るまで、おかしなことだらけになっている世の中で、それらの問題に気付いている人のことを、そのように呼ぶことが多いように思います。

ときに、そういう人たちは「陰謀論者」と呼ばれたりします。まぁ、それは放っておきましょう(笑)。

ところで、せっかく「目覚めた」というのであれば、もっともっと深い目覚めがあってもいいはずです。世界の仕組みに重大な問題があることに気付いたからといっても、それほどたいそうなものでもありません

例えば、「ブッダ」というのは「目覚めた者」という意味です。

せっかくならば、宇宙の真理に目覚めるくらいのレベルがあっていいはずです。そうでないと、世界の仕組みを構築し、それを動かしている人たちに飲み込まれかねません

地球のため、人類のためのお勤めを一所懸命しているというのなら、それはそれでご苦労様です。
しかし、「神人」の立場が社長だとしたら、「彼ら」・「世界の指導者」などというのは専務みたいなものです。そこそこ偉いのでしょうが、けっしてこの宇宙のトップではありません

「宇宙を背負って生きようぜ」より引用

地球上に構築された「世界の仕組み」程度ではなく、私たちが存在している「宇宙の仕組み」を理解し、それを操れるようになれば、そんな「世界の仕組み」を作っている人々に右往左往させられるようなこともないでしょう。

さてさて・・・ここでちょっと脳のお話です。右脳と左脳の働きについて、こんな実験があったといいます。

ガザニガが行ったのは分離脳患者の実験
分離脳は右脳と左脳を接続している脳梁が繋がっていない状態で、右脳の情報は左脳に行かず、左脳の情報は右脳に行かないという状態となっています。

詳しくは、上掲動画をみていただきたいと思いますが、これが実に興味深い内容になっています。

簡単に説明すると、分離脳とは、主に空間認識と左半身のコントロールを司る右脳と、言語能力と右半身のコントロールを司っている左脳の間が繋がっておらず、相互に情報が共有されない脳のことです。

この分離脳患者に、左目だけ(右脳だけ)にリンゴの写真をみせて、「何をみたか?」と質問をしても、言語能力を司る左脳には、その視覚情報が伝達されないため、「分からない」と答えるといいます。

問題は、ここからです。この分離脳患者に対して、それぞれの目に以下のような写真を見せます。

-左目だけ(右脳)→雪の景色
-右目だけ(左脳)→鶏の足

次に、この被験者の前にいろいろなカードを並べて、「今みた写真に関連するものを選べ」と指示します。すると、その被験者は次のようにカードを選びました。

左手 → 雪かき用のシャベル
右手 → 

ここで被験者に対して、「何故、それらのカードを選んだのか?」と尋ねます。すると被験者は、「簡単なことだ。鶏の足は鶏に関連があるし、鶏小屋を掃除するにはシャベルが必要だからだ」と言ったというのです。

驚愕です(笑)。

左脳は、右脳がキャッチした情報を無視して、勝手に雪かき用のシャベルを選んだ理由をでっち上げちゃうんです(苦笑)。しかも、それが厄介なのは、きちんと言語化されているため、被験者自身が堂々と、その理由を述べて、それなりに納得できてしまう点です。

あたかも、自分の中に二人の人格が存在していて、言葉を操る賢そうな方が、全人格を乗っ取るような構図になっているわけです。実に恐ろしいことだと思います。

言語というのはとても便利であり、説得力もある一方、扱いが非常に厄介であることを示唆しています。

うん?この実験は分離脳患者の話だから、私たちには関係ない???

なるほど・・・しかし、果たして本当にそう言い切れるものでしょうか

この左脳過剰っていうのが、今の私たちが言葉の中でグルグルして、現代社会でしんどい感じで生きているっていうのが私の主張で・・・

私たちは、言語に頼って生きています

したがって、少々、本質からズレていても、きちんと言語化されていると、それこそが正解のように勘違いしてしまうという罠に陥りやすいわけです。そして、現代社会は、とかく左脳偏重の人たちばかりで、それに囚われ、苦しんでいる人々が多いように思います。


ここで、少し話がぶっ飛ぶかもしれませんが、「神との対話」という書籍に関する解説動画があったので、ご紹介しておきます。

神は常にすべてのものに語りかけている」、そういう言葉の意味を教えてください。
(中略)
言葉って難しいやんか?どんな言葉を使っても、相手の捉え方次第のところがあるから、言葉のもつ制約に縛られがちなのよ。(中略)言葉以外でコミュニケーションを取ることが多いわけや。一番多いのが、感情を通じて語りかけることやな。

神なる存在とはいかなるものかという議論は、既に以下のような記事でも何度か取り上げたことがあるので、ここでは割愛します。

したがって、ここでは神なる存在を肯定したまま、この動画の内容に乗っかってみようと思います。

ここで重要なことは、神が語りかけてくるのは、左脳のような言語化されたものではなく、感情といった非言語的な機能を司る右脳的なコミュニケーションだということです。そして、そうした右脳の声にしっかりと耳を傾け、それと向き合い、探求していくことこそが、「神の声」を聞くことにつながるというわけです。

そう考えたら、意外と難しくなさそうです。私たちがきちんと「神の声」を聞くことができれば、冒頭に話した「目覚めた人」になるのも、割とたやすいことなのかもしれません。

しかし、何故それが難しいか?

それは、分離脳患者の実験でもあるように、左脳が偉そうにしているからでしょう。

左脳は、とにかく立派です・・・もとい、立派そうに振る舞います。「神の声」を聞いている右脳よりも、賢そうに振舞い、それっぽい理屈をこねくり回します。言語を操れるため、その論理性から、さも「自分は分かっている」というフリも上手なので、なかなか歯止めが効かないわけです。

でも、左脳に好き勝手されてばかりでは、いつまで経っても、「神の声」は聞こえてきません

ということで、右脳の声を意識的に聞いてみるといいと思います。

「メディアの嘘を見抜いている」
「政府が操られていることに気付いた」
「資本主義が全体主義に取り込まれてきている」

こんなことに気付いたからと言って「目覚めた人」などというのは、まだまだです。それに気付いて「楽しいか?」って話です。

本当は楽しくもないのに、左脳が組み上げたロジックで、「ほら?これこそが人生の喜びだろ?」と思い込まされているだけかもしれません。好きでもない仕事を我慢して続けていたり、不安に駆られてお金に執着する人たちのことを思い浮かべたら、容易に想像がつきます。それこそ、悪魔のささやきです(笑)。

ということで、言葉を操り、常に私たちの頭の中で雄弁に語っている左脳にはご用心です。


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